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月夜

昨夜は満月🌕だと遠方のお友だちが教えてくれたので、外に出てみた。暫くしたら月が出てきた。この満月は、今年で1番小さくて「マイクロムーン」と呼び名がつけられているそう。

月を観ると心が静かな穏やかさに包まれる。半分懐かしさすら覚える。いつか月が見渡せる家に住みたいとずっと思っている。月と居たい。わたしは自分のことを話したり、表に感情をあまり出しているように見えないらしい。言われてから、そうだっけ?と思うけれど、聞き役の方が多い。月は、わたしの癒やしで、特にツラい時期に励まされた。急に、ドーンと大きく姿を現したり、静かに夜空で待っていてくれたり。暫くご不在で、また薄っすらと輝くようにリングのような姿を見せてくれたり。輝くような日もあれば、赤く染まったような日、神々しくゴールドになったり、白い輪に包まれて二重に輝いていたり、朧月で泣いているような日もある。それでもいつも優しい。

2年前の春に、作品の撮影の為に月の出を待ったことがある。写真家の方と春の蛙が鳴きこだまする中、静かに月の出を待った。暦上での時刻とは違って(あれは表面を出る時刻なのか?)4時間待って、我々が立つ地に月が出た。日の出や夕日を見送るを待った経験はあったけれど、月の出を待つのは初めてのこと。

こちらが月出ル瞬間

神秘的過ぎて、4時間待って良かったと思った。いつも月がわたしを待っていてくれるので、こうして月を迎えたのは初めて。

月が居てくれるとホッとする。月への憧れもあり、わたしはそういうヒトになりたい。

先月の終わりに、月好きなわたしの為に、友人が新聞の切り抜きを送ってくれた。高樹のぶ子さんによれば、藤原道長の「欠けたることのない望月」を引用して、古今東西の世界の権力者は太陽に憧れていたが、権力の誇示が月であるのは日本独自の精神性なのではないかと書かれてある。平安時代より前に歌は詠まれていて、太陽より月は歌に馴染むと。

古人が観ていた月はどんなだったであろう。月好きが高じて、月にまつわるあれこれ持っている。1番古い記憶で今でも手元にあるのはアーノルド・ローベルの「ふくろうくん」わたしが8歳の時に弟に買ってあげた絵本。弟はきっと覚えておらず、いつの頃からか、わたしの所持品となっている。その中に出てくる月がわたしの原点みたいになっている。

そうそう、最近、月桂樹の葉を摘み取って乾燥させてローレルにした。

月桂樹

昨日くたくたに疲れていたので栄誉のあるスープが作りたくて、カリフラワーとじゃがいも、かぶ、玉ねぎで豆乳ポタージュを作った。肝心のローレルを入れ忘れてしまった。あーあ。

友人が送ってくれた虹鱒のスモーク

出来上がったスープは春の味がした。

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