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試衛館の夏

安政三年 葉月 某日 

「近藤先生、大風たいふうが来るらしいですよ。」 
「そうそう、木戸番から暴風と大雨らしいと聞きましたぜ。」 
「それじゃ、左之、ちょっと雨戸を閉めるのを手伝ってくれ。」 
「宗次ものほほんとしていないで、手伝えよ。」
「源さん、新八さんはどこかへ出かけていますけど?」
「いいんだよ、歳さんと一緒で、どうせ女のところさ。」
「そんなぁ、ずるいですよ。」
「宗次、山南さんなんさんにも声をかけてくれ。」
「えぇ? 源さんが行ってくださいよ。」
「ぶつぶつ言わずに、さっさと行け。」
「あぁ、女の人がいなけりゃ良いけどなぁ。」

「道場は何とかなりそうだが、母屋の方は大丈夫かな?」
「近藤先生、母屋の方も手伝いますよ。」
「そうか悪いな、源さん。」
「みんなはどうするんだ?」
「拙者と宗次は近藤先生のところにいますけど、
他の皆さんはそれぞれ行くところがあるでしょう。」
山南やまなみさんは女の人が来ていたので、
そちらの家に行くと言っていました。」
「左之はどうする?」
俺等おいらかい、そうだな、宗次と道場にいるとするかな。」
「それじゃ、宗次、お酒とつまみにこれで漬物でも買ってこい。」
「えぇ、またぁ?」
「お釣りは、小遣いにしていいから、さっさと行ってこい。」

「行ってきました。木戸も早々と閉めるそうですよ。」
「宗次が買い物の間に、歳さんもはじめも、道場で泊まるとよ。」
「源さん、もう買い物には行きませんよ。 
外は風が出てきましたからね。」
「そうか、それじゃしかたねぇな。」
「ほら、もう、風の音がすごい。」
「本当だな。」
「雷も鳴って・・・」

ごうごうと風の音と稲光が繰り返す江戸の町。

安政風聞集によると、
其ノ夜1856年9月23日戌下刻21時頃より弥益烈敷いよいよはげしく、強雨車軸を流すが如く。
亥刻22時頃過ぐるころほひに至り、風雨いといと、夥敷おびただしく、黒雲中に舞くだり、
黒白も分ぬ其ノ中より雷光四方にほとばしり・・・・・
人々、戦競おそれおののきて更に生きたる心地もなし。

猛烈な台風が伊豆 半島付近に上陸し、江戸のすぐ西を通り、
関東北部を経て東北地方に進んだものと思われる 。
暴風と高潮の被害が大きく、最悪の台風コースである 。
江戸城中をはじめ、諸大名、武家屋敷、大小の家まで
壊れぬものはないほどで、屋根瓦を吹き落とし、
戸障子に至るまで吹き飛んだ。
築地本願寺は前年の江戸地震では瓦が少し落ちたほどであったが
この暴風で全壊した。
浅草三社の前の鐘楼は屋上を吹き飛ばし跡形もなくなった。
湯島天神の銅鳥居と神楽堂が倒れ、芝の青松寺、
本所の霊山寺の本堂なども倒壊し、御廓内の松の大木も折れた。

「近藤先生、昨夜は生きた心地がしませんでしたねぇ。」
「そうか? わしは寝ていて気が付かんかったが、
さいは子供を抱えて震えたいたらしい。」
「近藤先生、道場の瓦がいくつか飛ばされて無くなり、
雨漏りが数か所ありますが、どうします?」
「源さん、悪いが瓦を探して直そうか。」
「宗次、一緒に探そう。」
「えぇ? また私ですか?」
「宗次が一番若いんじゃから、仕方なかろう。」
「土方さんもぅ。」
「ははは、俺等おいらも手伝うから。」
「原田さんは、何時も最初だけですもん。」

いつもの試衛館の朝。

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