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縦の糸は・・・(改 0.1)

釈迦族の王子、後のお釈迦様とか仏陀と呼ばれる人、 
とりあえずブッダと呼びますが、彼の本名すら正しくは伝わっていません。  
当然、生まれた年月なども不明です。 
ただ、80年間生きたと言う記述が多くの経典に書かれているので、 
おそらく、紀元前624年頃に生まれ、35歳から45年間布教し、 
 紀元前544年頃に亡くなったと思います。 
ナザレのイエスより600年ぐらい前の話になり、 
イエスの布教よりはとても長い間、布教活動をしていました。 
ちょうど中国では春秋時代に当たり、太公望が活躍しており、  
日本では大和朝廷、安寧天皇の時代ですから、神話の時代ですね。 

ブッダが話した言葉は、
日本に先に伝わった北伝経典がサンスクリット語でしたので
昔はサンスクリット語と思われていましたが、
実際はプラークリット(インド・アーリア語)に属する
パーリ語またはアガダ語ではないかと言われています。
ただ、プラークリットにはパーリ語、マハーラーシュトラ語、マガダ語、
ガンダーラ語など話し言葉がとても多く、
これがブッダが話した言葉だと言うことが言えません。
当時の歴史的遺物には書き言葉であるサンスクリット語が刻まれており、
サンスクリット語ですら、可能性はあるのです。
南伝経典がパーリ語で書かれているのが多く、
ただ、5~6世紀に入りパーリ語も話し言葉と言うより書き言葉として
スリランカなどの文献から読み取ることが出来るため、
パーリ語?アガダ語?をブッダが話していたと思うしかありません。

ブッダが何を話したのかは、これだと言うモノは無くて、
5世紀頃に経典としてまとめられたモノがパーリ語経典で
日本語では南伝大蔵経全65巻70冊として出版されており、
その中でも、スッタニパータ(経集)が古いと思われており、
1章から5章で70余りのお経がまとめられています。

スッタニパータ
सुत्तनिपातः(サンスクリット語・デーヴァナーガリー表記)
සුත්තනිපාතය(パーリ語・シンハラ表記)
經集(中国語・繁体表示)

パーリ語の「スッタ」(sutta)、サンスクリットの「スートラ」(sūtra)、そして漢語の「経」も、全て原義は「縦糸」という意味で、
パーリ語の「ニパータ」(Nipāta)は「集まり」と言う意味で、
「縦糸の集まり」が原義になります。
横の糸が無いと布にはならないのですよねぇ。
中島みゆきさんはスッタニパータを知っていて、
「糸」と言う歌を作ったのかもしれません。

スッタニパータ、5章は以下のようになっており、
第1章 蛇 12の法話
第2章 小 14の法話
第3章 大 41の法話
第4章 八 16の法話
第5章 彼岸道 前文と謝辞と16の法話

紀元前のパーリ語仏典中に、第4章の「アッタカヴァッガ」、
第5章の「パーラーヤナ」などという書名の引用はありますが、
「スッタニパータ」という書名の引用がないこと、
第4~5章が、古代ヴェーダ語の語形が多かったり、
古い韻律で書かれていたりすることから、
第4章と第5章が特に古いと思われます。

ここで、パーリ語のスッタニパータの一部が読めて、
読誦を聞きこともできます。
日本テーラワーダ仏教協会

英文のスッタニパータの全文をここに掲載しました。

原典が気になる方はこちらを見てください。
この後は、パーリ語も別に記事にします。

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