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芸術の都 パリ

 そこかしこに芸術美溢れるパリには圧倒された。壁面、窓枠の隅々にまで意匠を凝らす建築群、技の粋を集めて荘厳さを際立たせる教会の数々に目をうばわれる。凱旋門や広場のオベリスクに施された彫刻は祖国の栄光と英雄を表情豊かに表現し、見る者に力を与える。王侯貴族の宮殿・館ともなれば柱、梁、壁、天井、あらゆる部位が絵画、レリーフ、タペストリーで飾られる。金や象嵌、組み木を施した美術品の如き家具調度類が部屋の雰囲気をさらに重厚にする。

セーヌ河畔のコンシェルジュリー

 通り沿いの一般建築物でさえ、その形状、門扉、出窓にそれぞれ工夫がこらされ、外壁のあちらこちらに動物や草花をあしらった文様が刻まれている。パン屋、カフェ、古本屋などの一般店舗も色とりどりの日よけオーニング、鉢植え、古本を使いながら、周囲の雰囲気との調和を崩すことなくそれぞれの個性を競いあう。公園の敷地や大通りの辻には当たり前のように古代神々のブロンズ像や歴史的偉人の像がたつ。美と技を争うが如く街中に建築物、塑像、彩り、装飾の数々があふれるパリは、その美しさと威容で芸術的センスも素養も持ち合わせないこの無粋漢をも圧倒した。芸術美のもつこの力は何だろう。

宮殿内の居室

 重厚な建築物、精工な彫刻、繊細な絵画は瞬時にして見る者の心を揺さぶる。もちろん人によって好みや性向が異なるので同じものを見て皆が皆、同様の受け取り方をするとは限らない。しかし、芸術、美は誰に対しても言葉や説明を介することなく直接感覚に働きかけ、驚きや感動、畏れや敬服、あるいは逆に嘲笑や蔑みの感情を掻き立てる。

ルーブル宮殿

 美術館として有名なルーブル宮殿は建物そのものが巨大な美術品である。柱の一本一本、窓枠の一つ一つに形状、装飾上の工夫が凝らされる。一方、全体としての調和をも保ち、見るものを嘆息させる。宮殿中庭、敷地につながる広大なテュイルリー庭園とあわせて美的空間を創り出す。建築物、石畳、彫像、池、庭木、草花が、青い空と黄色い大地を背景とした立体キャンバスに組み細工のように配され、歩く人々、眺める人々をさえ装飾物として取り込んでしまう。ルーブルはかつて戦を想定した要塞であった頃の面影をほぼ残すことなく、行政の府として、そして社会と後世に美を発信する拠点としてその役割を変じて今に至る。計算された人造の巨大空間に飲み込まれた自らのちっぽけさを思い知らされ無力感に陥る。芸術美、建築美の圧倒する力の第一は、人為的計算のもとに創られた細工が、日常感覚で養われた観察者の平々凡々たるイマジネーションを超えて襲いかかり打ちのめすことにあるのだろう。無力化された人間はそれを前に畏れを抱き、それに少しでも近づくために這い上がりたい、と思わされる。

オーステルリッツ記念塔

 ヴァンドーム広場の中央に位置するオーステルリッツ記念塔は天を衝くほどに高く聳え立つ。オーステルリッツ(アウステルリッツ)の戦いでオーストリア・ロシア連合軍を打ち破ったことを記念してナポレオンが建てたものだ。塔壁には戦場での栄光や功績がらせん絵巻として細かく彫刻される。あまりにも高く見分けもつけがたい柱頭に立つのは、司令官ナポレオン。パリの街を睥睨する。周辺建築物の排された広い空間の真ん中に立つ塔を下から見上げると、ナポレオンあるいはフランスが、世界の果てまでどころか天空の全てを支配しているのかと錯覚する。芸術の力の第二は、それに接する者に過去の偉業、功績に思いを馳せ、自分の身をも捧げたくなるほどの高揚感を抱かしめる点にある。美の描く栄光は、実は現実とはひどくかけ離れているかもしれない。しかし重要なのは事実ではなく感情をかきたてるその一点にある。
 こうした美術、建築、工芸品は、巨大さ、繊細さ、鮮やかさで人々の感覚や感性に直接訴え、見るものに大きな衝動と強い印象と与える。言葉や論理を通じた理解や納得などよりも数百倍も強い記憶を鑑賞者に刻印し、また、行動や思考を支配する。

エトワール凱旋門

 どの時代の権力者もそれを十分に理解していたので、自らの権力の正当化と権威顕示のために芸術や美を利用してきた。太陽王ルイ14世は豪奢な宮殿と広大な庭園をベルサイユにつくりその威勢で世界の支配を試みた。ナポレオンは戦争に勝つたびに凱旋門を建築して強さを誇示した。ルイ・フィリップはエジプト・ルクソール神殿のオベリスクをコンコルド広場に持ち込み植民帝国の威を誇った。哀しいかな、文化芸術と政治権力は密接に結びついている。
 先述オーステルリッツ記念塔の場にはもともとルイ14世像があった。フランス革命により旧体制の象徴とみなされ破棄された。後にナポレオンがオーストリア、ロシアからの戦利品として得た大砲を鋳直して記念塔を建てた。彼が失脚すると柱頭の像はブルボン朝開祖アンリ4世にすげ替えられた。ナポレオン3世の時代になって再度ナポレオン像が軍服姿ならぬローマ服姿で復活した。まさに権力の変遷に応じてモニュメントも芸術も利用されその意味もかきかえられてきた。

 しかしこうして作り上げられた美と蓄積された技巧は権力者の独占物にとどまることなく、一般の人々に共有され、時にそれが権力に対抗する武器となり、時に自己表現手段として楽しまれてきた。ドラクロアが7月革命(1830年)を題材に描いた「民衆を導く自由の女神像」は世界の人々、民衆に勇気を与え続けている。見るものは権力者の思惑を超えて、そこに独自の美を発見し、権力と切り離された自らの感性枠組みでそれらを楽しみ利用する。何が美であるかについても自由に探究するようになる。

民衆を導く自由の女神

 こうして権力者によって、また市民によって、街中の建物、教会、公園が芸術で飾られ、街路は思い思いの意匠で埋め尽くされる。それらに接し、ある者は神々の見えぬ力を感じとり、ある者は数百年前の威光を想起する。一つの嘆息に畏敬の念をのせ、人間の崇高さと人生の深みを再認識する。またある者はふがいのない自分自身を慰め、明日への希望を見出そうとする。奈落に沈んだ自己を見つめ直し、暗闇から天を仰ぐ力を獲得する。芸術に接し、なんでもない単調な日常と無機質化した心は彩々に色づけられて波打つ。美は生きていることの実感を取り戻す機会、生きるために力を再確認する契機を与えてくれる。

モンマルトルのサクレ・クール寺院

 芸術は、日頃の生活と義務に追われて自己を見失いそうな人間に、本来の喜怒哀楽を思い起こさせ、人生にとって何が大切なのかを改めて考えさせる。誰もが内に潜め押し込めている感情や心情をあぶりだし、それらを自覚させ改めて生への活力を取り戻させる力を持つ。芸術は権力によって人々の感情を操作する術として利用される一方、人々が自由に楽しみ、また生をより豊かに自分のものとして取り戻すための術ともなる。この無粋漢も機能性や効率をばかり追い求める毎日によって自分自身がいかに生の感情を軽視し、生きる根源を忘れさってきたのだろうと自省した。
 殺伐としている今の日本においてこそ、街や社会のあちこちを芸術、工芸、美で満たすことが大切なのではないかと痛感した。  (2023年12月)

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