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しんどい過去が思い出になるまで

今日はちょっと思い出したことについて書こうと思う。

きっかけは、今夜放送していた「逃げ恥」の主人公みくりが言っていた台詞である。

「誰かに…誰かに、選んでほしい。ここにいていいんだ、って、認めてほしい。それは、贅沢なんだろうか」ー第1話

ー承認欲求と、言ってしまって良いのだろうか。みくりにはチャーミングな家族、友達はいるわけだから、より高度な社会的欲求だ。基本的欲求は大体満たされる時代において、贅沢なんかではなく、むしろ承認欲求がある方が健全だと思う。

でも、この考えは精神的に健康な今の私から出たものだ。

誰かに必要とされたいなんて私はすごく贅沢なんじゃないか?と真剣に自分を卑下していた時期もあったな…と、ふとドラマを見て思い出したのだ。

辛すぎると忘却フォルダに移動させます

私もみくりと同じく就職活動が上手く行かなかった。尽く二次面接にも進めず、一次面接で落ちる日々。私は東大や京大出身ではないけど、私学ではそこそこのレベルの大学で勉強したし、就活が上手く行くと思っていたから、まぁ就活の結果には死ぬほど絶望した。

辛すぎて、活力が出なかったので睡眠時間が異様に長かった。友達と会ってもお互い就活中だし本音で会話できない、上滑りしたコミュニケーションを取っていた。

家族とも上手く向き合えなかった。高い学費を出して応援し続けてくれた両親に申し訳ない気持ちと、文字通り誰にも選ばれ続けない私でも両親には絶対受け入れて欲しいという気持ち。抱えていた負の感情が多すぎて、過呼吸になるまで両親の前で泣いたりした。今思うとめっちゃ恥ずかしい。赤ちゃんレベルで泣いた。

こんな状態にあった自分を思い返すと、みくりの台詞には共感しかない。自分の価値や存在は他人の評価によって決まるもんじゃないなんて、言葉レベル、左脳では理解できる。

しかし、実際に必要とされなかった時期を経験している私としては、受け流せない、非常に切実な台詞なのである。

本当にあの1年間は長くて長くて死にそうだったのに。今思い出してみようとしても結構断片的な記憶しかない。人間ってマジで都合よくできている。(私が楽観的なだけ?)

健康な時に、時々またこうやって思い出して、過去の自分を全肯定してあげたい。お前が思ってるほど、お前は弱くないし、自分を大事にできる奴やど、と。

おわり

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