ミシェル・ヨーとショウガール:女たちの闘い篇
今年のアカデミー賞は、トップガン一択だと思っていた。
まさか、エブエブとは。
すでに劇場で観たあとだが、正直このての映画は好みが完全に割れる。
様々な捉え方があるが、「結末までのストーリーが文脈として構造化されているもの」と「視聴者の解釈に委ねるもの」。
エブエブは、完全に後者であり、「わからんかった」という方はおそらく前者系の作品をお好みなのではないかと勝手に推測する。
私は仕事柄、映画はどのパターンのものも業務試写で視聴する機会が多いので、割と偶発的な出合いで新しい扉を開いてもらうきっかけに恵まれているが、エンタメなんて結論、摂取したいと思うものを摂取すればそれでいいと思っている。アカデミー賞だから観て当然とか、わかって当たり前なんて誰も言っていない。むしろエブエブが好きな人々は、まさかこんなメジャーに押し上げられるとは、とびっくりしているのではないかと思う。
(単館系好きな人、というのもまたラベリングのように思うが)
エブエブのなかのミシェル・ヨーの話
さて。今回のエブエブにおいて、特筆すべきことは視聴者の数だけあると思うが、個人的にはテープが擦り切れるほど観た「グーニーズ」、そして「インディ・ジョーンズ」シリーズに当時子役として出演していたキー・ホイ・クァンが出ていたことがとても大きい。
さらに、主演女優賞をミシェル・ヨーが獲ったこともとても大きい。
しかも、なんと福岡の映画祭に彼女がやってくるというから心が躍っているのだが、それは今をときめくムービースターが来福するからとか、そういう話ではない。
今回、彼女はアジア人初のアカデミー賞主演女優賞ということでとても注目されており、
ケリング会長兼CEOのフランソワ=アンリ・ピノー、カンヌ国際映画祭会長のイリス・ノブロック、カンヌ国際映画祭ディレクターのティエリー・フレモーは、今年、ミシェル・ヨーの傑出したキャリアに敬意を表し、同映画祭のオフィシャルディナーの場にて、「ウーマン・イン・モーション」アワードを授与。
そんな彼女のエピソードが、とてもとても強烈だったので紹介しておきたい。
彼女は独立したてのマレーシアに生まれた出自のせいで、女優としてのキャリアにおいて、様々な壁やラベルに苦しんできた。
老荘シリーズのマトリックスの回でも話題になったが、アメリカ人からすると、アジア人はひとくくりであり、「こんな感じ」というイメージは概ねチャイニーズ。「それ、日本人ちゃうで!」と普段使わない大阪弁でつっこんでしまうシーンは山のようにある。タランティーノの「キル・ビル」で栗山千明がキャスティングされたことにスタンディングオベーションした日本人が多かったのもこのあたりのモヤモヤからだろう。
一方、ヨーもイギリス支配下にあったマレーシア産まれなので、アメリカ人からすると彼女の英語に違和感が強くあったようだ。さらに、もともとからある業界内のジェンダーギャップ。想像に難くない。
(個人的にはなんともないのだが、ボンドガールにおける「美女がボンドに守られながらなんとかかんとかなる」というアイコニックな描写に嫌悪感を抱く女性は世界中にいるということも認識しておいてもらいたい。)
↑そんなハリウッドの黎明期を描いた映画「バビロン」の後藤によるレビューはこちら。退廃的で耽美な描写はうっとりするほどきれいなのでご注目。
人種的に、そして性別的に、ハリウッド界でどうキャリアを形成していくかにおいて、彼女は幾度となく考え、「いわゆるアジア人女性」の配役をことごとく断った時期があったという。しかも、およそ2年。凄い覚悟だ。
様々なラベリングと闘って得た今回の評価に対し、ヨーが惑っていることがこれまた興味深いのだが、なによりも、件の作品・エブエブ内で描かれているテーマが母と娘の物語であることがとても味わい深いと個人的には思っている。
そう、これはいつかチノアソビでも話したいのだが、母と娘の関係性は、先週の「100点じゃないとダメなんです委員会」にも書いた通り、非常に複雑で難しい。「ミソジニー」が発生すると、特に。
中洲某所で出逢ったショウガールたちの叫び
一方、先日実際に遭遇した女たちの闘いについても書いておきたい。
中洲界隈の某所、しかも最近爆誕した施設と書くと福岡の人にはわかってしまうのだけど、そこでの一幕が非常におもしろかった。
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