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100日後に散る百合 - 17日目


久方の 光のどけき 春の日に
静心なく 花の散るらむ

今日の古文に出てきた。

紀貫之のいとこである紀友則が詠んだ歌で、

百人一首のひとつ。

私は「光のどけき」の「どけき」とは何だろうと思っていたが、

「光 が のどか」という意味らしいね。

いやあ、無知も大概にしたい。

歌の意味は、

こんなのどかな春の日なのに、なんで桜は落ち着きもなく散っているんですか、まったくもう。

という感じらしい。

とはいえ、

現実世界は、桜の気配もなくなって、

すっかり新緑の装いになっている。

駅前広場の花壇も、

春真っ盛りの時と比べ、色合いが変わっていた。

「天気がいいですねえ」

信号待ちをしながら、独り言を呟く。

ぽかぽかしていて、

とても眠い。

まあ、実際、昨夜はほとんど眠れなかった。

立川とLINEを交換した興奮だったり、

立川に名前を呼ばれた感動だったり、

立川の名前を呼んだ疲弊だったり、

立川に頭を撫でられた羞恥だったり、

そんなこんなで、眠れなかった。


気がつけば、病室の前。

立川は週末に退院するそうなので、

ここに来るのは、

今日が最後になるだろう。

深呼吸をして、

扉を開け…………の前に。

スマホのカメラで、

ちょっと前髪を直す。

立川について、分かってきたことがいくつかある。

例えば、立川は会話の際に、人の顔をよく見てくる。

私は人と目を合わせることが苦手だけど、

立川がこっちを見ているのは、

十分に感じている。

り、リップも塗り直しておこうかな……

ぬりぬり。

よし。

じゃあ改めて、

深呼吸をして、

扉を開けて、

ガラガラ。

「こ、こんにちは…………」

…………

……………………

応答がない。

いつもは笑顔で迎えてくれるのに。

ゆっくりと、

この部屋の一番奥、立川のベッドへ向かう。

「…………………………………………」スースー

「寝てたのか」

起こさないよう、

静かに傍の椅子に座る。

今日は暖かいもんね。

私も日本史の時間は寝ていたよ。

「…………」

あー、

なんて美しいんだろう。

寝ているだけで絵になるんですね、美少女って。

うわー。

寝てる。

寝てるよ、立川が。

まつげ長いなあ。

くちびる薄いなあ。

肌つやつやだなあ。

髪きれいだなあ。

ふふっ。

立川の寝顔、見られるなんてラッキーだな。

ていうか、飽きないなあ。

いつまでも見ていられる。

見ているだけで幸せになる。

ヴーヴー。ヴーヴー。

ポケットの中で、スマホが震える。

まったく、こんな時に誰ですか。

スマホを取り出す。

電話の主は、お父さんだった。

LINEではなく、電話とは何事だろうか。

小走りに病室を出る。

廊下なら、通話して大丈夫だよね?

「もしもし?」

『もしもし、萌花。今、家かな?』

「ううん、病院」

『病院!?!?何!?怪我でもしたか!?』

「あー、ごめんごめん、違うの。友達のお見舞いに来てて」

『なんだ。びっくりしたよ』

「それで、何か用?」

『ああ、仕事の資料が父さんの部屋にあるか、確認してもらいたかったんだけど、家にいないなら大丈夫だよ』

「あー、ごめん」

『萌花が謝る必要ないだろう。父さんこそ、急に電話しちゃってごめんな』

「いや、大丈夫。あ、それより、今日の夕飯なにがいい?」

『赤飯は?』

「まだある」

『んー、じゃあ、魚。サワラとかまだ食べてない気がするな』

「うん、いいね、そうする」

『おお、楽しみにしてるぞ。じゃあ、帰る時、気を付けてな』

「うん」

ピッ。

電話を切る。

昨日の私は、実に浮かれていて、

気付いたら、家に帰っていて、

気付いたら、ちゃっかり赤飯を炊いていた。

しかも結構な量を炊いてしまって、

今日の私のお昼を、赤飯のおにぎりにしても、まだ余った。

というわけで、今晩も我が家は赤飯なのだが、

赤飯の時は、おかずに困る。

白米の感覚でいると、いまいちな感じになって、

毎度どうしたものかと思う。

昨日は、とりあえず天ぷらにした。

シーズンが終わってしまう山菜と、

これからが旬の新生姜。

その他、諸々を揚げた。

赤飯には合うのは、塩と出汁、というのが私の結論で、

天ぷらは、塩かめんつゆを付けて食べるので、ちょうどいい。

あと、揚げ物は赤飯に結構合う。

今夜は、お父さんからサワラのオーダーを受けたので、

まあ、塩焼きか、みぞれあんかけとかでも良さそう。

あとは、確かまだ残っていたほうれん草をごま和えにしよう。

胡麻も赤飯には合う。

「さてと、立川は起きたかな」

病室に戻ると、

立川はまだ寝ていた。

立川の好きな食べ物って、なんだろうな。

和食かな、洋食かな、中華かな。

もし、そういう機会があったら、

私の料理、食べてほしいかな~

なんて。

立川になら、毎朝お味噌汁を作ってもいい。

夕飯も、毎日豪華にしちゃう。

私「おかえりなさい!ご飯、もう出来てるよ」

立川「今日も豪華だね、萌花」

私「いつも立川が美味しく食べてくれるから、嬉しくって」

立川「あれ、萌花。私のことは”立川”って呼ばない約束でしょ?」

私「あっ、ごめんなさい」

立川「残念。せっかく、ご飯を食べたら、一緒にお風呂に入って、そのまま萌花もごちそうになる予定だったのに」

私「そんな!待って、私、呼ぶから!」

立川「そう?じゃあ、どうぞ」

「さ、咲季…………」

「なあに~?」

「うひぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?!?!?!?」

「んー、うぅさいなぁ」ムニャムニャ

ああ、もう!!!!

びっくりしたー!!!!

寝言かよ!!!!

危ない危ない。

妄想もほどほどにした方がいいな。

というか、寝言言う立川可愛すぎでは??


しばらく立川を眺めていたが、

まるで起きる気配もなく、

私は、日本史の教科書を読んで時間を潰していた。

正直、授業の最後まで寝ていたので、どこまで進んだのかよく分からない。

とりあえず、平安時代のところを一通り読んだので良しとする。

教科書を閉じ、

ふと、立川を見ると、

髪が1,2本、口に入ってしまったようで、

なんとなく不快そうな表情をしていた。

指をそっと伸ばして、

髪を掬う。

「すごい、本当にきれい」

思わず口にしてしまうくらい、

絹のようになめらかだった。

そして、今までその髪を含んでいた、口もどこか官能的で、

少し半開きになった様が、

なぜか私をドキドキさせてしまっていた。

ヴーヴー。ヴーヴー。

あれ、また電話、

と思ったが、私ではない。

立川のやつだ。

ベッドを挟んだ向こう側の棚の上で、昨日見た立川のスマホが震えている。

んー、電話だよな。

起こすべきかな、これ。

いやでも、なあ。

ヴーヴー。ヴーヴー。

あ、スマホがバイブの振動で少しずつ動いている。

あのままだと、棚から落ちちゃう。

もう、仕方ないか。起こそう。

「立川さん、立川さん!!」

優しく肩をゆする。

しかし、起きそうにない。

くっそー、可愛いな。

「起きて、電話なってる。スマホも落ちちゃう」

ヴーヴー。ヴーヴー。

鳴り止む様子はない。

「起きて―、起きて―」

ヴーヴー。ヴーヴー。

だめだ、起きない。

ああ、もう落ちる!

しょうがない、もう私が助けよう。

ベッド越しに、向こうの棚へ片手を伸ばす。

あ、これ思いのほかギリギリ届かないな。

んー。

んー!!

もうちょっと。

空いてる手を、枕元の方にある柵に添える。

よいしょー。

お、届いた。

よしよし、救出完了。

ふう。

というか、

これ、こんなことしなくても、

ベッド回り込んで取りに行けばよかったじゃん。

バカかよ、私。

こんな無理な体勢で…………

「…………あ」

私は、自分の状況に気付く。

立川の頭上に手を置いて、

まるで覆いかぶさるような状態だった。

そして、立川の顔と、私の顔がめちゃくちゃ近い。

近い。

近いのだ。

そう、近い。

この前、立川が迫ってきたことを思い出す。

昨日、立川に手を握られたことを思い出す。

さっき、唇にドキドキしたことを思い出す。

ここは相部屋だけど、他の患者はいない。

すなわち、それは、

この空間に、2人だけしかいないということだ。

そして、今、立川は寝ている。

これは、

これは、やばいのでは!?

理性が、ちょっとずつ侵食されているのが分かる。

けれどなぜか、いやに冷静で、

私の脳を乗っ取ろうとしてる。

私は、何も考えないようにしているのに!!

立川が、ただ近くにいるだけだ。

まつげが長くて、

くちびるが薄くて、

肌がつやつやで

髪がきれいで、

今、この状況なら、

立川にキスをしてしまってもいいんじゃないか。

いやいや、違う違う!!!

そんなことは、考えてないよ!!

キスしろよ。

考えてないってば!!!

2人しかいない部屋で、立川は寝ていて。

だから、違うって!!!

こんなチャンス、もうないかもしれないよ?

今を逃したら、一生後悔するよ?

違う違う違う違う!!!

キース!キース!

やめて!!!

こんなの、ずるいよ!するならちゃんとしたい!!

は?

”ちゃんと”って、何?

例えば、その、そういう関係になってから、とか。

”そういう関係”って、何?

それは、その、こ、恋人とか…………。

なれるの?

知らないよ、そんなの。

だよね。将来のことなんて、何も分からないもんね。

ええ、分からないですよ、それがどうかしましたか!!

「う~ん、ぁ……」

「!!!!!!!」

急に立川が、寝返りを打って、

私は即座に、体を退かした。

あ、あぶねー。

はあ、はあ。

無意識的に息を止めていたようで、

やや呼吸が荒い。

手にした立川のスマホを、ベッドにそっと置く。

まったく、私は何を考えているんだ。

立川の立場になって考えてみろ。

出会って間もない同性のクラスメイトに、

寝ている間にキスされたら最悪だろ。

最近、少し仲良くなったからって、

調子に乗るんじゃない。

反省しろ、反省。

静心を持つんだ。

よし、教科書でも読もう。


「……か!…………えか!」

綺麗な声が聞こえる。

すぅっと、心に染み込んできて、

これこそが、静心かと思う。

「もえかー!起きて―!」

「ふがっ」

「あはは、起きた」

うっ、

立川の顔が近い。

さっきほどじゃないけど、

寝起きにこの顔面は、少し胃もたれしそうだ。

「萌花、寝ちゃってたよ。ていうか、私が寝てたからか!ごめんね!」

「あ、いや」

ちょっとずつ、意識が鮮明になる。

寝顔見られたのか、恥ずかしいな。

うつむくと、腕時計が目に入った。

「あ、私、もう帰らなきゃ」

「ごめんね、せっかく来てくれたのに」

「ううん、気にしないで」

寝顔見れたから、全然満足だし。

「週末で退院なんだよね」

「そう。だから、来週からは学校いけるよ」

「そっか」

その後、

なんとなく話をして、病室を出ようとする。

あ、そうだ。

「この辺って、魚屋とかある?」

サワラなら、スーパーに売ってるかもしれないけど、魚屋の方が確実だ。

せっかく駅の方まで来てるんだし、あるなら寄りたい。

駅前には、これまでに何度も来てるが、

病院の方には、あまり来たことがないので、この辺の地理には疎い。

「いや、あんまり知らないかな。私、ここの人じゃないし」

「あ、そうじゃん。忘れてた」

そうだ、立川は電車通学だった。

「そういえば、どこ住んでるの?」

「上新納だよ」

ここから電車で3駅ほどだ。

そう遠くはないな。

「ところで、なんで魚屋?」

「いや、寄ろうと思って」

「何買うの?? 今の時期だと、キスとか?」

キス。

その言葉は、私の記憶を呼び起こすのに十分なトリガーだった。

私は、顔を真っ赤にしながら、

立川に別れを告げ、

足早に病院を出た。

まだ日は出ていて、暖かい。

結局、いつものスーパーに寄ることにしたが、

一度、深呼吸しておこう。

静心を持つんだ。


道中、私は何の気なしに、立川にLINEを送ることにした。

『キスの旬は、もうちょっと後だよ』

これが、記念すべき初LINEである。



#100日後に散る百合

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