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なぜ響かない?どうすれば響く?

だいすけです。1年弱ぶりの投稿です。

僕は子どもを連れ去られて
もうすぐ3年目を迎えようとしている。

ここに来て妻が
調停(離婚・婚姻費)を仕掛けてきた。


僕は子どもを連れ去られてから1ヶ月経過後に
このnoteを100日連続投稿し、その後も描き続け
僕の考え方に軸ができブレなくなった。


しかし、これから調停をするにあたり、
不安はいっぱいだ。

僕の思考を再確認、再構築する意味でも
noteを復活させることにした。


僕は過去の記事にもある様に、
離婚する上での弁護士が進める型に気付き、
司法が前例主義であることから、
争うことをやめて手紙を提示する形とした。

そして、手紙の内容の大筋は

離婚は夫婦の問題ではない。
子どもがいる以上は、
大人(親)が子どもの未来についてどうするか?
を協議すべきと弁護士経由で主張してきた。



しかし、妻には響かなかったようだ。



それもそのはず。


同居親(妻)は失ったものは少ないのだから。
新たな日常を過ごすだけ。
実家ともあれば安心感も大きい。
同居時に付き合っていた人達とも会える距離だし、
子どもの幸せについては子どもの利益等と言った
視点ではさほど考えないし、時間もない。



一方、別居親の僕は
突然子どもを連れ去られたのだから
失ったものは当人以外には想像できない程に
喪失感は大きい。
仕事から帰宅しても、いるはずの子どもがいない。
毎日一緒に寝ていた子どもが横にいない。


そんな日常が突然訪れ、
一方的にお金の話ばかりされる。


ぽっかり空いた心の中は
どうすればいいのか?考える日々が続く。



そして、

子どものことばかり考える。




必死に

子どもの幸せについて考える。


こちらがどれだけ、
子どもの幸せや未来の事を考えて欲しい
と訴えても、

連れ去られた親が連れ去り問題に向き合う時間、
それにより得た知識、考え方や行動に対し、

そんなことを
真正面から向き合う必要のない同居親には



響きづらいのだ…



同居親の感覚は

「面倒臭いなぁ、子ども達毎日
 元気に過ごしてるよ。問題ないよ」

程度だろう。



僕はその前提でどのように協議を進めていくか?を
考えなければいけないのだ。


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最後まで読んで頂きありがとうございました。


子どもは大人より適応能力が高いと言われます。

それは子どもは自分が無力である事を本能で知っているから。
離婚による環境変化を子どもは受け入れざるを得ないのです。



「パパもママも仲良く一緒に楽しく!」



と思っている子どもの思いを
大人都合により子どもの思いを裏切ってしまっているのです。


離婚を考える時、最優先子どもの視点に立ってどうするか?
日本も明治時代の法制度の運用から、
世界スタンダードの共同親権への法改正へ向かっています。


離婚を考えている人は、その事実を子どもがいずれ知った時に


「親のわがままだったな」と思われないよう
「頑張ってくれてたんだな」となる様、


大人都合より子ども最優先で考えるべきと思います。


共同養育は離れて暮らす「子育て」 子育てなので正解はありません。多種多様です。僕の共同養育もあくまでもひとつのケースですが、共同養育を実践する上で大切な事や考え方、子どもとの接し方等について、ご相談お受けいたします。