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一つところにとどまらず
つい数日前までの空気中にあった透きとおるような隙間がなくなっていて、今ではどうも、落ち着きのない急かされているような感じと、むしろのんべんだらりとした、白昼夢にいくらか騙されているみたいな感覚とが同時に身体の内外にあふれているけど、これは春だからに決まっている。
寒さが次第に衰えてゆき、前の日と温度にそれほど大差がなくともいつか、どこかでぷっつりと冬は閉じる。そのかわり当たり前のような態度で春がはなからダラダラと、目に見えている空の下の全てを含んで寝転んでいる。その次の日くらいからは、すっかり気温もぬるく伸びはじめるのがこの季節の質といえる。
我々はそれで「あ、春や」みたいな反応を心の中に自然に突発し、ある者は浮足で跳ね上がり、またある者は意力を削がれて「眠ぅ」とふやける、あるいは不運極まると「ほぎやぁんっ」と杉やら檜の花粉に目も鼻も喉もやられて生きる力が激烈に薄弱する者もいる。そんな具合に、人によって幾らも様相が異なる、いい加減な季節、春、がいま来ていた。
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いい加減とは言ったものの春はいい季節かもしれない。というのも「寒う」以外の情念が何らも心に立ちのぼってこない冬とくらべ(これは地球上に存在する遍くすべての人に共通する)、それぞれの人間を色々にする、くわえてその一人ひとりの心のうちでさえも、先に書いたように一つところにとどまらないのだから面白い。春を自分は愉快に思う。
ところで今日は図書館に本を返却に行く。本当は昨日行ったけど間に合わなかった。あともう10分着くのが早ければ…という落胆の鍋底に心が垂れ下がってひっつくのを努めて無視しながらガラス越しに「本日は閉館しました」の案内立てを眺め、ひたすら佇立した(実際はものの数秒程度でして)。
春はいい季節かもしれない。とか澄ましたことを最前書いたけど、実は自分この季節が結構、というかまあまあ普通に好きで、毎年毎年、年甲斐もなく、そしてその度合いは年々ますます酷く乖離していくが正直言って心は春風に吹かれてウキウキしてしまう、その辺の鼻汁つけた子供みたいに。
「おぇ、これお前、おぇ、これ春やんけ」のようなバーバリアン風の文言が頭の中で桜花のごとくに咲いてテンションがブッとび。アゲ。精神が七色に輝いては、たちまち心根にブワァと往来での脱糞願望がエグいくらい満ち満ちてバキバキ、いやそんな願望はついぞ抱いたことはないけど、例えば、これは例えばの話で、もうこれ外でうんこしたってもええかなぁ!?くらい一瞬間のあいだ舞い上がる的な、ということを記述したかった。
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そういえば、自分には個人的に信奉している神様がいる。その名を漫ろ神(そぞろがみ)という。奥の細道の序文にも出てくる由緒ある神なので、知ってる人もいるかもしれない。
……春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて……
漫ろ神とは字の如く人の心に取り憑いて漫ろな、ふらふらとか、ふわふわとかさせる神様である。そうすると取り憑かれた人間は「なんとなく江ノ島に行きたくなった」とか「なんか知らんけど今日は夜の公園で酒飲んだりしたい気分」とか、さらには「あかん。どうしてもわし、この頃は旅みたいなことがしたい。完全に旅したなっとるっちゅうねん」とか不意にそういうのが胸中に現出して囚われる。でもそれは不快感のない桎梏なので当事者はむしろ、漫ろな気分をおし戴いて、しなやかに生き生きとする。すばらし。
個人的には、春の落ち着かなさやワクワク感は、この漫ろの神様の仕業であると思っている。
ちなみに奥の細道で、その漫ろ神の対句に道祖神というものもあるけど、これも好きで、数年前に書いた運転免許合宿についての小説の中で、重要なシーンに道祖神(のある場所)を登場させた。
というような事を考えて図書館近くまで到達した頃に、なにやら突然不吉な予感がゆらゆらと風に乗って顔や手などの肌を擦過していくので「此は如何に」と思ってやにわにスマホで図書館の開館スケジュールを確認したところ、果たして今日は閉館していた。
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そうか、あかんかったか。
相変わらず弛緩した空気が空の下全体を支配するともなしに支配していた。自転車の車輪の回転する音が聞こえる。人間は自分の足でペダルを漕いでいるつもりでも、季節の風が人間にペダルを漕がせ自転車を前に進ませるその中動態が本当のところであったりする。車が横切って、そのあとから小さな白い犬を散歩させる二人連れの若者が行き過ぎた。春は人間を一つところに停留させない。であれば自分も。
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漫ろ歩きをしながら帰ることに決めた。いわゆる散歩と洒落込むことにしよう。この散歩っちゅうのが僕、好きや。そう言ったのは心の中か頭の中か、口で外に放り出したのか判然しないまま緩やかに曲がった坂道を、「ほぎやぁんっ」と盛大なくしゃみをしつつ、自分は下ることにした。微睡んだような昼の空気が膨らんでいた。
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