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多様性と言論の自由

 7月にトランスジェンダー者のトイレ使用に関する最高裁判決があった。それに関して議論をする機会があった。いつもは活発に意見を言いあう若い人らの口がなぜか湿りがちで雰囲気が違う。よくよく聞いてみるとジェンダーやLGBTQの問題は非常にセンシティブな領域なので、もしかしたら隣にいる人がカミングアウトできていない当事者かもしれない、だから軽はずみな発言はできない、ということらしい。なるほど、近頃の若者らしいやさしさと気の使いようだと感心した。他者の個人領域にはなるべく踏み込まず、他人の主張と価値観を尊重しようとする慎重な姿勢でもある。私にはまねのできない繊細さだ。

新しい価値観との衝突

 しかしなんだか違和感が残った。LGBTQなど社会的マイノリティや権利を剥奪されてきた人々の立場を理解し、その主張を認めていくことは大事なことだと私も考えている。しかし、従来明確でなかった新しい価値観を理解し認めていく作業には必ず葛藤の過程が伴う。つまり従来の考え方では及びもしなかったことを理解し、これまでの価値観を改めなければ受け入れがたい視点を学ぶためには必ず衝突と対立が生じる。何が納得できて何が納得できないのか、また何が正されなければならないかを丁寧に整理していく事が大切になってくる。だから、新しい価値や考え、権利を承認していくためにこそ、意見を出し合って議論をするプロセスが大事なのではないか。葛藤と納得の過程もなく新しい価値や考えをすんなり受け入れてしまうことは、状況次第ではそれをやすやすと手放し、全面否定することにもつながるかもしれない。
 近年急速に取り上げられるようになったLGBTQやヴィーガン等の新しい主張に対しては異論や否定論が実際には多くある。暴力的な物言いは避けなければならないものの、マイノリティの権利を認めていくためには異論や否定を含めて意見交換を重ねていく過程こそが大切だ。それが新しい価値の定着に貢献するだろうし、それはマイノリティにとっても利益につながるのではないか。

正しい意見も正しくない意見も役に立つ

 19世紀に大衆社会が形成され、ものを考えない多数者が社会を席巻し始めた状況に危惧を感じたJ.S.ミルは「言論と議論の自由」を強く主張した。

 「…、一人だけ意見がみんなと異なる時、その一人を黙らせることは、
       一人の権力者が力づくで全体を黙らせるのと同じくらいに不当である。
     (意見を封じた場合、)…ひとびとは間違いを改めるチャンスを奪われた         ことになる。その意見が間違っている場合にも、ひとびとは前の場合と        同じくらい大きな利益を失う。なぜなら、間違いとぶつかり合うことに        よって、真理はますますクリアに理解され、ますますいきいきと心に刻
      まれるはずだったからである」
                                      (ミル『自由論』光文社古典新訳文庫45-46頁)

 やはり意見を出し合って議論をすることは大切だと思う。
 正しいことや物事の基準は、社会や時代の変遷とともに変化する。戦争を戦い抜くことが「正義」とされた社会もあれば、身分制度の維持が社会秩序安定のための「美徳」とされる時代もあった。こうした考えは社会の変遷と認識の変化の過程をへてまったく裏返しの評価に転じた。今では戦争は非人道的な「悪」であり、身分制度は排すべき「悪弊」である。

経はどこにゆくのやら

人類は愚かかかもしれない

 十分な議論をへて人々の納得を得ることなく与えられる「規範的正義」は危険だ。1990年代に解体したユーゴスラビアではボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア等々で30万もの犠牲者を出す民族紛争があった。ユーゴスラビアといえば、1980年代までチトー指導の下、多民族の共存する融和的国家の一つの模範とされていた。チトーなきあと社会主義政権が崩壊すると同時に民族対立が一気に爆発した。「共存」という規範は強権政治のもと人々に押し付けられていたに過ぎなかった。異民族への不信は人々の心の底でくすぶっていたのである。
 近年のヨーロッパにおける右翼政治勢力の伸長も、移民・難民排斥を共通政策として持っている。ユダヤ人虐殺という悲劇を経験し、戦後70年以上、民族問題克服のために議論を重ねてきたドイツでさえ、そうであるとすると、たとえ議論をしても最終的な解決にはならないともいえるかもしれない。人類はそれほど賢くないのかもしれない。
 それでもひとつひとつ丁寧に意見を交わしながら一人一人が納得をしていくことが人類社会の進歩していくための手段なのではないだろうか。

 他人を傷つけたくないという若者の心遣いはすばらしい。そうした気持ちを大切にしてほしい。一方で、異なる意見のぶつけ合いが、結果として、相手の立場を尊重して意見表明を遠慮すること以上のやさしさに繋がるかもしれないとも思う。実際にはその折り合いをどのあたりで見つけるのかという問題なのだろう。こうした状況にうまく対応するには多少の経験が必要なのかもしれない。                    (2023年9月)


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