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プリズム劇場#002「虹の近くを想う人」

こちらはラジオドラマ番組『小島ちひりのプリズム劇場』の作品を文章に起こしたものです。
是非、音声でもお楽しみください。
【stand.fm】
https://stand.fm/episodes/64f74a3db934ef349c40e1e5
【YouTube】
https://youtu.be/hlpEctMC7lU


「ふう、ようやくみんな寝たか」

 カーテンの閉まった薄暗い教室には小さな布団が並び、子供達が思い思いの寝相で安らかな眠りについている。カーテンの向こうからは、子守歌のように雨音がしている。
 若い先生に教室を任せて職員室に戻り、ふと、スマホを見ると、着信履歴が残っていた。私はハッとして
「すいません、ちょっと私用の電話をして来てもいいですか?」
と教頭に言うと、教頭は
「ええ、構いませんよ」
と快く言ってくれた。
 廊下の隅で電話を掛ける。コール音が3回響くと、電話が繋がった。
「ちょっと! なんですぐに出ないのよ!」
と言う義理の母の声が耳元に響く。御年78歳とは思えないしっかりとした声だ。
「すみません、仕事中だったもので」
と押さえた声で答えると
「嫁としての自覚はあるの!?」
とまたもや元気な声で言われた。
「政夫さんの49日は、8月5日で決まりました。お盆前で申し訳ないのですが」
といかにも申し訳なさそうに言う。
「そんな時期に親戚が集まると思ってるの!?」
と言われたので
「お義母様以外の方からは快く承諾していただきました」
とちょっと意地悪を言う。
 義理の母は一瞬うっ、と言葉に詰まったが
「みんなあんたに同情して気を遣ってるだけよ!」
と叫んで電話を切った。
 彼女は私を攻撃したいだけだ。知っている。夫が生きている間は、いつも夫が義理の母との連絡係をしてくれていた。義理の母が私の事を何か言うと
「僕の好きな人をそんな風に言わないでよ。悲しいじゃないか」
と言って黙らせていた。
 いい夫だった。私にはもったいない位、いい夫だった。

 お迎えの時間が始まると、子供達はソワソワし始める。早くママやパパに会いたいけど、お友達とももうちょっと遊びたい。そんな幸せな葛藤に浮き足立っている姿は、なんとも愛おしくもあり、羨ましくもある。
 裕介君のお母様が到着した。裕介君はリュックを置いたままお母様の所へ掛けだしてしまった。
 裕介君のおうちはこの4月からお父様が単身赴任になったと言う。裕介君は前よりも少し、お母様にベッタリになったような気がする。
「ゆうちゃん、リュック持たないと帰れないでしょ!」
と言って裕介君にリュックを渡した。
 裕介君は恥ずかしそうにモジモジしていたが、自分でしっかりと靴を履き、帰って行った。

 子供達が全員帰り、首を回しながら職員室に戻ると
「武井先生、これどうぞ」
と言いながら平野先生がお饅頭の入った箱を差し出して来た。
「どうしたの? これ」
と聞くと
「理事長のお土産だそうです」
と言われたので遠慮なく頂いた。
 平野先生はお饅頭を頬張る私の横で
「武井先生聞いて下さいよ。彼氏がまた仕事辞めるって言うんです」
と愚痴り始めたので
「早くそんな彼氏別れなさい。平野先生はまだ若いんだからもっといい人いるでしょ」
といつもと同じ返事をする。
「私もうそんなに若くないです。もう31ですよ~」
 私から見れば31なんてまだまだ若いのだが、本人からすれば人生で一番歳を取った状態なわけだから、不安になるのもわかる。
「武井先生は31の時、何してたんですか?」
と平野先生が尋ねてきた。
 私はふと、昔を思い出しながら
「子育てしてたわね。主人は毎日仕事で忙しかったし、家の事は何でもやらなきゃだったから」
と答えた。
 平野先生は
「えー、ワンオペかぁ、大変そう」
と顔を顰めたので
「昔はそれが普通だったのよ」
と答えた。
 平野先生は
「武井先生から旦那さんの愚痴って聞いた事ないですね」
と唐突に言った。私は
「だって、不満なんてないもの」
と言うと
「えー! 羨ましい!」
と平野先生は大袈裟に言った。
 一つだけ、不満があるとしたら、早くに亡くなってしまった事だけだ。
 一人勝手に沈んでいると、平野先生が
「あ、武井先生! 見てください!」
と突然窓の外を指差した。
 私は驚きながら平野先生の指の先を見ると、大きな虹がかかっていた。
「メッチャキレイですね~。いい事ありそう~」
と平野先生は呑気に言う。
 夫のいない世界で、私にとっていい事って一体何なのだろう。
 平野先生は
「虹っていいですよね。誰が見てもいい事じゃないですか」
と言う。
 そうか、虹がキレイだと言う事は、私にとってもいい事なのか。
 確かに空の上から夫も見ているのかもしれない。そう思ったら、夫が近くにいるような気がした。

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