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私が実測した向社会性サイコパスについての推測③~向社会性サイコパスの救い~

今回のテーマは向社会性サイコパスが根本的に求めているもの
それが満たされるかについて考察していきます。

結論としては、向社会性サイコパスには
権威からの承認を与えることが、救いのために一番大きいと考えます。

まずつぶやきにて提示した仮説について可能性を考察していきます。

1.向社会性サイコパスと反社会性サイコパスは親和性によって
  群れを形成することはできるのか?
→反社会性サイコパスは衝動によって他人から利益を得ようとするのに対し
 向社会性サイコパスは周到な計画に基づいて他人から
 利益を得ようとするため、向社会性サイコパスが善人を偽装
 できるのなら両者による群れの形成は可能と思われる。

2.向社会性サイコパス同士で群れを形成することはできるのか?
→お互いが利益を分け合える関係にあるのなら、共謀して誰かを
 ターゲットにした場合より効率的になるため、群れの形成は
 容易と思われる。

3.反社会性サイコパス同士で群れを形成することはできるのか?
→ライバル関係にしかなり得ないので、群れを形成することはできない。

4.マゾヒズムの性質と向社会性サイコパスの性質は共存しうるのか?
→マゾヒズムの性質はサディストと共存可能であるが、
サディストの性質はサイコパスの性質に近いため共存可能と思われる。
例えば向社会性サイコパスの親とマゾヒズムの親から生まれた子どもは
両者の性質を持つ可能性が高いと考えられる。

よって、向社会性サイコパスは群れの形成は容易であるため
社会において孤立感、疎外感を感じることは少ないと思われます。

次に向社会性サイコパスに不足しているもの、熱望するものについて
考察します。

私が実測する向社会性サイコパスについての推測①
~推測前の自己分析について~
https://note.com/chilyuki/n/n3446439450a5

私が実測する向社会性サイコパスについての推測②
~他の実例や創作物からの想像~
https://note.com/chilyuki/n/n3446439450a5

から向社会性サイコパスが求めるものについて考えてみます。

一言でまとめるとジキル博士とハイド氏両方の性質を持ったものが
向社会性サイコパスと考えられます。

刺激を好む原因は共感力や恐怖、不安の欠如により
ストレスを感じずらい為、反動として快感も物足りなく
感じるためと思われます。仏教的には五蘊盛苦からの解放と引き換えに
煩悩が肥大化しているといったところでしょうか。

結果至上主義、他人を操作したがる、嘘をつくなどは
どんな手を使っても成功する、ハイスコアをたたき出す
という欲望が見て取れます。
世界をゲーム感覚で捉えているため
ゲーム攻略こそが刺激となり、そのために手段を選ばないと考えられます。

自己中心的、自慢話をする、共感力がないなどは
自身の内面が乏しく、その反動で自身を大きく見せようとする
虚栄心と考えられます。また、共感力の乏しさは
物語への読解力が不足し、国語力において著しく劣後すると考えられます。

以上のように向社会性サイコパスは衝動的に他者を害することはないが
もしそれが人にばれずに、または堂々と行えるのなら
進んで実行して常に刺激を求め、感情や共感が不足するため
自分の哲学を構築できない存在と言えます。

そこで結果の可視化として一番わかりやすいものは権威ですが
この世で一番権威的なものというと、それは万物の創造主である
神になります。
神を伴侶としたとき、神の権威と神の教えによって内面は充足され
向社会性サイコパスは最も満たされると考えます。
それは現世では現実的でないため、次善として大天使ミカエル
(神の如きもの)つまり例えば多分野で実績を残した
ダヴィンチのような万能人を伴侶とすれば
権威欲が満たされるでしょう。これも実現困難かもしれませんが
私が考える向社会性サイコパスへの救いの道となります。

なお蛇足ですが、反社会性サイコパスはいずれ衝動性によって
他者に害をなすので来世で救われてください。もしあるのなら。

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