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イスラエルの嘘(4)

イスラエルと言う国は、出エジプト記と言う物語を 
史実と嘘を語り、その物語を根本として、国を建国し、 
さらにアラブ人を弾圧して政治を進めてきました。 

建国の基礎となる、出エジプト記にはおかしなことが多く、 
とても史実とは思えませんし、その出エジプト記を信じる 
ヘブライ人(現在のユダヤ人)は間違っているとしか 
言いようがありません。 

出エジプト記にも明記していますが、
ヘブライ人を弾圧したのはエジプトのファラオであり、
アラブ人ではなく、厳格にはエジプト人です。
その上、メソポタミアから逃げてきた70人ほどのヘブライ人を
非エジプト系居留者として仕事を与え、人頭税を取り、
ヘブライ人の子孫を六十万人に増やしたのは、
エジプトのファラオなのですから、
弾圧したと恨みに思うのは間違っていると思いますが、どうでしょう。

さらに、エジプトにはヘブライ人を弾圧した記録はありません。
隣国からエジプトに遊牧民がやって来て、牧草地を荒らしたと言う
記録があるエジプトに、ヘブライ人を弾圧した記録はないし、
人頭税はエジプト人も非エジプト系居留者も同様に取っており
そういう意味では平等です。

他の資料を読み漁ると、ヘブライ人が弾圧された記録は

紀元前597年、バビロニアのネブカドネザル二世が
現代のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルを含む地域を
統治していましたが、シリア地方の諸王国において、
各地で反乱の火の手があがり、それを鎮圧して、エルサレムを占領し、
ユダ王国を属国とし、エホヤキン王を首都バビロンに連行し、
捕虜としてバビロンに住まわせていましたことと、

紀元前589年にも再びエジプトがイスラエル地方に侵入し、
ユダ王国もこれに乗じて再び反乱を起こしたために、
前587年にバビロンは再びエルサレムを包囲し、翌年、エルサレムは陥落。
エジプトの侵攻も押し戻し、神殿とエルサレムは徹底的に破壊され、
ユダ王国は属州イェハドとして併合されたうえ、
その間に捕らえられた多くの捕虜は首都バビロンへ連行されたぐらいで、
ヘブライ人を捕虜にしたのも、
バビロンの人々でアッシリア人、カッシート人、エラム人などの子孫で
アラブ人ではありません。
逆にこの辺の人々はヘブライ人に近い人々になります。

バビロンと言うのはメソポタミア、今で言うイラクのバクダード付近で
もともとその北方にヘブライ人の祖先は住んでいました

この辺は日本の戦国時代に似ており、
バビロンやエジプトやユダの王は日本で言う戦国の殿様で、
勝った殿様が、負けた殿様の親族を反乱防止の意味で、
勝った殿様の捕虜として自国に住まわせたのと同じ感覚でしょう。

そして、同様に政治や宗教を司る捕虜になった人々を、
反乱の目を摘む意味とその知識を認め、自国の発展のために
自国の部下にしたり、捕虜にしたのだと思います。
そして、負けた国には、勝った国の王が指名した管理者を置いて
そこから税を徴収したのです。
バビロンの記録には、人頭税が支配した国からいくら届いたと言う
記録が沢山あります。

出エジプト記第三十二章は
アロンが偶像崇拝を行ったことに対する神罰と
それを拝んだヘブライ人への神罰の物語です。
まぁ、偶像はいけないけど、主が記した石の板は良いようです。
これもある意味、偶像ですけどねぇ。

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