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【青空文庫】谷崎潤一郎「陰翳礼讃」

ご無沙汰しております。
青空文庫をご紹介するお時間です。
前回の投稿からずいぶんと時間が経っているって?
三日坊主どころの話じゃないって?
ずっと家にいるもんで、ついついダラダラしちゃうんですね。
気を付けないと。
頑張りすぎてもいけないし、かと言って頑張らなさすぎてもいけないし、難しいですね。

さて、本日は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」です。

まず読めない。

こちら、「いんえいらいさん」と読みます。
谷崎潤一郎の随筆となります。
随筆って何かって?
作り話である物語ではなく、作者自身が思っていること、考えていることが書いてある文章、といったところでしょうか。
正確には辞書を引いてくださいまし。

さて、「陰翳礼讃」一言でいうと

薄闇最高!

というお話です。
どういうことかと言いますと、谷崎潤一郎が生きていたのは、明治19年から昭和40年なんですけれども、蝋燭などの灯からガス灯、そして電灯へと変わって行った時代なんですね。
この変遷の時代を生きながら、
「明るすぎるのはよくないね。日本はやっぱり蝋燭とか、行灯とか、ちょっと薄暗いがいいよね」
ということが書いてあります。
日本建築の話から始まるのですが、現代を生きている私には正直ピンと来ない話ばかりです。
日本家屋の中に、電灯があることが当たり前だと思っているので、谷崎潤一郎が和室の天井から電球が下がっていることが許せないことを理解するのに時間がかかります。
そして、西洋人は、とにかく明るくはっきりさせることが大好きで、シミが嫌いで、東洋人は陰を作り、隠すことで美を作る、ということをずっと言っているのですが、わかるような、わからないような、そんなところをゆらゆらと進んでいきます。
共感できても、できなくても「谷崎はそう思っていたんだなぁ」でいいと思います。

唯一強く共感したのは、能楽に関する部分で

袖口から覗いているその手の美しかったことを今も忘れない。

という一文です。
能舞台上で見る能楽師の手が、あまりに美しいという話です。
客席にいる自分の膝の上の手は、ただの手なのに、能舞台で能装束を着た能楽師の手が美しく、あれは陰の中にあり、そして煌びやかな装束から出て来る手の白さが美しいことだ、みたいなことを言っています。
私は原理はよくわかりませんが、初めて能を観た時、能楽師の手の美しさに驚いたことをよく覚えているので、そこは共感します。

実はお恥ずかしいことに、谷崎の作品をちゃんと読んだのが始めてだったのですが、谷崎が賞賛される理由はわかりました。
文章が、とにかく美しいのです。
何と言えばいいのか上手く言葉が出てきませんが、美しい絹の上を指で撫でるような文章だな、と思いました。
するするとしていて、滑らかで、そして艶やか、そんな感じです。
まさしく「美文」。
谷崎はずっと「陰こそ美しい!」と言ってますが、こちらとしては「いや、あなたの文章こそ美しい」と言いたいです。

そんなわけで、内容に共感できるかどうかはさておき、谷崎の文の美しさは楽しんで欲しいと思います。

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