【第864回】誰とでも仲良くしなくちゃいけないわけじゃない - Madoka Sawa https://voicy.jp/channel/632/92483 #Voicy
【第864回】誰とでも仲良くしなくちゃいけないわけじゃない - Madoka Sawa
https://voicy.jp/channel/632/92483
#Voicy #書き起こし
仲良くする相手は選んでいい
いかがお過ごしでしょうか。澤でございます。
今日僕は日中にですね、
ハイブリッドサラリーマンクラブという、僕もリーダーズをやらせてもらっている、オンラインサロンのちょっとした集まりに行ってきたんですね。
何人位居たんだろう、20、30人居たのかな?
バーベキューをやってたんですけれども、もちろん三密は避けてですね。
屋外へ非常に楽しい時間を過ごしたんですけれども、
やっぱり社会人になって、自分から望んで属しているコミュニティで時間を過ごすってのは、これは本当に快適なんですよね。
まぁこのオンラインサロンなんていうのが無ければ、絶対に出会わないであろういろんな業界のですね。
それも僕よりももう2割位歳が下の人たちとかもいて、いろんな刺激を受けたりとかですね。
だけど、やっぱり関係としてはフラットで、非常にこれ楽しい時間を過ごすことが出来ました。
こうやって自分が仲良くしたいなと思う人たちの中に入るっていうのは、幾つになっても、すごくいいもんですよね。
でも、思い返すとですね。
子供の頃ってそういう風には教えられないんですよね。
子供の頃には、誰とでも仲良くしなければならないみたいですね。
兎に角、人間関係っていうのを選ばず、兎に角仲良くしろというような、そういう風潮というか、教育方針というか、何となく、そういうものが支配的なものがあるんじゃないかなと思うんですけれども。
考えてみたらですね、うんな訳ないんですよね。
世の中そういう風に出来てる訳ではないので、誰とでも仲良くするなんていうのは、無茶苦茶な話なんですよね。
もう考えてみると、例えば、小学校の時とかですね。
もう絶対、みんなと仲良くしなければならないっていう前提でいろんなものが組まれている訳ですね。
例えば、フォークダンスをしなさいって言ってですね。
好きでもない人の手を繋がなきゃいけないとか、まぁ拷問ですよね。
あるいは、修学旅行とかあれなんですかね。
行きたくもない旅行に無理やり連れて行ってですね。
集団行動を学びましょうとかって、まぁぶっちゃけ拷問ですよね。
僕も大嫌いだったんですけれども、ああいう矛盾というのを子供に押し付けるっていうのは、これどういうことなんだろうなって、未だにによく解ってないんですけれども、誰かが非常にわかりやすく説明してくれる方が現れることを期待してるんですけど。
全然あれ何というか、論理的じゃないというかですね。
完全に論理破綻してですね、だってそういうことをやっている教員の人たちって全員が完全に仲がいいかというと、全然そんなことないですよね。
多分、先生をやってる方ならわかると思うんですけれども、教員の間っていうのは、必ずしも1枚板じゃなくて、教育方針が合わなかったりとか、生理的に駄目とかっていう理由で嫌いな人って絶対いるわけで、にもかかわらず、だから、子供なんだから、みんな仲良くしましょうというのは、やっぱりもう暴力に近いかなっていう感じもしますよね。
なんていう話をですね、さっきかみさんとちょっとしてたんですけれども、兎に角、誰もが仲良くなるというのはちょっと無理があるよねっていう、そういうところですね。
そして、この誰もがうまくやっていくという前提でいろんなものを構築していくと、当然のことながらですね。
心に思いっきり、負担がかかってくる訳ですね。
例えば職場なんかもそうだと思うんですけれども、当たり前ですね、合わない人っていますよね。
おまけにその合わない人っていうのが、自分の組織上の上司だったり、立場の上の人間だったりとかすると、これ全部まともにストレスという形でかかってくるんじゃないかと思います。
それを跳ね返すというのは、結構パワーいりますよね。、僕はおかげさまで、30年近く社会人をやってるうちに、そういう風なプレッシャーってのを感じずに済むような生き方っていうのを選ぶようになりましたけれども、今日あったですね。
ハイブリットサラリーマンクラブの若い人たちというのは、きっとこういうプレッシャーっていうのを晒されてる人、多いんだろうなぁなんて感じながら、こう会話をしてたんですけれども、20代、30代、場合によって40代の人たちも、何かこの人合わないなあとかですね。
この上司嫌だなぁとかって思いながら、仕事をしてる人たちもいるんじゃないかと思いますし、あるいはですね、個人でやってる人たちも、このお客さん嫌だなぁとかって思いながら、だけど毎日会わなきゃいけないと、ものすごくプレッシャーになりますよね。
そしてストレスとしてどんどん溜まっていくんじゃないかと思うんですけれども。
これはですね、僕としては言いたいのはですね。
誰とでも仲良くするなんていうのは全く必要がないですし、嫌いな奴は嫌いでいいという風に、自分の中でちゃんと許してあげるというのが重要かなと。
要するに、その人のこと嫌いな自分というのが間違ってるんじゃないかなんていうことは、思う人は全然なくてですね、嫌いなやつは嫌いで、もう済ませてしまっていいということなんですね。
だけど、例えばその仕事の上で、どうしても付き合いが発生するっていうのであれば、接点をとにかく最低限にするというのが、テクニックとしては大事かなと思います。
例えばですね、このコロナウイルスのおかげでですね、飲み会とかっていうのは、激減してると思うんですけれども、まぁそういう飲み会とかですね。
自分のプライベートの時間っていうのを使われるものは全部排除するという、それはある意味ですね。
腹くくって徹底してやるっていうのは、やってもいいことなんじゃないかなと思います。
それによって場の雰囲気が悪くなるとかですね。
空気読めよとかっていうことになるかもしれないんですけど、自分の時間を相手に献上する必要は一切ありませんので、嫌いな人間のために時間を使うというのは、徹底的に避けていいという風に思ってますし、これからの時代、それが許されるんじゃないかという風に僕は踏んでるんですね。
主に若い世代から、これは是非ムーブメントとしてやってほしいなと思うんですけど、嫌いな奴のために時間を割くっていうのは、絶対やらないでいいかなと思いますね。
昔々はですね、どんなに嫌いでも、例えば自分の結婚式には上司を呼んで、その上司っていうのに何か挨拶をさせたりとかですね。
何か席で優遇したりとかっていうことが、強制される社会があったと思うんですけど、ナンセンスですよね。
そんな必要は一切ないなと思いますし、そんなことで自分の貴重な人生のリソースっていうのを投資するという必要はないかなぁと思います。
もしこれが家族であってもですね。
こいつ嫌いだと思ったらですね、嫌いは徹底していいと思うんですね。
家族だから絶対仲良くしなきゃいけないなんて呪縛はですね、もう解き放されていいという風に僕は考えています。ですんで、家族だから、これはきっと大事にしなきゃいけないんだなんて思う必要は全然ないですし、本当にこの人絶対駄目っていうのであれば、家族であっても、縁は切っていいという風に思ってます。
何かですね、こんなことを思ったのは何でかなも思ったんですけど、考えてみたらですね、これしょうもないあの理由かもしれないんですけれども、Facebookの広告で、昔々これは中学かな高校かな?のときにいじめられてた相手に復讐するって漫画が広告でやたら出てきたっていうのでちょっと思い出したんですけれども、それでどうしても許せないからってね復讐していくって話なんですけど、別にその復讐しなければならないとかっていう話じゃないんだけど、例えばそのときには、友達のような顔をして付き合って、やたらいじめるというような人が、ある意味それをずっと心の中に持っていて、最終的に復讐という形で攻撃をしていくっていうそういう話なんですけれども、それでふっと思い出したんですね。
あー確かにですね、嫌いなやつっていうのを無理やり好きになるじゃなくって、心の中であればどんだけ復讐しても構わないわけだし、もっと言うと、復讐しなきゃいけないところまで追い込まれないうちに逃げちゃえばいいんじゃないかなって何ていう風に思った次第でございます。
ということですね、嫌いな奴のために時間を使うとか、心のリソースを使うっていうのは無駄なのでやめましょうね。
僕もそれを徹底するようになってから、心穏やかに日々過ごせているような気がします。
次のチャプターではまたコメントたくさんいただいてるんで、コメント返しをしていきたいと思います。
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