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元騎士が女の子を拾う話

 三十五歳というぴちぴちの若さで退職してやった。地方の騎士団なんか入るもんじゃない。あそこのやつらは規律さえ守れば何をやってもいいと思っているふしがある。
 できるだけ早く金を貯めてとっとと抜け出してやると誓ってはや十年、ようやく願いが叶ったのだ。とにかく死にものぐるいで仕事をこなしたおかげでそこそこの金はある。掘っ立て小屋だが郊外に念願の家を建て、余った金でほそぼそと農作業でもやりながら気長に生活するつもりだった。
 その日、畑を起こすための準備をし、晩飯の買い物を済ませて家に帰った時だった。扉を開ける瞬間、俺の中の感覚がぴんと研ぎ澄まされた。誰かが、いる。扉の向こうに。
 嫌な気配ではないが、一応身構えてから素早く戸を開けた。
「だれかいるのか」
 ひ、と引きつるような声が小さく聞こえたので、手のランプを翳してやった。引っ越したばかりでまだ何もない、がらんとした部屋の中央、テーブル代わりに置いた木箱の影から小さな足がちまっと覗いている。子どもだ、と咄嗟に気づき、俺は言葉を詰まらせた。
「あー、そこで、何してる」
 子どもは答えない。俺は買い物袋を足下に置いて近寄った。
「安心しろ、別に怒っちゃいない。質問に答えてくれりゃな」
「……逃げてきた」
 子どもは、か細い声でようやく言った。
「逃げてきた? 何からだ」
 問いながら、ランプを手に更に近寄る。子どもはぼさぼさの髪を伸ばした女児だった。顔は土気色で痩せこけており、襤褸から突き出た手足のあちこちに痣が黒々と目立っている。切り傷や火傷の痕もあった。
「ひでえな。騎士団でもここまでの怪我は負わねえよ。いじめられてんのか?」
 子どもは俯く。否定か、それとも……
「まあいい。親御さんはどこだ? 連れてってやるから場所を教えろ」
 と、腕を差し出してみる。別に親切心じゃない。面倒な目に遭いそうだ、と俺の精神が警告しているためだ。俺は自分に正直な人間なのだ。
 子どもは素直に俺の手を取った。が、ぐいと引き、腕にしがみつく。
「おいやめろ、何のつもりだ」
 小さな体にしがみつかれたおかげで、わかってしまった。こいつの全身は震えている。大きな眼に涙まで浮かべて、まるで帰りたくないとでもいうように。
「まさか……親か」
 子どもの身体がびくりと震える。
 俺の脳内に天秤が現れ、素早く計量を始めた。このまま俺の家に置いとくのも問題だが、かといって親の元へ無理矢理連れ帰って、翌日この子はどうなってしまうのか……
 仕方ないのでとりあえず飯を作ってやった。死ぬほど腹を空かせていたらしく、子どもは二皿分も平らげてしまった。俺の分がなくなった。
「なんで俺の家に来た? もっとマシな隠れ場所があったろうに」
 そう問うと、腹が膨れて元気が出たのか子どもはやっと口を開いた。
「……空き小屋だとおもったの」
「ふざけんなマイホームだぞ」
 その時だった。扉がばんばんと乱暴に叩かれる音が響いた。
「すみません、あたしの娘がここに入っていったと聞いたのですが!」
 つんけんした女の声だ。子どもが俺の腕にしがみつく。青い顔で全身を戦慄かせている。
「いねえよ」咄嗟に言ってしまった。俺の中の天秤ががくりと傾いた。
「嘘つき! 絶対いるわ、無理矢理入らせてもらうから!」
 扉の向こうには何人もの気配があった。女の声を合図に、地響きのような音を立てて扉が軋んだ。でかい丸太でもぶつけているんだろうか。これはまずいぞ。
「待て、家を壊すな、出てってやるから!」
 子どもが必死に首を振っているが無視だ。引きずるように連れていき、扉を開けてやる。
「やっぱりいたわ! ああみんな見て娘の傷を! きっとこの男にやられたんだわ!」
 女の白々しい声に確信を持った。母親失格め。非難囂々の中、子どもが俺の腕から手を離す。絶望の淵に立たされたような顔をして、一歩下がる。
 俺はそいつにだけ聞こえるように、ぼそりと呟いた。
「すまねえな、俺は自分に正直なんだよ」
 そして素早く子どもを抱きかかえる。呆気にとられる周囲の奴らを突き飛ばし、走り出した。
 風を切り、地を駆ける。追っ手は誰もついてこられなかった。俺の腕の中にすっぽり収まった子どもは突然、けらけらと奇妙な笑い声を上げた。
「どうした、気でもおかしくなったか」
 ちがうよ、と笑いまじりに首を振る。そういえば初めて笑い声を聞いたな。
「すごく速くて、たのしいの」
 子どもの笑顔は引きつっていたが、笑い慣れていない奴の精一杯の笑みだった。
 そうか、と俺は子どもをしっかり抱き直し、更に速度を上げてやった。気づけば俺まで笑っていた。
 元々無職、失うものなど何もない。こいつが笑ってられるなら、誘拐犯になろうと構いやしない。俺は自分に正直な人間なのだ。

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