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「ぼく、おなかすいとったんや」6歳の書いた詩に思う、私にできること。

きのう、小学6年生の書いた詩「ぼくだけほっとかれたんや」を、30年ぶりに読んで泣いてしまった話を書いたら、多くのかたからコメントをいただきました。

「辛い。辛すぎて、胸が締め付けられます。現代のそこここで生きている“たかしくん”にできることを探してみようと思います」
「ただただ、胸が一杯になり、涙が出る。こんな思いをする子が、1人でも減って欲しい。今自分にできることはなんだろう」
「うっかり電車の中で読んでしまい、たかしくんがかわいそうで涙が…」
「親を選べないとは思いますが、こんなにも…小学2年の娘に読ませてあげたいです」
「今、この小さな男の子が大人になり、どうか幸せでありますように。
そう願わずにはいられません」
「表現は色あせない。たかしくんあのね、あなたの話を聞きたい人がいる。
あなたの話を聞かせたい人がいる」
「親を選べないとは思いますが、こんなにも…小学2年の娘に読ませてあげたいです」

一部のかたのコメントを、紹介させていただきました。どうもありがとうございました。

親になったからこそ胸に詰まる、この気持ち。私は「ぼくだけほっとかれたんや」の本を読んでから、ずっと一人でたかしくんのことを考えていたので、こうして他のかたとも気持ちをわかちあうことができ、ほっとした気持ちがしました。

たかしくんが、最後に窓ガラスを割って、おじいちゃんに叱られ、ランドセルを流されてしまった日。この日もたかしくんは、「あのね帳」に、じぶんの気持ちを詩として残していました。

もうご紹介した本は絶版になってしまい、たかしくんの書いた詩を公に見ることができません。そのため、ここに記載させていただこうと思います。


ぼく おなかすいとったんや
あおやま たかし

あのな せんせい
きのうのばん おじいちゃんが
ぼくのランドセルをかわへほってしもうた
きょうかしょもふでばこも あのねちょうも
みんなながれていってしもうた
あめがぎょうさんふったやろう
そやから すぐにながれてみえんようになったんや

ぼくな おもてのガラスわってしもうたんや
あしでぽんとけったらわれてしもうた
おじいちゃんおこって ばんの12じまでおこられた
ねむかったから おもてのすなのところで 
はんぶんねとったんや

ぼくおなかすいてラーメンたべたかった
おばあちゃんがたべさせてくれへんねん
ぼくおなかすいとったんや 
そやのにたべさせてくれへんねん
それでぼくけってしもうたんや


たかしくんはこの時、おじいちゃんとおばあちゃんに育てられていました。ぼくだけほっとかれて、お母さんや「あたらしいおとうちゃん」が引っ越してしまった後のことです。

たかしくんは家ではあまり、おじいちゃんやおばあちゃんから相手にしてもらえず、いつもおなかをすかせているようなことを言っていたそうです。

この詩を書いた日の晩も、たかしくんは雨で水の増した川で遊び、夜9時頃になってやっと家に帰ってきたのだそう。もちろん、全身びしょびしょの状態。家に入るなり、たかしくんはおばあちゃんに、

「おなか、すいたあ。なんか、くうものないか」

とたずねます。洗濯ものが増えるし、こんな夜遅いし、ふきげんになるおばあちゃん。しかしたかしくんは、くりかえします。

「ラーメンつくってぇ。なんか、食べたいねん」

何度そう言っても「お前なんかに食べさせるもんはない!もうどこへでも出てっといで」どなる、おばあちゃん。

そうしておなかすいた腹いせに、泣きながら表のガラス戸を叩く、たかしくん。「われへんわい、こんなもん」と足で思いっきり蹴り上げると、ガッチャーーーンとガラスが割れてしまったといいます。

そうして怒りくるったおじいちゃんが、教科書、ふでばこ、あのね帳が入っていたランドセルを川に流してしまいます。たかしくんの人生や、きぼうが詰まったランドセルが、流されてしまったのです。

それから2ヶ月後、12月の終わりになって、たかしくんは施設に入れられていったということです。


じつはこの詩集の編集著者であり、たかしくんの小学校の先生である鹿島和夫先生は、2度ほどたかしくんのお母さんと「あたらしいおとうちゃん」に会ったことがあるそうです。

いちばんはじめは、たかしくんの入学前。

1年1組に入る予定の、たかしくんの両親が小学校の校長室にやってきます。母はけしょうっけがなく、青白く、病み上がりのようで正気がありません。髪の毛はばさばさです。手には、生まれて1年くらいの赤ん坊を抱きかかえています。

その10歳も若いと思われる男のほうは、くわえタバコをしながら、恐ろしい目つきで先生を睨みつけます。そうして言うのです。

たかしを、どこかの施設にほうりこもうかと思ってまんねんけど、どないですやろか。この女の前の亭主がおつとめ(服役)をおわって、もうちょっとしたら帰ってきますねん。わしは、この女と一緒になって、赤ん坊ができてしまいまして。もう別れられまへんのや」

そうして男は、たかしくんがいかに、悪ガキであるかを説明します。先生は、母のほうにたずねます。

「おかあさんは、どない思っているんですか。どこかへ預けたいと考えとられるんですか?」

「いいえー。わたしはどっちでもいいんです。この人がどっかへ預けようと言いますねん」

母親は、ぶっきらぼうに、無責任に答えたといいます。

「いまの家族は7人家族で、ところがせまい家ですやろ。ぼろ家の二間の家ですよって、もう寝るだけでいっぱいいっぱいですねん。だから、一人でも減ってもろうたら…たかしさえいなければ、わしらだけでなんとかなるんですけどな

男は、みだらな笑いをうかべて話したといいます。
子供の一生を決めるようなことを、入学前から相談されても、ひとりの教師ではどうすることもできない。鹿島先生は、心あたりを考えておくといい、その日はおひきとりを願ったのだそうです。


その男にまた会ったのは、たかしくんが欠席した日、家を訪問したときでした。

バラック風の小さな家の土間には、布団が敷きっぱなし。まわりには、新聞やおもちゃなどが、足の踏み場もないくらいに散らばります。奥には炊飯器やおなべが投げ出され、ひっくり返っており、そこに赤ちゃんがちょこんと座っていました

赤ちゃんは顔じゅう、ごはんつぶだらけ。炊飯器から手で、ごはんつぶをつかんでだして食べていたのだそうです。

「ごめんください」鹿島先生がなんどか、その土間にむかって声をかけると、布団がむくむくと動きぬっと顔をだしたのが、男でした。あの「あたらしいおとうちゃん」です。

男は裸で、背中には昇り龍の入れ墨があります。

たかしくんが学校にこないことを男にたずねると、「先生に殴られて頭が痛いと言って、病院に行った」と言われます。そうして「入院でもしたら弁償してくれ」と、先生は男から脅されるのです。

しかし自分が殴ったわけではないし、そう言っても一向にわかってもらえない。仕方なくその日は帰って、後日、保健日誌を見せて説明に行くと、男は先生がやっていないことを認めます。しかし謝りの言葉はなかったそう。

先生は、くやしくてくやしくて、たくさんの気づかいが裏切られたような気持ちだったと話します。

そうして、そのあとに起こったのが、きのうのnoteに書いた「ビーチサンダル事件」だったのです。


ーーー

たかしくんは、施設に入れられてから、鹿島先生とは会っていないそうです。でも2年以上経って、テレビに鹿島先生が出ていたとき、たかしくんはそれを見て「わあーい!かしませんせいが出とるー」と家の中を飛びあがって喜んでいたのだとか。それから食い入るように見ていたのだとか。

偶然、道でばったり会った、たかしくんの母が先生にそう話したといいます。

(けっきょくたかしくんは施設から出てきたのか、たかしくんの母はそのときは元気だったのかは、本には書かれていませんでした)

鹿島先生は「不幸な生活が続いていくたかしくんを、教師はギブアップみたいな感じで、手をこまねいて見ているだけになってしまうのよ。子どもも重い生活を教師に示すだけで、いっこうに生活が変わらないわけよ」と話します。

たかしくんと直接対峙した先生でさえ、こう思うのだから。第3者の私が何もできないことを痛感するのは無理もないことだと、思えました。

ただ日本のどこかに、まだまだ同じような状況の子どもがいることを、理解すること。みんながみんな、お腹いっぱい食べられて、きれいなお布団で寝て、安心して学校から帰ってこられる状況ではないことを知っておくこと。これは息子にも、伝えたいなと思うのです。

たかしくんは鹿島先生に、「書いてきもちを表現する」ことを教えてもらいました。辛かったことがあっても、書くことで、誰かに表現し見てもらう、ほんのわずかな希望が生まれます。自分の気持ちを俯瞰して見れることもあります。

鹿島先生に出会ったたかしくんと、そうじゃなかったたかしくんは、同じ悲しい状況でもぜんぜん違ったはずです。

鹿島先生のような立派な人にはなれないかもしれませんが、私は私の、できることを探していこうと思うのです。
「書くを楽しく。」私がnoteにもかかげるスローガンが、その一助になる日がくればいいなと願っています。

小森谷 友美
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