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『ユンヒへ』感想

■ Watching:『ユンヒへ』

雪の積もった日に『ユンヒへ』を観た。実は映画館に観に行こうかどうしようか少し迷っていたのだけど、昨晩布団の中で見た予告編に鳥肌が止まらず、その瞬間に今日の予定が決まった。そして実際に観てみて、すごく、すごく良かった。

冬の小樽には雪と月、夜と静寂だけだから

ジュンは、マサコ伯母さんに、自分に、ユンヒに冬の小樽が似合うと言った。そして静かにゆっくりと進むこのストーリーの纏う空気もきっと、冬の小樽によく似合うのだろうと思った。しんしんと雪が積もるように、思いが積もりゆく様を見ていた。いつか小樽に行ったとき、それがいつになったとしても、私は『ユンヒへ』を思い出すだろうなと思う。

- ユンヒとジュン、私

観終わって驚いたのは、ユンヒとジュンが同じ画面に収まっていた時間がほんの一瞬であったと気づいたときだ。ずっと静かに互いを思い合うユンヒとジュンを見ていたから、1人だけが画面に映っている時ももう1人の存在を感じていたのだろうか。互いの姿を認め、見つめ合う2人の中に、2人が共に過ごすその時間の重みとそれぞれに過ごしてきたそれまでの時間の長さを感じたからかもしれない。

私は自身のセクシャリティについて、シスジェンダーのヘテロセクシャルであると認識している。恥ずかしいけれど、数年前まで性の多様性について考えたことはほとんどなかった。ようやく最近関心を持つようになり、学びたい、知りたいと思っている。でもそれはあくまで自分本位な思いにすぎなかった。

『ユンヒへ』を観て、同性である互いを愛した彼女らの、歩んできた道のりの険しさを改めて思った。私は自分の無知や思い込みによってきっと誰かを傷つけた。現在進行形で傷つけ続けているかもしれない。自分の力で社会を劇的に変えようとするのは難しいかもしれないけれど、自分が傷つけてしまう人の数を減らすことは自分の努力次第できっとできる。そのために学び続けなければと思う。そして同時に、声を上げなければとも思った。

- 母と娘

印象に残ったシーンを思い返してみると、ユンヒとセボムのシーン、ジュンとマサコ伯母さんのシーンが多く浮かぶ。『ユンヒへ』はクィア映画であると同時に、母と娘の物語でもあったのだと思う。

「お母さんは何のために生きているの?」「子供のため。」「もうその必要はない。ソウルの大学にいくから。」という会話をセボムとユンヒが交わす自宅でのシーンは、本当に胸が苦しかった。

ジュンの父の葬式の後、仕事から帰ったジュンにマサコ伯母さんがハグを求めたシーン、あのときの2人の会話には涙が止まらなかった。

小樽でほんのりと優しい嘘を含んだ会話をし、歳の違い友達同士みたいに雪をかけ合うユンヒとセボムを見て、胸がいっぱいになった。

私は自分の母と自分の関係でしか母と娘を知らないけれど、この映画で描かれていた母と娘はものすごくリアルだと思った。母と娘ってなんだか独特の距離感を持つ関係性だと思う。友達同士みたいなときも、依存的なときも、支え合えるときも、疎ましく思ってしまうときも、自分とは別人なのだと思うときも、似ていると感じるときもある。心と心の距離が自在に伸びたり縮んだりするのだ。ユンヒとセボムの間にこの伸び縮みが見えたように感じた。

イム・デヒョン監督は男性の監督としてレズビアンの映画を撮ることに苦労したと話されていたが、恋人同士にとどまらず女性同士の関係を丁寧に描かれているのだと思った。

- 彼女らの表情

饒舌な映画というわけではなく、画面を見る時間もたっぷりあったはずなのに見逃してしまったと感じる部分が多い。特にユンヒの、ジュンの、セボムの表情。中でもカメラを向けられる前後と、写真に収まった瞬間の彼女らの表情をもう一度見たい。そうすることで、より深く彼女らの思いを想像できる気がする。

- 蛇足

数年ぶりのレベルで久しぶりに、都会の大きな映画館に行った。普段よく行く映画館と同じ感覚でギリギリに着いたらチケット売り場に列ができていて面食らっちゃった。もっと前に着くようにするか、オンラインで買っておけば良かった。多分最初の数十秒、悪ければ数分、見逃してしまった。同じ轍は二度と踏まぬ…

(2022.01.14)

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