見出し画像

プリズム劇場#009「封書を受け取った人」

こちらはラジオドラマ番組『小島ちひりのプリズム劇場』の作品を文章に起こしたものです。
是非、音声でもお楽しみください。
【standfm】
https://stand.fm/episodes/65aceb4dd5e8d38aba48f7b6
【YouTube】
https://youtu.be/mfbKuQ-xHo4
【その他媒体】
https://lit.link/prismgekijo


「なんだこれ」
 テーブルに置いてあった真っ白な封筒の宛名は俺だった。リビングで洗濯物を畳んでいた家内は、何でもないように
「開けてみたら?」
と言った。
 まあそれもそうかと思い、家内に
「ハサミ」
と言うと、家内は顔だけ俺に向けて、冷たい声で
「私はハサミではありません」
と言った。
 昔は俺の言う事は何でもはいはいと言い、働き者だった家内は最近こんな調子だ。定年退職したら二人で旅行に行ったり楽しく暮らそうと思っていたのに、家内は俺が近づくものなら離れていき、汚いものを見るような目で俺を見る。全く、女のくせに可愛げがない。
 俺は仕方なく封筒の端をビリビリと破り、中の紙を取り出した。

「離婚協議申し入れ書。被通知人、牛山恭平殿。通知人、牛山信子。冠省。早速ですが、以下の通りご通知させていただきます。突然の書面による申し入れとなりましたこと、どうぞご容赦ください。私は貴殿と昭和59年3月15日に結婚し、私達の間には弘樹(37歳)と駿樹(35歳)の二人の子供に恵まれました。私は我が家に婿養子に入り、稼業を継いでくれた貴殿のために、私なりに尽くしてきたつもりです。しかしながら、貴殿は、あろうことか私の実家の会社の秘書だった園田美智子と40年に渡る不倫関係を継続しており、また平成29年からは、派遣社員の橋本ゆずとも不倫関係を継続しております」

 今朝、ニュースで今日は今年一番の冷え込みだと言っていたことを思い出した。しかし俺は今、額から脂汗がダラダラと出ている。背中で、家内の様子を覗う。先ほどから変わらず、洗濯物を畳んでいるように思う。
 俺は、恐る恐る、なるべくゆっくり、後ろを振り返った。洗濯物を膝の上に置いた家内とバチッと目が合った。家内は感情のない表情で俺を見ている。感情がないはずなのに、鬼と目が合ったような気がした。

「無理っすよ。無理無理」
と目の前の弁護士は言った。
 渡された名刺をちらりと見ると『岩崎亮』と書いてあった。
「不倫の証拠はバッチリ取られているし、しかも相手は2人でしょ? さっさと慰謝料払って別れるのが一番だと思いますけどね」
 岩崎はボールペンの柄で頭をコリコリ掻きながら言った。
「ふざけるな! 俺は婿養子なんだぞ! あそこを追い出されたらもう行くところがないんだ!」
「いやいや、だったらなんで不倫したんですか。自業自得でしょうよ」
 岩崎は軽蔑の目で俺を見ている。
「俺はずっと牛山家に尽くしてきたんだ! 浮気の一つや二つ、男の甲斐性だろうが!」
「俺は父ちゃんに『母ちゃんに尽くすのが男の甲斐性』と教わって育ったんで、ちょっと流派が違うんですよねぇ」
と岩崎は呑気に言った。そして
「流派というより、宗派ですかね、はは!」
と、面白くもない自分の冗談に笑っている。

 俺はイライラしながら弁護士事務所を出て、弘樹に電話した。
「あ、弘樹か。悪いが今日、泊めてくれないか」
 電話の向こうから大きな溜息が聞こえた。
「嫌だよ」
 弘樹はそう言った。
「なんでだよ。俺は父親だぞ!」
「浮気するような男を嫁さんや息子に会わせるわけには行かねぇよ」
 弘樹はそう言うと電話を切った。
 畜生が。俺を誰だと思っているんだ。

 ふと、弘子の事を思い出した。弘樹の弘は、弘子から取った。新卒で入ったメガバンクの後輩だった。
 その年に入った女の子の中で一番の美人だった。俺が地方転勤になっても、ニコニコしながら「待ってる」と言っていた。
 けど俺は、仕事で出会ったこの土地の大地主に気に入られて、その娘である信子と結婚した。
 噂によると弘子は、その後も結婚はせず、定年まで勤め上げたらしい。もしも弘子と結婚していたら、俺は家を追い出されずに済んだのだろうか。

 風がビュウッと吹いて、俺はブルリと震えた。どうにもこうにも、俺は今、今日泊まるところを探さねばならない。

いただいたサポートは作品創りの資金に使わせていただきます!