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人生の良し悪しとは ー 「銀河鉄道の父」を観てー

宮沢賢治の一生を思うたび、思うことがある。
それは「その人の一生がいいものだったのか、ということは死ぬときにはわからないし、死んだ後でもわからないものだ」ということ。
でも、それと共に賢治の生き方は、枠に捉われず不器用にもがき苦しみながら生きる勇気を私たちに与えてくれる。
だからこそ死後90年経った今もなお、何度も彼の生涯がさまざまな形で語り継がれているのだろう。

今でこそ自己の価値観がひとりひとり尊重され、自分の将来は自分で決められる時代だけれども、賢治が生きていた明治、大正、昭和の時代はまだまだ長男は家業を継ぐもの、という考えが強かった時代。
賢治が家業を継がず、自らが望んだ信仰や文学で生きる道を選択する中では、賢治と父・政次郎との間にはものすごい確執があっただろう。
そのような時代の中で、結果としては自分の信念を押し通した生き方をしたのだから、賢治はよほど自我の強い人物であったように思う。
そこにはいつも天候に左右され、苦労している農民の人たちがいる一方で、裕福な商家に生まれ、何不自由なく暮らしていける自分に対する罪悪感というものが根元にあったのではないだろうか。
晩年に書かれた「雨ニモマケズ」からは賢治のそんな苦悩が強く感じられる。

そのような作品もある一方で、賢治の童話はいつ読んでも独自の世界観で私たちを温かく包み込み、故郷への愛情を思い出させ、人間のもつ善悪の両面を諭してくれる。
ふと故郷のことを思い出したとき、私はいつも「雪わたり」が読みたくなり、ずっと昔から手元に置いている絵本をひっぱりだしてくる。
読むたびに、白と黒のモノクロで覆われた美しい雪国の冬が目の前に見える気がする。
自分の中にある人や故郷の暖かさに触れた大切な記憶。
それを思い出させてくれることが、賢治の作品の魅力であり、何年経っても世代を超えて読み継がれる理由であると思う。


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