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学ぶことって楽しい

日経iThinkersの卒業生の集まりで「どうして勉強をするのか」というと問いがあがり、自分自身もなんでだろうと思ったので、改めて考えてみることにしました。

私にとって勉強というより学ぶことというのは楽しいの一言で表されるなと思います。
ただどうして楽しいのか、どういうところが楽しいのかという部分についてはあまり考えてなかったので、今回を機に考えてみたいなと思います。

学ぶことが楽しいという感情にどう繋がっていくのか考えたので、図解してみました。

学ぶことが楽しさに繋がる

私の中で学ぶことの中核にあるのはなぜなのだろうなどの疑問です。
普段の生活の中で私はずっとこの疑問を相手にしているような気がします。
あの人はこういうことを言っていたけど、本当にその認識は合っているのかな。もっとこういう視点で考えると違って見えるんじゃないかな。とか、あの人と意見が合わないけど、どういうところが合わないように感じるんだろう。とか色々な疑問と問答しています。

そして、そういった疑問に答えるのが私にとっての学びです。
それは勉強もそうなのですが、人と話すことも本を読むこともただ出かけるだけでも、何か新しい視点を得られる学びになるのです。

そして、新しい視点を得られると、なるほどという気持ちになり、学ぶことが楽しくなります。

始め勉強という言葉を使っていましたが、それだと机上に向かってしてやるもののような気がするので、私にとって楽しいと思えるのは勉強というより、学ぶことという方がしっくりとくる気がしました。

そう考えると日常生活そのものが楽しいものと思えませんか?
意外なところに自分が求めていた答えが埋まってるかもしれないと思って、わくわくしてくるのです。

時々私がしていることに対して、意味があるのかと聞かれることがあります(やることの範囲が広すぎて😅)が、意味がある必要があるのかとは思います。
面白そうと思うだけじゃダメなのかなと。もし意味があるのなら、やってみた先にあるもので、やる前に意味があるかないかで絞る方が意味がないのではないかなと思います。

最近だと学校の教育もこれは将来役に立つけど、これは立たないと言われたりしますが、それを聞くと少し悲しい気持ちになります。
もちろんその時代によって学ぶべきことが違ってくる部分があるのはわかっています。学校で学ぶ時間も限られてますし、今だと漢文より情報技術を学んだ方が絶対いいでしょう。
ただ、役に立つか立たないかよりも前にそもそも学ぶことって楽しいよねってことを知ることの方が重要ではないのかなと思うのです。

あと楽しいよねって思うためには、全部の知識が繋がっていることも知ることが大切だと思います。仕方ないのですが、どうしても学校の勉強は教科ごとになってしまい、その教科ごとで考えてしまいますが、結局見え方の違いだと思うのです。
同じ東京タワーを見ても、国語目線だと小説だったり俳句だったりを思いつくかもしれませんし、社会目線だと歴史を思うかも知れません。数学視点だと高さを求めたいと思うかもしれませんし、美術目線だと色合いについて考えるかもしれません。
学校は教科ごとに分かれてしまっていますが、全部の知識が繋がって、同じものを見ても何か別の視点を見つけさせてくれると思うのです。

なんか段々長くなってきましたね😅とりあえず結論は学ぶことって楽しいってことです。人生楽しんで行きましょう🤗

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