20代のうちにガチでやってよかったこと
こんにちは☀こどもリハビリかめきちです。
そういえば私、今更ですが2月で30才児になりました。🥺ピエン
ちょっとだけ波乱万丈な30年間を生きてきて、ちょっとだけ順風満帆な今を生きているので、私が20代のうちにやってよかったことベスト10を発表します。
どうでもいいですが、最近買ったMacのキーボードが良すぎて作業効率ぶち上がりです🆙
第10位 運動習慣をつけた
みなさんご存知の通り、私は酒が好きです。愛してやまないお酒ですが、
毎日飲むのでシンプルに太ります。酒を制限すればいいのですが、全くもってできないので、極力毎日運動をするようにしています。
ですが私は元々運動がそこまで得意ではないのと好きじゃないのと
全く継続ができない人間なので、運動を習慣化するのはとても難儀でした。
いろんな策を講じ、一番習慣化に必要なのは「仕組み化」をすること。
例えば今毎日HIITを行っているのですが
この習慣の仕組みは
*
朝、スタンディングデスクでの仕事が一段落
↓
すぐ横のリビングのテレビでYouTube再生
↓
10分HIIT
↓
終わったら動画をその日勉強したいものに変更
↓
プロテイン振りながら原稿考える(インプット)
↓
プロテイン飲みながらかめスクの分報に書き込む(アウトプット)
*
このルーティンがあるからだと思います。
ちなみにHIITをチョイスしている理由は
・時間がない
・ダラダラ運動できない
・ドMだから
この3点です。
HIIT、おすすめ
第9位 上司にブチギレてみた
あの、すみません、これシンプルに良くないです。笑
基本的に組織で働いてたら、部下が上司に楯突いたり文句を言うことはタブーです。組織として成立しないので、基本不満ごとがあったらまずは直属の先輩に相談し、解決策を一緒に考えてもらうというのが一般的な組織の仕組みなので、これは非常に良くない行為だったと反省しています。
ですが、組織としては決して許されることではないのですが、
私の経験として
「明らかに間違ってることを、間違っていると言う」という経験値は財産になりました。
上司が右といったら右を向く。なんかへんだな、おかしいな、と思っていることがあってもその場をやり過ごしてしまう。誰かが何かを言ってくれるの待っている。
こんな経験ばかりでした。ですが一度だけ、立場の弱い方を目の前にした上司が理不尽な対応したときがあり、業後に『〇〇長、今の発言は△△さんに対して非常に失礼な発言だと思っています。△△さんに謝罪をしてください』
とかなんとか言ったことがあります。ウザw(しかもそのとき私も正規雇用じゃなかった気がするw)
第8位 転職
私は新卒で勤めた病院を3年で退職し、その後海外に行き、帰国後、訪問看護ステーションで約1年、こども病院で1年半、児童発達支援施設で1年勤務し、独立しました。
転職は本当にしてよかったと思います。転職したことのメリットは
・シンプルに症例の経験が増える
・知らない分野を学べる(急性期の成人整形と、NICUで行う介入はまるっっっきり違います。)
・自分を客観視できる
私、声を大にして言いたいけど今の職場に少しでも不平不満が出るようだったら、マッハで転職したほうがいいと思う。だって、その不平不満言ってる時間無駄じゃない?
よく、職場の不満を言ってる人に「え、なんでじゃあ転職しないの?」って聞くと
「〇〇さんに紹介してもらったから。。。」
「今〇〇の仕事を任せられてて。。。」
「上司に期待されてて。。。」
って聞くけど、
うんうん、あなたは誰のために生きてるの?☺
って思ってます。家族がいて〜とかの理由とかは避けられないですけどね。
基本みんな自分の人生は自分のものなので、
「なにかうまくいかない理由」を他人に置かないほうがいい。と思っている。
第7位 シェアハウスに住んだ
これね。めちゃくちゃ良かったです。
シェアハウスに住んだっていうと大体
「自分の部屋はあるの〜?お風呂は〜?キッチンは〜?ご飯はみんなで食べるの〜?交流とかあるの〜?彼氏できる〜?」
って聞かれるんですが、私の住んでたシェアハウスは
自分の部屋はあったし、お風呂は共同湯船とシャワールームがあったし、キッチンは共有で大きいのと小さいのがあったし、ご飯はみんなで食べたし、毎月何かしらのイベントはあったし、彼氏もできた。
一度はやってみたかった、共同生活。帰る場所が一緒な仲間たちと、とにかく楽しい青春を過ごした2年間だった。
第6位 世界一周の船旅に出た
このあたりから段々と「かめきち」を構成する要素が強くなってきます。
24歳のとき、病院を辞めて「外から日本を見たい」と思って世界一周をしました。行った国は
・中国
・シンガポール
・ミャンマー
・カンボジア
・スリランカ
・ギリシャ
・モンテネグロ
・クロアチア
・イタリア
・スペイン
・ポルトガル
・フランス
・イギリス
・スコットランド
・アイスランド
・アメリカ
・バハマ
・キューバ
・メキシコ
・パナマ
・ニカラグア
・ハワイ
の23カ国を周りました。
この期間、多様な価値観に触れ、様々な経験をした私は
「世の中は不平等で溢れている。しかしその中でも平等なのは人はいつか死ぬ、ということと、1分1秒の時間の流れは平等である」
という、自分史上最大の気づきを得ることができました。
そこから自分の残りの人生を逆算して「死ぬまでの時間をどう過ごすか」にシフトし、生きていくことになったのです。
第5位 開業
2020年1月、中国武漢で発生した謎のウイルスが日本にもやってきた。
そう、新型コロナウイルス。
コロナが猛威を振るっていた時期、私は市の療育施設に勤めていた。そこは公的な機関だったため「登園の自粛をお願いします」というなんとも保護者に責任を負わせる言葉で園児の利用を制限していた。
そんな中、母たちからは「リハビリに行けなくて体が固くなってきちゃった、、」「装具が履かせられなくなってきた、、」「ご飯の飲み込みが悪くなってきた、、」「ムセルようになってきた、、」という声をもらっていた。
ワシ、思った。直感で『これはイカン。』と。
理学療法士として、なにかできることはないか。
人として、なにかできることはないか、と自粛の期間を使って
「こどもリハビリかめきち」が誕生した。
情報を伝える。根拠のある大丈夫を伝える。
保護者に寄り添う。解決策を伝える。
こんな私のマッハな情報発信と、薄々気がついていた自分の社会不適合性がマッチし、情報発信を始めた丸1年後、晴れて私は独立開業した。
開業して一番良かったのは、「自分の責任を自分で取る」ことができるようになったこと。あとはお金の流れや、マーケティング、集客など
普通に病院に勤めていたら到底わかり得ないことがわかるようになった。
20代で一人で開業したという実績もできた。まだまだ開業して3年目のひよっこだが、着実に自分が力をつけていってるのがひしひしとわかる。
確実に私は開業してよかった。
第4位 接客業
これはもはや10代の頃からの話なのですが、
若いときに接客業をやっておくこと、マジで大事。
私は高校1年生から専門学校3年生(国試1週間前までw)まで接客業をやっていました。接客業もいろんな(笑)接客業をしたのですが、接客業をやっててよかったと思うことは、
このあたりかな、と思います。
特に、私が人見知りや物怖じをしない理由はこの経験があるかなと。
人見知りって結局「自分がどう思われてるか気にする」ことなので、
相手とのコミュニケーションの本来の目的を失いがちなんですよね。
接客業って接客する「意味と目的」が必ずあるので、自分がいちいちどう思われてるかなんて気にならなくなるのさ。
第3位 受診
自分の「適切な診断名」を知るのに、数年を要しましたが、ようやく29歳のときに知ることができました。
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