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文学の伝統と伝奇小説

X(旧Twitter)のタイムラインに、芦辺拓先生のこんなポストが流れてきました。アーサー・コナン・ドイル卿にアガサ・クリスティ、その間にはチェスタトンがいてと、ミステリ大国のイギリスですが、この指摘は目からウロコでした。

イギリスには探偵小説と同じぐらい、いやそれ以上に「冒険小説」の伝統があって、それがクリスティの中にフーダニットと「外套と短剣」を共存させたのでしょうが、土壌の違う日本からだとそれが見えなくなる。一方日本では探偵作家が伝奇小説を書くのが珍しくなかったのが、いつしか絶えてしまった。

https://x.com/ashibetaku/status/1801725234472751395




①デフォーと西鶴・近松・芭蕉

言われてみたら、イギリス最初期の小説が、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソーの生涯と奇しくも驚くべき冒険』で、1719年の発刊ですから。今も読まれる冒険小説の元祖が、最初に世に出ています。ドイル卿のシャーロック・ホームズ物の第一作『緋色の研究』が1887年ですから、168年も先行しています。

これは、夏目漱石の『吾輩は猫である』が1905年で、上田秋成の『雨月物語』が1768年の刊行ですので、137年のラグがありますから、それ以上。そう考えると冒険小説の歴史的な積み重ねが、違いますね。

ちなみにデフォーは、1660年生まれで1731年没なのですが。日本の作家と比較すると、

・井原西鶴(1642年〜1693年)
・近松門左衛門(1653年〜1725年)
・松尾芭蕉(1644年〜1694年)
・初代市川團十郎(1660年~1704年)

らとほぼ同時代人で、驚きます。思った以上に時代が近いんですね。

②シェイクスピアと阿国歌舞伎

初代の市川團十郎を入れたのは、実は文学は演劇のほうが先行していて、かのウィリアム・シェイクスピアも劇作家だったからです。そのシェイクスピアは、徳川家康と没年が同じ。つまり、多くの戦国武将と同時代人なんですよね。

・ウィリアム・シェイクスピア(1564年~1616年)
・出雲阿国(1572年~没年不明)

日本での歌舞伎の創始者である出雲阿国と、シェイクスピアが同時代人というのも、演劇と文学の発達には、それなりの社会の文化的な蓄積や、読者の人口の増加や、都市文明の発達が必要だったのでしょう。

③秋成と馬琴とデュマとポーと

さて、デフォーと同時代の、元禄の三文人井原西鶴・近松門左衛門・松尾芭蕉に話を戻して。

思うに、西鶴のエロ、近松の義理と人情の板挟みの物語、芭蕉の俳句の情感が、日本文学の今に続く感性にも影響を与えて、連続してるように思います。

さらに次の世代は、伝奇小説『雨月物語』の上田秋成や、『南総里見八犬伝』の曲亭馬琴につながっていますね。

・上田秋成(1734年〜1809年)
・曲亭馬琴(1767年〜1848年)
・三笑亭可楽(1777年~1833年)
・アレクサンドル・デュマ(1802年~1870年)
・エドガー・アラン・ポー(1809年~1849年)

これまた、上田秋成や曲亭馬琴が、推理小説の始祖エドガー・アラン・ポーと同時代人というのに、驚きを感じます。ポーは、推理小説と怪奇小説が文化する前の作家で、『モルグ街の殺人』にしろホラーの風味が強く残っていますね。

同時にポーは、『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』という、海洋冒険小説の傑作も残していますし。鷗外も翻訳した『メエルシュトレエムに呑まれて』は、短編ながら読み応え充分の冒険小説になっています。『黄金虫』も、冒険小説ですしね。

④夢幻能が伝奇小説のルーツ?

伝奇小説の歴史も長く、上田秋成の『雨月物語』は、岡本綺堂や山田風太郎や宮部みゆきにも、繋がっているような気がします。

もっとも伝奇小説は、世阿彌の能がルーツの面も。世阿彌は、過去を回想する形で物語が展開する夢幻能のスタイルを生み出し、これが能のスタンダードになったのですが。

そう考えると、日本の伝奇小説の歴史は、長いですね。
ちなみに世阿彌の『風姿花伝』は、世界最古の演劇の理論書ともされます。
これが読んでみると、「新しきが花」とか「目前心後」や「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」など、現代でも通用する演劇論やキャラクター論が書かれています。

⑤伝奇小説のルーツは源氏物語

さらに言えば、紫式部の『源氏物語』も、前半のヒロインは、生霊となって光源氏を巡る女性を、呪い殺す六条御息所です。

年下の光源氏と恋愛関係に陥るも、強い嫉妬のあまり、生霊となりはてる。死後も紫の上や女三宮などに憑依し、恨み言を述べる存在です。この六条御息所自体、紫式部自身が投影されているという説もありますが。

そう考えると、日本の伝奇小説は、1000年以上前からその萌芽があったのですから。

伝奇小説自体は、六朝時代(222~589年)の志怪小説をルーツとし、唐王朝から宋王朝の時代に短編小説として、唐宋伝奇が生み出されます。漢文をスラスラ読めた紫式部の『源氏物語』も、この影響下にあるのでしょう。

そう考えると、文化の流れというのは興味深いです。
日本の少女漫画も、その初期から怪奇ホラーが人気ジャンルとして存在し、いろんな出版社からミステリー・ホラー誌が発売されていましたね。


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