AIが翻訳家や記者を代替する?
こんな記事が、ネットを騒がせています。
AIの発達は目覚ましく、ある意味でいろんな仕事が代替される未来が近づいています。しかし、ライトノベルを翻訳するのに、AIというのは肯定的な面と否定的な面、両方ありそうですね。
①肯定的な面
肯定的な面は、数多くの作品が、翻訳が活発化することでしょう。
世界は英語以外にも、スペイン語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・ポルトガル語・ロシア語などのラテン語系の言語があり、中国語やヒンディ語やアラビア語やスワヒリ語など、使用する人口が多い言語が、多数あります。
AI翻訳の発達によって、そういう主要言語への翻訳が、かなり簡単になるのは、事実でしょう。
叶精作先生の画集も、巻末の後書きは自動翻訳を利用して、英語やドイツ語など6カ国語に翻訳をして、掲載しました。
いったん英語に翻訳したものを、英語やドイツ語に翻訳し、それを再度日本語に翻訳し直すという手法で、意味の通る翻訳になっているであろうことが、確認できます。
もちろん、格調高い文章になっているかどうか、細かいニュアンスは確認できませんが。
情報(information)としては、充分な内容かと。
そういう意味では、本格的な翻訳はともかく、数百文字程度の翻訳ならば、プロの翻訳家に頼まなくてもよいというのは、大きなアドバンテージでしょう。
②否定的な面
否定的な面は、これでは翻訳家の仕事が減り、翻訳文化がやせ細ること。
日本というのは、欧米各国以外では、母国語で高等教育が可能な、数少ない国なんですよね。大学でも、普通に外国の文献が、日本語に翻訳されている。これは、日本の翻訳文化が昔からレベルが高く、難解な専門書でも翻訳してくれる翻訳者がいるから、なんですよね。
学術書とライトノベルは違うという人もいるでしょうけれども、そういう翻訳全般の層の厚さが大事で、売れない漫画家が若手の頃はコミカライズの仕事などで糊口をしのぐように、翻訳仕事の多寡は割と直撃しそうな。
菊地秀行先生も、青山学院大学英文科卒の英語力で、小説家になる前のライター時代に、翻訳を手掛けられておられましたね。
将来的には、高度な専門書もAI翻訳で可能になるでしょう。
もちろん、大まかなところをAIで翻訳し、細かい点はプロの翻訳家がチェックする、という形になるなら、大幅な省力化になります。
現在でも、学生に仮翻訳させて、仕上げに高名な翻訳家がチェックするというやり方は、あるやに聞きます。学生の仕事を、AIが代替するわけで。
結果的に、そういう態勢になれば、それまで3冊やっていた翻訳を、10冊やれるようになり、翻訳家の収入は同じかむしろ増え、出版点数は増えるという可能性も、ありますので。
一概に否定はできませんが……実際なってみないと、わかりません。
④新聞もAIで
さらに、こんな記事も、タイムラインに流れてきました。新聞の紙面を、AIで制作したという実例です。
少なくとも、AIで作ったことを知らなければ、充分に通用する内容です。
こう言ってはなんですが、新聞記事の多くは、ベタ記事と呼ばれる配信記事で、時事通信社や共同通信社などの、配信会社から購入しています。
そのようなベタ記事は、何時・何処で・何が・どのようにして・どうなったの、文章の基本を押さえれば、成立します。内容に個性はなく、むしろ個性があっては困りますから。
その新聞の記者が、わざわざ取材する記事も、かえって主観が交じるような個性的な文章では、本質を損ないます。
最近は、新聞の切り取り記事に起こった一般人が、チャットGPTに、同じ事件について質問すると、こんなに情報に過不足がない・ニュートラルな記事になった、という実例をSNSに上げることも。
また、編集委員や論説委員など、新聞記者のベテランが執筆する社説やコラムにしても、「~と言われる。だがちょっと待ってほしい」てきな、定型的な文章展開が多く、むしろそういう社説の文体を真似して、揶揄することさえあります。
そういう意味では、新聞もまた、AIでかなりの部分が代替され、省力化がされる時代なのかもしれません。
⑤未来の展望
さて、このままAIが発展すると、どうなるのでしょうか?
例えば校閲の仕事も、AIがかなりの部分を代替するでしょうし。新聞のレイアウトや見出しをつける整理部の仕事も、だいぶ減るでしょう。
出版社でも、ある雑誌は正社員は編集長と副編集長だけで、実務の方は編集プロダクションの人間に丸投げ、なんてこともあります。この、編集プロダクションに丸投げしていた仕事の多くが、AIに任せられるでしょうね。
出版社だと、記事系の仕事はAIに、エッセイやコラムなどの読み物系はライターや作家へと、振り分けられ。
けっきょく、作家というクリエイティブな存在と、それを統括して大きな絵図を描ける編集長、サポート役&後継者予定の副編集長2人の、合計3人でも雑誌が回るかもしれません。
そうなった時、生き残る編集者は、だいぶ減りそうです。
また、才覚のある編集者は、独立して作家と組み、個人出版社を経営するようになるのかもしれません。
でも、新しい仕事や仕組みが生まれて、それまでの仕事を奪われても。また新しい仕事が生まれて、補完していくんですよね。
昔は、アナウンサーなんて仕事はなかったのですが、ラジオ放送が生まれ、テレビの時代になると、一躍花形に。
そのアナウンサーも、読み上げアプリでかなりのことが代替され、でも個性的な人は生き残り。
生々流転、そう新美南吉の名作『おぢいさんのランプ』で描かれたように。
著作権的な問題は、ここでは取り上げません。CCCDのときのような問題として、何らかのフェアユースの確立で、あっさり収束するかもしれませんし。
新たな表現は、確実に生まれそうですが――。
以下は諸々、個人的なお知らせです。読み飛ばしていただいても構いません。
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