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恋愛相談は不毛なのか

「恋愛相談はつまらない」という趣旨の発言を、あちこちでよく耳にするような気がする。

「そんな声ばっかり拾うのはあんた自身がそう思ってるからじゃないのか」と言われてしまうと、正直返答に窮してしまう(本当のところ自分がどう思っているのかよくわからないからだ)。
ただ、つまらないかどうかはさておき、恋愛相談は「難しい」とはたしかに思う。
他のジャンルの相談事に比べて、どう聞いたらいいかがあまり自分の中ではっきりしていない感覚はある。
もうちょっとスッとやりこなせたらいいのになと相談を受けるたびに思っている気がするのだけれど、いまだにどうもうまくやれない。

しかしだからと言って「恋愛相談なんてつまらん、あんなのは不毛だ」と切って捨てるのも何か違う気がする。
というのも、少なくとも「俎上に載せられている問題がある」という点に目を向ければ恋愛相談だってたしかに相談の一種であるはずで、そして相談の一種であるからには、他の種類の相談と本質的には重なるところがあるはずだからだ。
難易度あるいはそれ以外の何かにおける違いこそあれ、恋愛相談も相談にはちがいない。
それを恋愛相談だけを特別視して「こんなのはやめだ」と放り捨てるのは、何かおかしな話であるような気がする。

恋愛相談だって、他の相談と同じように楽しく聞くコツがあるはずだ(そもそも「相談は楽しく聞くのが一番」みたいな賛同をどれだけ得られるかわからない大前提がここにはあるわけだが、それについては一旦そっとしてほいてほしい)。
今日はちょっとそのことについて腰を据えて考えてみたい。
どうしたら我々は恋愛相談というものを楽しく味わうことができるのだろう?

そもそも相談を聞くって何だ

いきなり見解が分かれまくりそうな話だが、ここを考えないうちに次に進むわけにはいかないだろう。
そもそも相談を聞くって何だ。何をすることなんだ。何ができればやりこなせていることになるんだ。
真面目に先達の見解やら何やらをひっぱってこようと思うとキリがなさそうだしちょっとだるくなってしまうので、もう独断と偏見で最後まで突っ走ろうと思う。

思うに相談を聞くとは「相手が自分自身で答えを見つけ出す手伝いをすること」だと僕は思っている。
要するに、相談を聞く側が主導するかたちで問題解決の糸口を探し出すというよりは、あくまで相談者がその糸口を自ら探し当てるのを聞く側が隣ないし後ろから援助するイメージだ。
もちろん傍目八目って言葉もあるくらいで「あ、この話たぶんこれで一発だな」みたいな具合に解決の方針が早々に見通せてしまうケースも少なくないとは思うし、状況によってはそれをバシッと相談者に突きつけて終了、ということでもかまわないだろう。
ただ、基本的には相談者の援助に徹するのが、穏当かつ外れにくいやり方だと個人的には考えている。

じゃあその「援助」というやつを具体的にどう行っているか。
思いつく限りでバラして考えてみると、こんな感じになるかと思う。

・とにかく安心してなんでも話してもらえるようなスタンスを示しつづける(話を遮らないとか否定しないとか不必要にでかい声出さないとか)
・実際話せることは一通り話してもらう
・意味のはっきり拾えない箇所やより細かく意味を明確にしたい箇所について、適宜質問を投げる
・上記から得られた情報から、問題を構成している体系みたいなものを仮設的に組み上げていく(これは意識的にやっているというよりは勝手に頭の中で作業が進む)
・この段階で相談者にまだ迷いのようなものが見られれば、得られた体系に沿って適宜問いかけなどを行い、質問者自身にいっそう発話や思考を行ってもらう

こんな感じだろうか。
運がよければ相談者は何かを得てすっきりした顔で帰っていくし、運が悪いとなんとなく微妙な感じになって「まぁ人生難しいっすよね〜」みたいにお茶を濁しつつ解散することになる。

恋愛相談でもやることは概ね変わらないと思う。
ただ、おそらくいくつかの条件ゆえに、ここまでに書いたことの実践の難易度が他の相談事に比べて平均的に上がってしまうのだろう。
逆にいえば、そういう条件を満たしている場合に難易度が高まるのは、恋愛相談に限らず他の相談でもそうなんじゃないかという気がする。

さておき、恋愛相談を難しくするポイントというのはいったいどのようなものなのだろう?
思いつく限りで挙げてみようと思う。

恋愛相談の難しさはどこに由来しているのか

もちろん恋愛相談と一言に言ってもそこには千差万別の相談事が属するわけで、ここに羅列していく話があらゆる種類の恋愛相談に当てはまると考えているわけではない。
その点はあらかじめご留意いただきたい。

①着地したい結論が相談者の中でも一つに定まっていない

多くの相談事というのは、相談者にとって最大のネックとなっている問題が一つあって(それは往々にして相談者自身には見えていないわけだけど)、それに相談者自身が気づいて見通しがよくなることで解決、ないし少なくとも好転に向かっていくものだったりする。
相談者が「そうか! いろいろごちゃごちゃ考えていたけれど、自分が悩んでいたのはこういうことだったんだー!」となってくれるだけで、相談はひとまず成功に終わったとみなしうる。
そしてこれが成立しうるのは、相談者が目指すべき問題の着地点が、一応一つに定まるはずだと考えられるからだと思う。

恋愛相談の場合、この着地点が往々にして一つに定まらない。
「今の恋人とは別れたくない」「でも別の人に強く惹かれているのも確か」「そもそもいま自分は恋愛にうつつを抜かしていていい状況ではない」「結婚を考えるとさらに別の人を探したほうがいい気もする」などなど、容易に優先順位をつけがたい事項を相談者はいくつも抱えている。
そしてそれらはしばしば強い感情に紐づいているものであって、理屈や事実的根拠を持ち出したところで覆ったり退けられたりするものではないことがほとんどだ。
「かりに今の恋人と付き合いつづけた場合と、いま気になっている別のその人に乗り換えた場合、それぞれについて期待できる利得をふまえて考えたら〜」みたいなアドバイスを持ち出したところで「だってどっちも同じくらい好きなんだもん」の一言で一蹴されるのが関の山だと思う。

こと恋愛に関しては、ひととおり自分の思考を洗ったところで「そうか! そういうことだったのかー!」と一つの結論にすっきり着地できる可能性がきわめて限られている。
これが恋愛相談を難しくしている要因の一つだと言えると思う。

②そもそも相談者の語りが歪みやすい

恋愛がヒトの認知にもたらすバグについては散々あちこちで語られているので詳しくは書かないが(僕もちゃんとした知識としては具体的なものをほとんど持ち合わせていないし)、とにかく恋に落ちると人は頭がおかしくなる。
それは周知の事実だと思う。

人間は頭がバグるとどうしても、事実を歪めて認識したり、認識した事実に歪んだ解釈を加えて語ったりしがちなものだ。
とかく恋に落ちた人間は、関係を持続・発展させたいという本能的な動機(と雑に言ってしまうが)から、都合の悪いことに目を塞ぎ、都合のいいことにばかり目を向け、そのうえ後者を過大評価して語るようになる。
あるいは、関係に対して不安を抱くようになれば、むしろネガティブな情報ばかりを拾ってはネガティブな解釈を加えたり、ポジティブな情報を過小評価したりして、不安をいっそう大きく膨らませるようなことを意思するせざるにかかわらずやってしまったりする。
とにかく頭がバグっているので事実をいつも以上にバランスよく知覚できないし、そこに中立的な解釈を加えて語ることも難しくなる。

恋愛相談の難しさはここにもあるだろうと思う。
つまり、頭がバグった相談者が渡してくる情報は基本的になんらかの意味で偏っているから、判断の素材にするにはあまり質がよくない。
かつ、相談者もそうは言ってもバランスのとれた語りをしようとは努めながら話すので、それゆえにこそ情報の偏り方がそのつどの語りのポジションによってあっちこっちへとぶれることになる。
つまり、たとえば「今の恋人と別れたくない自分」の立場からする語りは「今の恋人と別れないことを合理化する方向」へと偏るし、「別の人に惹かれている自分」の立場からする語りは「いま惹かれている別の人を選ぶことを合理化する方向」へと偏る。
まぁさすがに多くの人はそこまでバカじゃないからなんとか偏りを免れた語りをしようと努めはするわけだけど、それでも偏りを完全に免れることは難しい。

恋愛相談を聞くうえでは、この偏りを十分に加味しなくてはいけない。
しかも、そこにある偏りというのがどのようなものかを、そもそも偏った情報ばかりが与えられる状況で見定めていかなくてはならない(むろん、本筋の恋愛相談から逸れた物事にまつわる会話から情報を補完して判断の質を高める、といった工夫はできるだろうけれど)。
ここにも恋愛相談を聞く難しさというのはあるように思う。

恋愛相談を楽しく聞くには

以上をふまえて、それでは恋愛相談を楽しく聞くにはどんな姿勢が必要なんだろう?
ざっくり思うところを書いてみたいと思う。

① 相談者を特定の結論に導くことは基本的に諦める

あらかじめ述べておくと、この「特定の」とは当然「相談を聞く側が導きたい」という意味ではない。
あくまで「方針の固まった、定まった」くらいの意味合いを込めて使っている。

すでに述べたように、恋愛相談においては着地すべき結論が相談者の中でも定まっていない場合が多い。
これはもうどうしようもない話だし、結局どの着地点に転がっていくかは成り行きでしか決まっていかないことも多い(相手のある話だし)。
だから結論らしい結論を導こうと躍起になる必要はない。

ただ、結論を出すのは相談を聞くことの醍醐味の一つとも言える。
そこを完全に捨ててしまうとさすがに話を聞くモチベーションが湧かない……ということもあるだろう。
そういう人は、問題になっている物事の全貌を構造的に捉えて理解するまでのところを楽しむスタンスで臨めばいいんじゃないか、と個人的には思う。
提示される情報が偏りに偏っているぶん、事の全貌をきれいに把握するのが他の種類の相談に比べてはるかに難しいのが恋愛相談なんじゃないかと思うが、そこをやりこなせるかどうか難問に挑むつもりで臨んでみるのはどうだろうか。
まぁ、それができたところで後々やり場のない気持ちを一人で抱えることにはなると思うけれど。

② 相談者の感情を最優先する

もちろん「人命」とかが関わってきたらそっち優先でいいと思うんですが。

恋愛相談において持ち出される情報は基本的に感情のはたらきによって歪んでいるわけだが、この感情そのものも、相談事について考えるうえで考慮に入れるべき重要な要素だと僕は思う。
つまり、相談者にとって何が最も大きな感情で、本人としてはどれを大事にしたがっているのか、といったところに目を向けて、そこをすくい取るようなかたちで話の落とし所を探していけばよいのではないか。
もちろんすでに述べたように、むりやり定まった結論を導き出そうとする必要はないので、そこも相談者にとってどんな心持ちでいることが最も快さそうかを軸に判断していけばいいと思う。

③「バカがよ」と思っても何も言わずににっこりしておく

もちろん「人命」とかが関わってきたらそっち優先でいいと思うんですが。

基本的に恋愛モードの人間はバカなので、そのバカげた発言に対して目くじらを立てても何も響かない。
ただちょっと気分を害されて、なんなら関係がちょっと悪くなって終わるのがせいぜいだろう。
だから「バカがよ」と思ってもそっとしておくのが吉だろう。
「あ、恋愛すると人間こんなふうにバカになるんだなぁ」と発見を楽しむくらいのスタンスで眺めるのがちょうどいいと思う。

もちろん「人命」とかが関わってきたらそっち優先でいいと思うんですが。

④ とはいえ言うべきことがあればちゃんと言う

そうはいっても恋愛相談にも幅はあり、なかには言うことをちゃんと言ったほうがいいケースもあるだろう。
「それは絶対に別れたほうがいい(人命が関わるとかの理由で)」といった場合には、もちろん言い方は選ぶにせよ思ったこと考えたことはきっちり伝えたほうがいいと思う。
あくまで相談者の感情を尊重しつつ、相手にとって必要だと感じることは伝えていくほうがいいだろう。
その瞬間は渋い顔をされたりもするかもしれないけれど、長期的に見たら多分そっちのほうが感謝されると思う。

おわりに

こんなこと考えながら恋愛相談聞いてる人どうすか。まぁイヤだろうなぁ。
俺はやっぱり恋愛相談には向いていないのかもしれない。


恋愛相談にはおおよそ向いていなさそうな僕ですが、人の話を聞くのはとても好きです。
もしよかったらおしゃべりしましょう。
恋愛相談でもそれ以外の相談でもそれ以外のおしゃべりでも大歓迎です。


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