【短編小説】無料アダルトサイト

 全く便利な世の中になったものだ。スマホのひとつさえあれば、無料でアダルト動画が見放題なのだから。
 金を払わずにコンテンツを得ることに関しての批判はわからないでもないが、実際のところ俺のような金のない大学生なんかは殆どがこのサイトのお世話になっていることだろう。
 昔はレンタルビデオ屋で借りたり、先輩や男兄弟から譲り受けたりして視聴していた、なんていう話を聞く。しかし俺が物心ついた頃には既にインターネットが普及していたいたので、そんなものは遠い話だ。

 学校とバイトを終えて帰宅すると両親はもう寝床についている。そんないつも通りの時間に、電気を消して自室の布団の上に仰向けに寝そべり、イヤホンを装着し、無料のアダルトサイトを見るのが俺の日課だ。
 適当なワードを打ち込み、ずらりと表示されるサムネイルの中から好みの動画を求めて画面をスクロールしていく。だが、どれもいまいちピンとこない。
 十分ほど経っただろうか。半ば投げやりに動かしていた親指を止め、ひとつの動画をタップした。動画タイトルは「無題」という簡素なもので内容はわからなかったが、サムネイルに写っている黒髪の女性のアップが中々に好みだった。そのせいか不思議と惹かれたのだ。
 視聴ページに移動し広告を飛ばす。
 再生時間は四十分ほどのようだが、どうにもおかしい。再生時間は進んでいるのに、画面が真っ暗だ。怪訝に思ったが、やっと見つけた、という執着心から視聴を続けることを決め、五分ほどスキップしてみた。

 すると、全体的に少し暗いが問題なく映像が始まった。どうやら、どこかの和式便所の個室内を定点カメラで斜め上から——たぶん隣の個室と区切るための壁の上か天井にでも固定して撮影しているのだろう。
 古い動画なのか、それとも撮影機材が安物なのか、「サー」という小さいノイズが入っており、画質が粗いものの、特に気になる程でもない。
 メーカーが製作した作品の一部なのか、個人撮影なのか、どちらにせよ本当に盗撮である可能性は低いだろう。

 それから数分経った。「このまま何もないトイレを映し続けて終わったら怖いな」なんて思いながらスキップボタンを押しながら見ていると、若い男女が入ってきた。
 そのちゃらついた服装や茶色く染めた髪型は、どちらも所謂ギャル系というか、やはり少し昔に撮られたものなのだろうと推測できる。
 二人が事に及ぶのを惰性で見ていたが、特別エロい展開もなく、なにより画面が暗くて粗いので他の動画を探そうと動画の半ばでページを閉じようとした時だった。
 いつの間にか、どこからか、ガタガタと小さい音が鳴っている。
 気になったのは、それは性行為によって出ている音ではなく、硬い無機質なものが擦れ合うような、例えるなら重い陶器を一生懸命に動かしているような、そんな音だということだった。
 なぜか意地になってしまった俺は、スキップボタンを押して行ったり来たりして音の正体を探る。
 男女が入って来る前まで映像を巻き戻すと、その音の正体がわかった。
 どうにもそれは、トイレのタンク内から鳴っているようだ。

 あれ、こんな音さっきも鳴ってたっけ?

 不思議なものを見つけてしまったかもしれない、という高揚感と興奮に満たされる。当初の目的とは違うが、もともとオカルトの類が好きだったのもあり、俺はすっかりこの動画に興味を惹かれていた。
 相変わらず画質が悪く暗いのでよく見えない。だが、音と共にタンクの蓋が動いている。
 あまりに不自然なその動きに、やはり行為の揺れによるものかもしれない、とも考えたが、それにしてもおかしい。
 蓋は、内側から押し上げられるかのように動いているからだ。
 そもそも、男女がタンクにもたれかかっているとかならまだしも、指一本触れていないのだ。揺れる筈がない。
 いつの間にか、初めて音に気付いた動画の真ん中あたりまで戻ってきていた。
 それに、さっきまでの音に加え、タンクを内側から殴りつけるような鈍い音もする。蓋は数センチ浮き始め、何かはわからないが中身が覗いている。明らかにおかしい。

 俺は今、なにか見てはいけないものを見てしまっている——。

 怖くはあったが、俺はそれを楽しんでいた。どうしてもタンクの中身が気になる。そこで、蓋が開いた瞬間を狙ってスクリーンショットを撮った。
 保存された写真を開き、加工アプリで画像の明るさを上げ、タンクを拡大する。
「それ」が何か理解した瞬間、全身が粟立ち、乾いた口の中から異臭がするのを感じた。

 それは、細い腕だった。
 心臓が跳ねる。

 今まで友人たちと心霊スポットなどにも出向いたこともあったが、画面越しとはいえ「見た」のは初めてだ。しかも、再生する度に「それ」の主張が大きくなっている。きっとこれは本物だ。
 恐怖心はあったが自身の好奇心に負け、もう一度動画を開く。
 何者かが、ドンドン、と殴る。最初から聞こえていたノイズも大きくなっている。男女の声を掻き消すほどに。
 ドンドン、ドンドン、ガンガン。殴りつける、くぐもった音。
 ザァー。雨音にも似た、ノイズ音。
 タンクの蓋は大きく浮き、動画の中でもうっすらと「腕」が確認できた。
 
「ウー」

 いま、たしかに声がした。ざわりとした感覚に襲われ、胸騒ぎがする。
 ウー、んー、ドンドン、ウウー。
 声は、口を塞がれた状態で呻いているような様子だ。
 それに、この声、だんだんと近付いてきている。

 恐怖が好奇心を上回り、動画を閉じてブラウザバックした。
 いつものアダルトサイト。「無題」というタイトル。長い黒髪の女性の顔がアップになったサムネイル。それらはさっきまでと全く同じなのに不気味に思えて、俺はそのままタブを閉じた。

 汗をかいたからか、喉がカラカラだ。飲み物でも取りに行こうかな、と思ったのと同時に、ひとつの疑問が浮かんだ。
 サムネイルの黒髪の女は誰だったんだ?
 動画内に登場したギャルっぽい女は、ひと昔前を感じさせる、毛先を梳いた茶髪だった。それにカメラアングルはずっと天井に近い位置からの定点で、アップが映ることそのものが有り得ないはずなのだ。

 少しの間考えたのちに、せいぜい意地の悪い投稿者が「サムネイルを美人にして視聴者を釣ってやろう」とでも思ってサムネイル画像だけを別に設定したのだろう、という結論に至った。
 気持ちが落ち着いてきたからか、途端に馬鹿らしくなって苦笑が漏れる。
 びっしょり濡れた背中を布団から引き剥がし、寝返りをうって横向きの体勢になった。
 なんにせよ、本物の心霊映像を見つけたのだ。明日、時間は零時を過ぎているので正確には今日、友人に自慢でもしよう。
 所詮、動画を閉じてしまえば終わりだ。サムネイルの女もどうせ、アイドルだかネットで拾った画像か何かだ。
 そう自分に言い聞かせるようにして、耳からイヤホンを抜き、咳払いをしようと息を吸い込んだ時だった。

「うしろに、い、る、ー」

 男とも女とも言い切れない、掠れた声がした。耳のすぐそばで、苦しそうな呼吸が聞こえる。俺は息を吸ったまま押し黙る。今すぐにでも逃げ出したいが、体が全くいうことを聞かない。    
 一瞬でも瞼を閉じてしまえば、次開くとき……と想像すると、瞬きすらできなかった。
 時間にしてみればたったの数分、もしかしたら数十秒かもしれない。どれだけの時間が経っただろう。未だに荒く生暖かい息が耳に掛かり、その度に水が腐ったような異臭がする。
 そのうち我慢がきかなくなり、唇を噛み、渇いて痛みすら感じる眼球をゆっくりと動かす。
 その瞬間、ダン、と下から突き上げられる衝撃があって、淀んでいた空気が動き始めたのがわかった。
 動かない体に鞭を打って立ち上がり、急いで電気を点け、部屋を見渡す。いつも通りの見慣れた景色だった。
 
 それから家中の電気を点け、スマホのスピーカーを大音量にして、お笑い系の動画を見ながらリビングで朝まで過ごした。
 
 朝になって起きてきた母親に、「夜中に地震がなかったか」と聞いてみたが、あんたが寝ぼけてただけでしょ、と相手にしてもらえなかった。SNSで検索して、この地域で地震などなかったと知ってはいたが、やはり衝撃を感じたのは俺だけだったのだ。そして、その原因は「あれ」だったのだろう。

 このことを一人で抱えているのが不安で、休み時間にオカルト好きの友人に話した。すると予想通り「是非見せて欲しい」とせがまれた。
 かなり渋々ではあるが、昼間の大学で周りに人も多くいる安心感もあって、ブラウザの履歴から動画のページを開く。だが、例の動画は投稿者のアカウントごと削除されており、保存したはずのスクリーンショットも全て真っ黒の画像になっていた。

 あれが何だったのか、なぜタンクの中なんかに居たのか、俺の後ろにいたものと同じ存在なのか、誰が何の目的でアップロードした動画なのか。今となっては全てわからない。
 ただひとつ言えるのは、無料アダルトサイトで動画を開くことが恐ろしくなったということくらいだ。

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