河南省と日本軍〜飢饉にまつわる史実と教育〜
私はこの件のすぐ後、国慶節の連休に偶然にも河南省へ旅行に行った。「恨み」などと言う直接的な言葉を友人だと思っていた人から酒の席とは
いえ、面と向かって言われたことがショックで心に引っ掛かったまま旅行に出発した。
この友人の母親は河南省出身で、飢えから逃れるために西北部に来たんだと言っていた。私は河南省で日本と中国の間にあったことについて恥ずかしながら何も知らず、これを言われてからようやく調べた。
私が知っていたことは、歴史教育は国によって違うこと、各国の政府は都合のいいように、あるいは何しからの圧力を受けて史実を曲げて国民に伝えているものだと言うこと。
どこの国でも多少はあるようだけれど、中国においてはそれが非常に顕著で世界中が知っているが中国の一般人はあまりに強烈に洗脳されているために信じ切っている人が多いということくらいで、具体的な史実について反論できるだけの知識を持ち合わせていなかった。
少し調べたところで実際に河南省へ行き、「黄帝千古情」という歴史ショーをみた。これは中国各地の千年の歴史を1時間のショーで見せる千古情というシリーズもので、これまで西安と四川の九寨溝でみたことがあり、なかなか面白かったので今回も観光の1つとして観に行った。
ところが図らずもこの中でちょうど友人に言っていたのと全く同じ話が出てきた。1942年から始まった河南の大飢饉のことで、旱魃とイナゴの大量発生という天災に加え、侵略していた日本軍による容赦ない攻撃と搾取によって多くの民が餓死したという演出があった。
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