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当たり前が、そうでなかったということ

みなさま、こんばんは。

ただ今、ひと通り大泣きしたあと、ぶさいくな泣きはらした顔で無心に文字を打ち込んでいます。

映画を観て感動したとか、悲しいことがあったとか、何かのストレス発散のためだとか、まあ理由は明確にここには書かないんですけど。


わたしはわりと、SNSには読んでもらって気持ちが下がらないような、嬉しいこと楽しいこと幸せなことを書く人間です。

盛る、というよりは、いらないと思うもの(ここでいうとネガティブな部分)を削ぎ落とす、という感覚。

たぶんそれは、わたしがふだんそんなにポジティブ前向きで明るい人間ではないからかもしれません。誰かといるときはもちろん陽でありたいけど、1人のときはとても陰になるし、卑屈だったりネガティブな部分もたくさんあるから。

お芝居をしている誰かに見られているオンの時の自分は、いいなと思う自分でいたいんでしょうね。

ありのままでない、というわけではなく、見せない部分があるかもしれないけど、見せている部分も間違いなく自分です。なんだかこんがらがってしまいますね。



個人的にはかれこれ1ヶ月半以上、自粛生活をしています。

わたしは意外とおうち生活に適応できていたなと思うんですけど、ちょっと最近、ここにきて弱音が出てきそうな数日を過ごしています。たぶん、雨模様なのも一因。


自粛する前のわたしは、仕事も含めて毎日電車に乗っていたし、いろんなところへ出かけていました。

メイクして髪の毛を巻いて、好きな服を着て家を出る。

稽古して、舞台に立って、お客さんに見てもらえる。応援してくれる人が劇場へ来てくれる。

お休みの日なんかは友達とご飯を食べたりお酒を飲んだり、よく遊んでいました。あと、家族でご飯を食べたりとか。


当たり前すぎて、その生活に慣れてしまっていたんですけど、それがどれだけ充実していて、幸せなことなんだろうって感じます。


次、好きな人たちと顔を合わせてご飯を食べられるのはいつだろう、とか、共演者で集まって稽古してそれを劇場でお客さんに観てもらえるのはいつだろう、とか。

気が滅入りそうになることもあるし、ネガティブになることもあります。


あとこれは自粛云々だけではないけれど、むかつくこともあるし、なんだくそーって口が悪くなっちゃうこともあります。


人間ですから。人間だもの。



なにを言いたいかわからなくなっちゃったんですけど、あれですね。泣きたい日もあるし、そういうときは泣いちゃえってことです。

涙が出るくらい泣いた自分、たくさん泣いてえらい。と褒めてあげます。

自己肯定感を下げちゃいけないし、自分を甘やかしてあげられるのは自分だとおもうのです。(結果、でろんでろんに甘やかしちゃうのはよくないけど。自分に甘々人間です。

あしたは楽しいことをたくさん考えて一日過ごしたいなって思います。



雨、まだ降るのかあ…



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