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チノアソビ大全

Podcast「チノアソビ」では語れなかったことをつらつらと。リベラル・アーツを中心に置くことを意識しつつも、政治・経済・その他時事ニュースも交えながら林田(専門:総務省地域力創…
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2023年4月の記事一覧

ミシェル・ヨーとショウガール:女たちの闘い篇

今年のアカデミー賞は、トップガン一択だと思っていた。 まさか、エブエブとは。 https://gaga.ne.jp/eeaao/ すでに劇場で観たあとだが、正直このての映画は好みが完全に割れる。 様々な捉え方があるが、「結末までのストーリーが文脈として構造化されているもの」と「視聴者の解釈に委ねるもの」。 エブエブは、完全に後者であり、「わからんかった」という方はおそらく前者系の作品をお好みなのではないかと勝手に推測する。 私は仕事柄、映画はどのパターンのものも業務試写

誰がために少子化対策の鐘は鳴る② -小国寡民- 篇

1.老子の「小国寡民」 『老子(老子道徳経)』の一節に、「小国寡民」という教えがあるんですね。  意味を現代語に置き換えてみると、次のようなものです。  小さい国で国民は少ない。  そこでは、生活をするのに便利な道具があっても、国民がそれを使うことはない。  また、そこでは国民に命を大切にさせ、遠くに移住させないようにする。外国へと渡る船があったとしても、これに乗ることはなく、鎧や武器があったとしても、これを使用することはない。  国民は、縄を結んでそれを約束の印とし

奇説 今昔物語集 vol.003 -藤原氏列伝(中)-篇

 今回は藤原氏列伝の中篇、悪馬を乗りこなした藤原 内麿の系譜から始まる。原本である『今昔物語集 本朝世俗部』でいうと「閑院の冬嗣の右大臣ならびに息子の語、第五」からになるが、この辺りから藤原氏が権力を掌握するまでの荒々しい雰囲気は消え、平安貴族としての繁栄の様子、その風雅さ、恋のあり様などが色濃く前面に押し出されてくる。 1.人生の明暗は死後まで分からず 今は昔、閑院の右大臣と呼ばれた藤原 冬嗣(ふゆつぐ)には、多くの子供たちがいた。ちなみに冬嗣は最後は左大臣を務め上げ、死

100点じゃないとダメなんです委員会:母娘の因習篇

これは何につけても同じことが言えるのだが、Podcastをやっていて一番勉強になるのは自分自身である。そう、やっている本人が一番学びが多いのだ。 チノアソビのように、自身が内包する意識の有無を問わないバイアスを自覚せざるを得ない属性のものは特にだ。そのバイアス外にいる人に、自分の経験や意見を伝えるのは一筋縄ではいかない。 だからこそ、人は自分と同じバイアスを抱える人を「仲間」としたくなるのではないかと思う。 しかし、それでは真の「対話」にはたどり着かない。 (詳細は先週公開

奇説 今昔物語集 vol.002 -藤原氏列伝(上)-篇

 この物語は平安時代末期に成立したらしいということ以外は、作者もタイトルも明らかになっていない説話集である。『今昔物語集』と呼ばれているのも、その殆どの書き出しが「今は昔」から始まるからという理由で便宜的に名付けられた通称である。  前回は、大職冠こと藤原鎌足の物語であったが、『今昔物語集 本朝世俗部』は鎌足を発端に、その子孫の物語、すなわち藤原氏列伝からスタートする。 1. 壬申の乱と藤原 不比等 今昔物語集が記されたのは平安時代末期とされているが、この頃には当然、中国か

ファンじゃないけど聞いていたアルバムがある世代:ヒットチャート篇

ボビー・コールドウェルに捧ぐ。 2020年3月1日の福岡公演のチケットを押えていました。 来日は最後かもしれないな、なんて思いながら。 その直前に、新型コロナウイルスのパンデミック騒ぎとなり、この公演は中止になってしまいました。 そして、ついにボビーは、日本の地を踏むことなく旅立ってしまった。 AORとの出逢いライターとしては「出合い」と書かねばならないのですが、あえて属人的な意味合いで「出逢い」とさせていただきます。 私のAORとの出逢いは、SING LIKE TAL

奇説 今昔物語集 vol.001 -大化の改新-篇

 この物語は平安時代末期に成立したらしい、ということ以外は、作者もタイトルも明らかになっていない説話集である。『今昔物語集』と呼ばれているのも、その殆どの書き出しが「今は昔」から始まるからという理由で便宜的に名付けられた通称である。  執筆者不明の書物、と侮るなかれ、その内容は貴族、武士、庶民、そして僧侶と身分・階級の別に依らず、現実にたゆたう苦悩に煩悶する人々が、いかに智慧を振り絞って生きてきたかの記録でもある。 1.皇極天皇と蘇我一族 『今昔物語集』の「本朝世俗部」は、

mixiとめんたい重の予測的共通点:シティポップ現象篇

ごきげんよう。後藤です。 そろそろ劇場版名探偵コナンの季節なので、過去の作品を1本目から見直すという毎年の恒例行事に勤しんでおります。 ☟誰にも頼まれてないけれど、勝手に毎年更新している記事。見かけによらずまめな性格(笑)。 何をやっても仕事につなげてしまうという、爪の先までプロレタリアートな後藤ですが、たぶんコナンは唯一に近い趣味と言いますか、連載初回からずっと読んでいるマンガです。 多かれ少なかれ、好きなものにもジェンダーやジェネレーションのバイアスがかかっているもので

グローバリズムの誤謬 -脱ア論再考- 篇

「世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、至る處、草も木も此風に靡かざるはなし。」  1885年(明治18年)3月16日、福沢諭吉が主催する新聞、『時事新報』の社説に、上の書き出しで始まる論文が掲載された。社説の筆者は福沢諭吉その人であり、論文の題名には「脱亜論」とある。  周知のように、「脱亜論」とは、「日本よ、アジアから脱出せよ」という旨を主張する論文である。その論文の内容は、過激という語彙を用いて表現せざるを得ないのであるが、「脱亜論」が、かように過激になっ