家族カラオケで母が歌っていた歌を約15年ぶりに思い出す

母がカラオケで歌っていた曲でずっと思い出せないものがあり、今年になってついに判明した。
私が幼稚園に通っていた頃、私たち家族にはカラオケに行く風習があった。父、母、幼稚園児の私の3人で平日土日を問わずカラオケに行った。これは別記事で書きたいが、ゲーセンでスロットの打ち方を教え込まれたりもした。
両親は若くして結婚した。両親が恐らく成人するかしないかという年齢のときに私が生まれた。
幼い私にとって2人は立派な「親」だったが、世間的に見たら「20代前半の若者」だったのである。当時は「今日もカラオケやゲームセンターに連れて行ってくれて嬉しい!」と思っていたが、恐らく''子どものために''ではなく、自分たちがまだ少しぐらいは遊びたい気持ちがあり、それに子どもも連れて行っていたというだけの話だと感じている。これだけ聞くと何だかとんでもない親みたいになってしまうが、ちょっとやんちゃだっただけでとても尊敬する両親である。

家がある近辺は田舎すぎてカラオケがないので、車で30分ぐらいかけて市内に行っていた。当時、食べ放題飲み放題つきの激安カラオケというものが存在していて、そこがお気に入りだった。食べ放題はカレーも米もあるし、冷凍食品だろうけどお惣菜もある。お菓子とアイスも食べられるし、ソフトクリームもある。子供の夢みたいな場所だった。どう考えても安すぎる料金設定だったので、10年ほど前にしっかり潰れた。まねきねこのパクリのようなマスコットキャラクターがピンク色の看板にでかでかと描かれていた。受付もピンクを基調としたファンシーな感じで、入り口にはチュッパチャプスのゲームがあった。

チュッパチャプスのゲームとはこれ

家族カラオケで当時の自分が歌っていた曲は、もっぱらアニソンだった。
親の影響で好きになったドラゴンボール、北斗の拳、聖闘士星矢の主題歌などは毎回歌っていた。ちなみに、ドラゴンボールや北斗の拳などについては「周りの子供も見ている」と思っていた。幼稚園児の世界は狭く、自分の家の中で見ているアニメはみんなも見ているだろうと当然のように思っていた。実際、見ていた同級生は1人か2人だった。
中でも「おじゃる丸」のEDでめちゃくちゃ好きな曲が1つだけあり、それで100点を取ろうと10回くらい連続で歌ったりした。

ちなみに「貧ちゃん」というのはサブキャラで、本編にそこまで出てくるわけでもない。そしておじゃる丸を熱心に見ていた記憶は全くないにも関わらず、この曲に狂信的なほどの情熱があったらしい。

両親はというと、父は主に尾崎豊を歌っていた。父と母は尾崎豊が好きということで仲良くなって結婚に至ったと聞く。最近分かったことだが、80年生まれの父と母は全くもって尾崎世代ではない。その中で、直撃世代ではないにも関わらず尾崎豊が好きだという共通項が2人を引き寄せた。
父の影響で、私は今でも歌詞を見ずに尾崎の曲は5曲ぐらい歌える。
母は今思えば、1990~2000年代の女性歌手のヒットソングを多く歌っていた。母は無罪モラトリアムあたりの椎名林檎を崇拝しており、「本能」のMVをカラオケで初めて見た幼い私は何だか不思議な気持ちになった。今でも椎名林檎を見る度に、「昔はタバコ吸いながらMステに出てたんだ」と必ず言う。ちなみに母が好きな曲は「正しい街」と「シドと白昼夢」らしい。

そして、その母が歌っていた曲の中で長年思い出せない曲があった。今思えば母に聞けばよかったのだが、何故かそうすることはなかった。
どういった雰囲気の曲かというと、多分女性ボーカルが歌っていて、散歩しながら聴くような軽快なリズム、そして恐らくこの曲はキーが高音だ。母は声が低めなのだが、この曲を歌う時につらそうだった(所々出てなかった)のである。そこまでアップテンポではないが、ローテンポでもない。音楽のジャンルでいえば「ポップス」だと思う。ギターをジャカジャカ慣らすハードロックな感じでもなければ、しっとりしたバラードでもない。
さらに、最大のヒントがある。「ひまわり」というワードが歌詞に入っていた気がした。あと「バニラのにおい」みたいな歌詞もあったような…
勘のいい人は、もうお分かりになっただろうか。

その曲の正体が判明した時、私は電車の中にいた。Spotifyで何となく音楽を聴いていると、偶然''おすすめ''欄にその曲が現れたのである。探し求めていたあの曲とは知らずに、アーティスト名だけを見て何となく再生した。

「デレレデレッ デレレデレッ」とイントロが始まった時点では、その曲の正体に気付いていなかったのだが、歌い出しで「どこかで聴いた」という感覚を覚え、30秒頃で確信に変わった。

「ママの作ったプディングは バニラの匂いがした」

これだ・・・・・・!
探していた曲は、JUDY AND MARYの『ドキドキ』だった。
当時、「プディング」という特異的なプリンの呼び方が不思議だったのを思い出した。

そして1分20秒頃、
「見上げるほど高い向日葵は みんなの匂いがした」という歌詞!!
電車の中で、幼い頃のおぼろげな記憶がどんどん蘇る。
サビの「空を仰いで 手を叩いて」の部分は、子供から見てもえげつないぐらい煙草を吸っていた母の声帯には高くて出せていなかった。
「これ15年以上前に母親がカラオケで歌ってた曲で、たった今分かったんです!」と電車に乗るみんなに教えてあげたかったほど衝撃的だった。
今では、私自身がこの曲をカラオケで歌うようになった。私は酒も煙草も好まないが、母に似て元々声が低いので「空を仰いで 手を叩いて」の部分は高くて血管が切れそうになりながら。
当時の母とほぼ同じ年齢となった自分は、もちろん結婚もしていなければ子供など持つ未来も見えない。今の自分に幼稚園児ぐらいの子供がいるとは、想像すらできない。当時の母はたしかに「母」だったが、社会的には20代前半の今時の若者だったのだと気付いたのは最近のことだ。この若さでよく子供を育てていたな、と我が親ながら感心してしまう。
ちなみに父の影響で覚えた曲は尾崎の他に2曲あって、それが「エキセントリック少年ボウイのテーマ」「ああエキセントリック少年ボウイ」である。


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