精神障害者の闘病日記5

書き貯めてたぶんも少なくなってきました。
今日も仕事に行けず無駄に一日を過ごしてしまいました。

 父は出所しても相変わらずだった。ただ車で生活することはできなくなり、公園やコインランドリーで寝泊まりし不審者通報されることが増えた。借金もできなくなり万引きが増えた。
 万引きの回数が多すぎてまた数年後に刑務所に入ることになった。千円ちょっとの万引きで刑務所に入ることになった。あっけなかった。もちろん新聞にも載った。仕事先で父について触れられないかまた泣きながら仕事へ向かった。
 その一か月後に近所の人の葬式があった。その葬式の場で、母は近所の人から父に関していじめを受けていた。「父は昔はよい子だったのに」「家族みんな車持っとるのに万引きだなんて」「外でホームレスのような暮らしをしていたのは嫁や子が父をいじめて家に居づらくさせているのではないか」「十分にものを買ってもらえないから外で万引きするしかなかったのだろう」そう言われ続けた母はどんな気持ちだっただろうか。恐ろしかった。借金で苦労していた私たちの苦労は、他人からの簡単な妄想でなかったことにされた。父は仕事をしたくなかったから勝手に出ていって、それでは暮らせないから盗ったのだといちいち説明できない。恥ずかしいし周囲に言って回ることではない。そうやって言わないことで妄想は更に膨らむ、他人にとって我が家のことはエンターテインメントで消費される娯楽の一環だった。そうして妄想された結果が真実のように広まっていく。誰も否定してくれなかった。近所の人は父の味方だった。母も自分たちも頑張ってきたけど結局、この地域の住民として認められていなかったのだ。たんに祖父の存在があるから暮らしているのを許されているだけで、本当は誰も快く思っていなかったのだろう。母が県外出身ということもあり、余所者として嫌われていたのだということが明らかになった。この田舎の大事な一員として想われていなかった、また所属場所を失った。

 頑張れば必ず救われる物語が苦手だった。それを否定する自分を見せびらかしていた。否定することで優位であると示したかったのであろう。馬鹿な自分の過去だ。自分の存在を、アイデンティティの保ち方を知らなかった。ふと集団の中で、自分が所属できるグループがないと知った時の悲しさだろうか、いや、自分は悲しくはなかった。だって自分にはそんな価値も魅力もないと知っていたから、他人を否定する自尊心で自分を何とか保っていた。
 承認欲求を見せつけてくる人をみっともないと笑うことが己の首を絞めた。たとえ同じように自分が構ってと言ったところで誰にも反応されなかったとき、それを他人に笑われたらと思うと何もできなかった。承認欲求は人一倍あるのに、見てほしいと言うことは、見てもらえなかったらと思うだけで恐ろしくてできなかった。
 過去の私を殺したかった。未来を考えず、将来には過去の自分がさらされて笑われていると思わず好き勝手に黒歴史を並べる私を殺したくてたまらない。それを知る人間にも陣でもらいたくてたまらない。未来で恥ずかしい思いをしない現在の私を生きようとしたら、常にできる子でいて、できないことに挑戦しない、そんな子だ。挑戦しなきゃいけないときは茶化してふざけてできなくてもしょうがないと演じる、そんな馬鹿になってしまった。結局上手にできなくてそんな過去を殺したくてたまらなくなるというのに。
 自分が優秀だと認めてほしくて他人より優れるために努力するより、他人の失敗を願うようになってしまった。まるで呪いをかけているようだ。自分より役に立たない人間に困らされて私の有能さを思い知ればいいだなんて、呪いだとしか思えない。認めてほしい、けれど認められるような言葉をかけてもらってもお世辞としか思えなくなった。いつのまにか素直に称賛も愛情もうけとれなくなってしまった。


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