見出し画像

メタ気分

気分に振り回されている29歳児です。おはようございます。
嬉しいときは調子よく、落ち込んだときはとぼとぼと、人生をやっております。

最近は文章が書けません。
書くほどのことがないからです。
書いてまで伝えたいと思うことがないのでしょう。
書いて伝えるからには盤石なものを、堅牢なものを、と思っているのですが、そういうものに僕はどうも出会えていません。

出会えるのかもよくわかっていません。
出会えないんだな、と確信することこそが出会うことなのかもしれないとも思いますが、それすらもあやふやな仮説にとどまっています。

まだまだ足りないな、と思います。
いや、足りていないという見方が正しいのかさえよくわかりません。
足りないってのは「一定の基準に達すれば次の段階に行ける」ということを前提とした物の捉え方です。
はたして「足りる」ということがありうるのか?という問いへの答えが出ていない以上、「足りない」という言葉が現状を捉えるものとしてどれだけ適切かはちょっと怪しいと考えるべきでしょう。

つまり僕は、どう生きていったらいいのか、今もまだよくわかっていません。

最近は国道沿いを散歩するのが好きです。
頭上に高架の高速道路をながめながら、車通りの多い国道をとぼとぼ歩きます。
高速道路っていいよな、1万年後に人類が滅んじゃったとしてもそこに形を残してひっそり在りつづけそうだよな、なんてことを思うのです。
風が吹いても雪が降っても日に灼かれても音ひとつ立てずに静止していそうです。
もちろんたとえば1万年も経たないうちに人間が高速道路に限らず既存の建造物を片っ端からぶっ壊して回ることも、そしてその結果高速道路も残らず失われてしまうこともあるかもしれないですが、まぁそれはどうでもいい。どうでもいいです。
高速道路がなくなったって代わりに何かがそこには在るでしょうし無ければ無いでそこには何も無いが在るでしょう。

とにかく僕は、ちっぽけで儚い自分に比べて巨大で堅固な高速道路が、そしてその下を血管みたいに走る国道が、そしてそこを排気ガスを吐き出しながら気だるげに走っていく車の群れが好きなのです。

死んでしまうかもしれない、それこそ明日にも。けれども高速道路に象徴されるこの世界はたぶん僕が死んでからしばらく経っても在ります。
高速道路に比べて自分はなんて流動的であいまいで不安定なんだ、かげろうみたいだ、ケーキのロウソクの上の誰かが身動きするたびゆらゆらっと揺れるちっちゃい炎みたいだ。と僕は思うわけです。
いろんな希望があります。未来予想図があります。不安があります。宗教的世界観があります。
でもだいたいはまやかしですし人間はそれら希望や未来予想図や不安や宗教的世界観のようには流れていきません。
信じられないくらいにくるくると、それこそ川の水面に落ちた赤茶けた葉っぱみたいに、流れに抗うこともできぬまま、自分でも予想できないような意味不明なルートをたどってどこかへと運ばれていきます。あとやがて死にます。人は生き物なので。

生き物には生きる意味はないそうです。
生まれてくることにも理由はないそうです。
そういう話を聞きました。
真偽は不明です、真相はもっと別のところにあるのかもしれないけどその辺の事情を感知できるように人間はつくられていないのでまぁ正しいとか正しくないとかという観点であれこれ考えるのは不毛なような気もします。

でも僕もたしかに「生きる意味はないし、生まれてくることにも理由はないな」と思います。

こんなこと言ってると「じゃあさっさと死んだらいいじゃないか」と言う人も現れそうです。
でも死にたいとか死のうとか思うかって言ったらそんなことはないんです。
怖いってのもありますが「どうせ来るものをわざわざこっちから迎えに行かなくたってな」「やれそうなことを一通り試した感じもないしな」みたいなことも思うから死にません。いや、生きようとする志向みたいなものがそういう理屈をこねさせているのかもしれない。
その辺もよくわかりませんがどっちにしたって僕はまだ死ねないし死なない。自分の意思にかかわらない何かによって死ぬかもしれないけど。

でも死ねない、死なないことが生きる理由になるかっていうとそれじゃ足りないんですよねぇ。

あたしだいぶ欲張りなのかもしれない。
生きているくせにそのうえ何かをほしがるなんて。
うん、書いてみてわかった。欲張りだ。欲張りもいいところ。
そしてその欲が夢を見させ、希望を求めさせ、まやかしを見せ、何かを信じさせる。
ずるいよな、何かのために生きようとか、そんなただの欲張りの帰結を大義名分みたいに掲げたりして。
もっと欲望に素直になったらいいんだ、って思うけどさ、それをやれるほど器用じゃないというかそこをオブラートに包むに器用すぎるのが人間、人間っていうシステムなんだよね。たぶんね。

ごめん、だからね。
欲張りであることを、たぶんまだやめられないと思うのね。
希望を持つことを諦められないと思うのね。
くだらねえ人生だったなって思わないで、人生なかなか悪くなかったじゃんって思って死ねるような意味づけをね、自分のために見つけてあげたいって思うの。どうせ無意味に耐えられないんだったらさ。

でもそのことについて考えるたびに思うの。
「俺にはまだ、力が足りない」って。
世界を見てないの、絶望を理解してないの。
世の中がどうしようもないクソの掃き溜めであるけれどそれでもそこに希望の種があって人はそれにすがりながらなんとか前に進んでいける、みたいなJ-POPの歌詞にでもありそうなテーゼをありのまま正確に自分の胸に刻み込んではじめて何かが始まる、そこに立たなきゃ希望なんてどこまでいってもまやかしにしかならないだろって気がするの。
わかる???????????? だからこそ私は飽きるまで何度も何度も人と話してるの、話したいと思ってるの。

愚かな自己陶酔かもしれないし、明日死んだら全部パーになっちゃうんだけど、そうなっちゃったらそうなっちゃったで。
ねえ、だってどうせ人は何もしなくたって自分に酔ってるし大抵明日も死なないでしょ?? メメント・モリとか言うけどさ。本当に思ってる奴だけ言ってくれよそういうことは。


明日も頑張って生きます。
まだまだ力が足りないですが、力を高めるべき方向性はちょっとだけ見えている感じがあります。
そこに向かって僕は自分の命を費やしている最中です。
あんまり頑張っているようには見えないかもしれませんが、まぁ僕としては精一杯やっているつもりです。


勝手にやらせてもろて!!!!

ここから先は

0字

¥ 1,000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?