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「好き」を逆から読んでみた話


「お前の愛ってフリーマーケットみたい」


一見聞き捨てならなそうな言葉だが、私はこの言葉が大好きで、きっとずっと忘れられない。




私は情に脆く、共感姿勢が強く、感情的ないわゆる感受性が高い人間である。

共感がすぎるの前に、人を愛する閾値が非常に低い。
目の前の人間を過剰なくらい老若男女問わず愛してしまうのだ。
得意なことは人を愛すること。不得意なことは人を嫌いになること。
絶対に避けて通りたい道は、人から嫌われること。

どうも、愛情垂れ流し女、かめきちです。


そもそも人を好きから入る、人間関係減点/加点方式の私なので
もちろん人間関係のトラブルも多々ある。(八方美人だからね)


そう、トラブルを引き起こしてしまうときの大半は
自分の常識=相手の常識 ではないというとき。
これが一番トラブルの引き金になる。

よくよく考えると当たり前なのだが、茶飯事に起こることは

私の言う「好き」と相手の捉える「好き」が違う
私がする「ハグ」と相手の捉える「ハグ」が違う。みたいなこと。

特に「好き」でいうと、私の好きには2000種類くらい好きの種類がある。(言い過ぎ案件)

・尊敬
・愛情
・思慕
・慈愛
・感動
・感謝
・情熱
・安寧
・安心
・混沌(うそだろ)

みたいな。いろーーーんな感情が混じって、そのときの感情をちぎって混ぜてこねて作り上げられたのがかめきちの「好き」という一定の気持ちになる。

トラブルを回避するためには、この上記の「好き」を逆算して細分化して相手に伝えればいいのだ。

例えば
「Aさんのそういうところ、好きです🥺」
ではなくて
「Aさんのその配慮ってとてもきめ細かで、自分にはないところなので尊敬します!ありがとうございます!」
みたいな感じで言えばいいんだよな。
でも私って手っ取り早く感謝とかを伝えたいから「好き」の一言で片付ける傾向にある。


まって。気がついた。俺、ただの言語化できないアホ。


「好き」を逆算して、細分化して、言語化できるようにしよ。今日から。

「愛」を利便性の高い言葉にしないんだ。




*********

先日、想いが溢れてクライアントさんに

「私は〇〇さん(ママ)とも〇〇ちゃん(お子さん)と一緒に生きていくことはできない。けど間接的に一緒に生きていきたいと思っている。」

と、いわば自分の常識を押し付けた言葉を投げかけてしまった。

支援の瞬間、どうしても気持ちが溢れてしまう。

一見責任のない言葉に思えてしまうのだが、本当に本当に心の底からそう思って、我慢ができずに出してしまった言葉だった。

他の支援者からは何を知った口を、と思われるかもしれない。
けど本当に心から寄り添いたくて、ママに寝てほしくて、安心してほしくて、どうにか自分の知識を振り絞って、伝えて、受け取って、与え続けた先に出た言葉だった。

相手がどう思ったかわからないけど、これが私の今の愛のかたちなのだ。

私のフリーマーケットのようなガバガバな愛を机上の空論にせずに、
かたちにして、仕組み化していく。
それが私の人生の使命「シンプルに人を救う」なんだと思う。


今日も愛で溢れている愛理さんのお胸がしくしくと痛い。




いわゆる「フリーマーケット」のルーツは、元来フランス各地で行われていた「蚤の市(Flea Market)」です。
「ものは、使える限り大切に」という、省資源・省エネルギーの思想と、環境保全まで含めた考え方

フリーマーケットとは



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Posted by こどもリハビリかめきち on Wednesday, September 14, 2022




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