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今年の抱負

書くことにした。あんまり好きじゃなかったんですけどね、抱負とか。でも自分のためになりそうな予感があるので書きます。抱負っていうか、自分がいま思っていることを「抱負」っていう名目を口実に整理するような感じになるかも。ていうかそもそも抱負ってそういうもんですかね。

まぁやっていきます。

言葉をやりたい、リアルもやりたい

「言葉 vs リアル」という対比がどれくらい適切かはさておきとして、今年は言葉をたくさんやっていきたいし、しかしバランスを失しない程度にリアルもやっていきたいな、といったことを思っています。

去年もそれなりに言葉はやっていました。note100日更新やったし、言葉関連のお仕事(文章添削とか執筆支援とかコピーライティングの手習いとか)もちらほらいただいてたし。そもそも去年のはじめは「文章添削で食ってくぞー!」って息巻いて試行錯誤してたわけですしね。そういう意味で「言葉、全然やってなかった……」なんて言ったらさすがにウソになる。

ただ、去年は正直「何かのためにする」ような感じで言葉を扱っていたかな、という印象がうっすらあります。お金のためとか誰かの役に立てるためとか自分が何かをやっている証を残すためとか、そんな感じ。いや、言葉そのもののために言葉をやりたいかって言ったらそれはそれでちょっと違うんですけど、でもまぁ去年はそれにしたって言葉そのものと少々隔たったところで言葉をいじくっていた気がするな、という印象があるのです。

だから今年はもうちょっと、言葉そのものをたしなみたいというか、そういう方向性に近づいていきたいな、と思っています。だいぶ語弊あるけどね、「言葉そのもの」って。ていうか全然正確じゃないかも。うん、端的に言うと自己表現とか純粋な(互いの持ち物を交わし合うことそのものを目的とするような)コミュニケーションとか言葉の美しさそのものの追究とか、そういうことをやっていきたい。余力のある限りにおいてですけどね。ここをキャッシュポイントにしようだとかそういうことはあんまり考えてはいけない、気がする。

でまぁ、そんな調子で年始からnoteを書いているわけですが、他方で今年はリアルもガンガンやりたいです。手触り感のあるものを扱い、生身のものから受け取る衝撃や感動をきっちり受け止めて自分に還元していきたい。人ともなるべくオフラインで会いたいですね。あと、今年はたこ焼きを焼く気がします。焼かないかもしれないけど、それは近い将来の自分のみぞ知る。

リアルをたくさんやると、身ぐるみがいい感じに剥がれていく気がするんですよね。自信もつく。防御力も上がる。ちょっとくらいのことでビクビクしたり不安になったりしなくなっていく。そうなったら言葉のほうにもいい影響が出る気がします。リアルと言葉のあいだにいい相互作用が生まれるように、いろんな遊びをやっていきたいな。

距離感を意識する、マッピングをやっていく

昨日書いた記事の内容とも少し関連するんですが、やっぱりすべてのものと同じ距離感で接することっていうのはできない気がするんですね。それは人間もそうだし、それ以外の物事もそう。好き嫌い、得意苦手、合う合わない、その他もろもろが影響して、あらゆるものと自分との間に固有の距離が設定されている(どれくらい離れているか、ということもそうだし、おそらくその隔たりがどのようなものであるか、もさまざまなんだと思う、知らんけど)。その距離をむりやり詰めることはできないしすべきではない、と同時に離れすぎるとそれはそれでもったいなかったり寂しかったりする。

だから今年は、いろんなものと自分との間の距離を見定めて、その距離に応じた接し方というのを洗練させていきたいな、と思う。これあれだな、去年スペースでお話しさせてもらった今野良介さんとの会話の中で今野さんが言ってたこと(編集者としての著者との距離の詰め方の話を聞いたんですよね)とめちゃくちゃつながるな。こうやって思ってもみなかったタイミングで点と点がつながってくるから、人との会話って面白いんだよな。今野さんその節は本当にありがとうございました(思いよ届け)。

そんなわけで、あらゆるもの(人も物事も)との距離を測っていきたいです。要するにいろんな人と関われ、いろんなことをやれ、そこから得た情報を思考に反映させろ、そうやって自分を把握していけ、ってことですね。一個目に書いた「リアルをやる」って話とも密接に関連しているように思います。食わず嫌いよくない、なんでもためらわず食べていこう。

好きな仕事を見つける

ぶっちゃけ2個目の話でほぼ尽きているというか、その一つの具体化でしかない気もするんですが、とはいえやっぱり仕事は大切なので独立したトピックとして扱ってみることにしました。そうしろって魂(ソウル)がささやいたんだもの、しょうがないよね。

去年12月はたくさん(数的な意味で)仕事をしていました。某仲良くさせていただいてる社長さんとのおしゃべり(壁打ちってやつですかね)、コピーライティングのアシスタント、友人の会社での採用のお手伝い、そして家事代行。一応イベントバーエデン本店でバーテンやったのも「仕事」に数え入れたいかな(まぁ遊びなんだけど、っていうかそこの境目のあいまいさってそれ自体大事な話だよね)。

↑これね

まぁそんな感じでいろいろやっているなかで、ライスワーク(食い扶持を稼ぎ出す活動)として何をやっていくかを多少前向きに考えていきたいかな、という気持ちになってきたんですね。単純に生活にはお金が必要ってこともそうなんだけど、「お金が発生する活動」って人間の生きることにとってきわめてエッセンシャルだよな、そこで発生する出来事とかコミュニケーションとかを見ずして「どう生きるか〜」とか言ってらんないよな、という気持ちが強くなってきたのが結構大きい。仕事って人と人とが交わる一番オーソドックスな場の一つだし、そこで発生する出来事から人間(の性)について考えられることってたくさんあると思うし、って感じですね。仕事を語らずして人間を語るなかれ、みたいな、まぁそういうこと。いや、あくまで仕事なんて人間のあることの一部にすぎないってのはわかってるし、ある仕事に仕事全体を代表させることだって到底無理だっていうのもわかってるつもりなんですけども。でもやっぱり仕事って大事な気がする、誰もが仕事すべきか云々みたいな話とは別にして。

ということで、まぁいろんな仕事を渡り歩きながら「仕事をして生きていく」ことについて考えて自分なりの答えを出していきたいな、みたいなことを漠然と思っているわけです。どういう仕事だったら無理なくやれるか、なんなら楽しくやれるか、とかとかね。いろんな仕事がそれこそ思わぬかたちで結びついて新しい展開を生んでくれたりするのも楽しみだな。そういうことも期待しつつ、やってみよっかなぁ、と少しでも思ったものにはなるべく片っぱしから手をつけていきたい所存でおります。

おわりに

そろそろ字数もかさんできたのでこの辺で締めます。とりあえず今年は去年以上にいろいろやりたいし深めてもいきたいな、という気持ちでおります。去年が「ようやくスタートラインに立った」だとしたら、今年は「ぼちぼちと走りはじめる」かなと。つまずいたりずっこけたりすることもあるかもしれませんが、休み休みちょっとずつ自分のペースで前進していきたいですね。

ということで、2022年も楽しむぞ! うぉい!

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