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3.誰がどこにどうやって?

現場検証も終わりを迎え、気づけば夜になっていた。

白い袋(納体シートというらしい)におさめられ、
玄関とリビングにわたる床に置かれた担架に乗せられた
顔の見えない父の体を目前にしたときには、
あの大きな頭を前に、座り込み泣いてしまったけれど。

それが本当に父の体だという実感はもちろんないまま、
「これは父の亡骸なのだ」という頭だけの理解があった。


担架に乗せられた父の遺体は、
裏口から警察の白いワンボックスカーへと運ばれた。
決して小柄とは言えない父の身体は重く、
警察の人3人の力をもってしても
彼らの腕が突っ張るほどずっしりとしていた。
私たちは父を乗せた担架へ手を添え、
少しだけ運ぶのを手伝った。

 「ありがとうございます。大丈夫ですので」

警察の方の言葉に車の手前で手を離すと、
担架は車の中へ納められた。
見えなくなった父の姿と、対応してくれた
警察の方を見送り、みんな深々と何度も頭を下げた。

「ありがとうございました」

慌ただしい確認と搬出の作業の中で、
ただ父の死を受け入れ悲しむということもできないまま、
私は葬儀場へ連絡をしなければならなかった。

なぜ私が?なぜこんなことに?
いろいろ腑に落ちない気持ちのままだったが、
他の誰かにこの役割を押しつけたいとも思えず、率先して動いた。

そして、翌日には早くも葬式の手配、
役所へ提出する死亡届の記入など、
「父親が死んだ」という現実を
きちんと受け止める前に
様々な処理や手続きを行わなければならなかった。

死んでなおただの紙切れ一枚に左右される
人間の憐れや、無情さを知って
とても嘆かわしい気持ちがした。

現場検証中、警察の方から
検視後の流れについて説明を受けた。

「この後の流れですが、警察署で検視を行います。
 検視結果が分かり次第ご連絡を差し上げますので
 葬儀場を決められましたら教えてください。
 葬儀場へは、ご遺体を引き取りに
 来てもらうようにお伝えください」

検視が終わると、父の遺体は警察署から
葬儀場へ移される予定だった。
警察の方が葬儀場へ移送するのではなく、
検視後の結果連絡を待って葬儀社へ連絡を入れ、
葬儀社のスタッフの方が警察署へ
遺体を引き取りに行く、という話のようだった。

霊安室準備を進めてもらうために、まずこちらで
警察と葬儀場との連絡を取り継ぐ必要があったのだが、
こちらと葬儀場側で認識の齟齬があり、
少し手間取るという場面があった。

きっと私の伝え方もうまくなかったのだろうとは思うが、
気が動転しストレス過多な状態だろう中で、
連絡が上手く進められないというのはできれば避けたかった。


私は自らバリアを張っていたせいか冷静に対応でき、
そこまで混乱することなくその後の話を進めることができたが、
こんなたかが連絡のひとつであっても
決して慣れることのない、負担の小さくない作業だ。

認識の齟齬によって、自分の大切な人の身体の処遇が
どうなるか分からない時間が伸びてしまうことは、
人によっては繊細な問題になりうると思う。

だから、こういったときのために
各行政ごとに分かりやすい連絡系統が確立され、
連絡や手配がしやすい体制が整えられていると
いくらか救われる人がいるのではないかなぁ、と思った。

もちろん、地域ごとの風習によってや、
宗教や葬儀場の違いによっても
検視後に遺体をどうするかということは
変わってくるだろうから、
統一された分かりやすい案内をするというのは
なかなか難しいのかもしれないが……



~第一章:父が死んだ。これは夢か幻か③~


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