精神障害者の闘病日記

何か形に残したい。
そう思っても日記を書く手は震えてまともに文字は書けなかった。
字が上手く書けなくなった。
ガタガタの字は醜く、書く間に何を書こうとしていたか忘れる、途中で書きたいことがコロコロと変わるから文章が変になる。初期の日記を見返すとごちゃごちゃで、とにかく助けてほしい気持ちだけがいっぱいだった。

世の中にはこんな人もいるんだよという、気晴らしになればいいなと思うことを書いていく。もちろん実話である。

まず記憶にある中で、家庭のことについておかしいなと思ったのは姉が中学へと進学する頃だった。母親が父親へ「奨学金を受けなくていいの、本当に払えるの」と聞いていた一言のせいだった。
奨学金なんて生活に困っている人が使うものという認識しかなかった私には驚く一言であった。後から知ったことだが、父親は家にまともにお金を入れたことがなく仕事もいつの間にか辞めていた。更に母親も知らなかったことは、家に入れる金は借金したもので、それもほとんどギャンブルへと消えていたことだ。仕事へ行くふりをして、毎日ギャンブルへと向かっていたのだ。

家族の知らない間に、借金が増え、1000万を越えていた。

うつ病に至るまでの経緯は後々語るが、とにかく自分がうつ病ではないかと思ってネットでセルフチェックをしたのが大学に入学してからである。
その時は10段階中5の段階で、さして高くないなと思ったのを覚えている。
病院に行くようにと書かれていてもその程度のチェックを信用できるのかと思っていたのもあり、気まぐれにセルフチェックをしては高くなっていく様子を見ていた。今思えば大学時代が一番人生の中で安定していた時期だから楽観視していたのだ。
25歳になった時にうつ病セルフチェックの一覧に社会不安障害を見つけた。何でもセルフチェックはしてみようととりあえずやってみたらどの項目もほぼ当てはまるのである。驚いた。自分の中では「当たり前」のことが「病状」として当てはまる感覚。その時のうつ病は10段階中7段階。しかし不安障害の点数は高くて「生活に支障が出ているようだから病院に行くべき」とあった。気にかけておこうとその時は思った。
誰にも相談できずに日数は過ぎていって、勇気を出してK氏に話を振ったら「そうじゃないかと思ってた」というような反応があった。
K氏の知っている鬱の病状とはまた違っためんどくささが私にはあるらしい。K氏もまた苦労をしている友人なので信用できる。
相談した後で、なんだか構ってちゃんのようだったのではないかと恥ずかしくなった。病院に行けとは言われなかった。家庭の事情を知っているから環境が変わらないのに治療しようとしても意味がないだろうとのことだった。
この頃は就職に失敗して実家に住んでいた時だったから余計にだった。まぁ今も実家で暮らしているが、家庭内の事件に一段落ついているのでましだ。

誰かに病院に行けと言ってほしかった。病院に行く言い訳がほしかった。結局、仕事の任期終了に伴う保険証の終了を己の言い訳にして病院に行くことにした。今思うとよく頑張ったと褒めたい気持ちである。
けれどもいきなり精神科に行くのが怖くて、他の人に見られても怖くない内科病院へ行った。ネットでは精神科も書いてあったが玄関には精神科とは書いてなくて慌てて別の症状で罹ったことにした。パニック障害の疑いか甲状腺に異常があると診断されたが結果は異状なし、漢方を処方された。
時間とお金が無駄だったと感じて今度はちゃんとした精神科へと向かおうと思った。

方向音痴の私でも分かるような場所にある病院で知り合いに会うことのないような遠い場所にある病院を探した。
当日は迷子になって泣きながら病院を探した。迷子になったのは一時間もなかっただろうけど、諦めたくなくて助かりたくてどうしても行きたかった。
恥ずかしさが優って、大人しく元来た道を帰るとかできずにずっとずっと奥へ進んで一周回って元の道へ戻ってからスタートした。
とにかく恥にたいして過敏になって行動が制限されていた。

初めての診察で何を話したか覚えていない、けれど40分近く泣きながら症状を訴えていたように思う。先生は厳しかった、なぜ父親のようになるのを嫌がり、それほど祖父のご機嫌伺をしているのか分からないようだった。
自分でも分からない。
けれど当時は働けていたし重症ではないと思うのだろう、私だって思う。けれど毎日が苦しくて幸せになりたいと思った。支障のない生活がどんなものなのか知りたいと思った。

先生から「社会不安障害」の診断をもらった。やっぱりかとほっとする気持ちと、病気なんだと不安になる気持ちとがあって更に泣いた。
薬局で薬をもらうのも怖かった。向こうの人はいろんな病気の人を見ている、私が病気であると知ったって悪用しない、けれど怖かった。
薬剤師さんが薬の説明をしてくれても早く帰りたいと、恥ずかしいと思っていた。

病院にかからなければ病気の診断がつかずに健康的な人間であると表面上装っていけるはずだったのに勝手に病院に行ってごめんね、お母さん。




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