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自己肯定感と承認欲求

「自己肯定感は高い方がいい」っていう話、よく聞くじゃないですか、でもプライドと自己肯定感の違いもよくわからないし、自分を肯定することがそもそも難しいっていう話じゃないかと思うんですよ。あと最近は自己を肯定するために他人に認めてもらおうとしてるのもよく見かけるんですけどそれもなんか違う気がして。今回は自分なりの自己肯定感と承認欲求の解釈を並べてみようかと思います。

そもそも自己肯定とは

自己肯定感って何だろう、とまず考えてみたとき、一番最初にぱっと言語化できたのは「自分の中で自分を認められること」という感じになりました。どういうことかというと、何かにつまづいたときなんかに「まぁ自分にしてはよくやった方でしょ」と認め、前向きなアクションを起こせるような精神状態を「自己肯定感が高い」と言うんだろうなと思うんですよね。

大事なのは「他人を基準としていない」部分。

僕はおそらく自己肯定感がすごく低いんですけど、毎回落ち込む理由って「頑張っても頑張っても上には上がいて、自分の努力不足を痛感するから」なんですよね。自分の成長幅は一切見ないで(目標との距離を測ると成長を実感できなくて)他人を見て自分で評価を下してるんですよね。

自己肯定感が高い人と低い人だと一日の終わりに持つ感想が真逆になると思うんです。高い人は「今日は○○ができたなぁ」ってなるし、低い人は「今日もこれだけしか前に進めなかった」ってなると思うんですよね。(実際僕は毎晩虚無感に駆られるんですよね笑)そりゃあ次の日のモチベーションは天と地の差がありますよね、焦りより楽しみの方がやる気出ますもんね笑

承認欲求の場合

承認欲求を簡単に言うと、「他人に認められたいと思うこと」ですよね。「誰かに馬鹿にされたくない」もこれにあたるかも。

正直僕の行動原理はほとんどこれです笑
誰かに負けたくない・馬鹿にされたくない・認められたい

何か行動を起こすたびにそう思ってます
表に出すぎていないことを願うばかりです笑

これ型にはまるとめちゃめちゃ効果を発揮するんですけど7割方不発(当社比)でほとんどモチベーション下がって終わるっていう。
そんなギャンブル的にモチベーション管理してんじゃねーよって感じですよね、僕も頭ではそう思ってます笑

僕の話は置いといてですね、承認欲求って満たし方が二種類あるなと思っていて。

・自然と周りの人に言葉や反応で示してもらうのを待つ、してもらえるまで努力する。
・自分で積極的にアピールして反応が返ってきやすい状況を作る

どちらが正しいとか、どちらかの方がいいとか、そういう話をしようとは思わないんですけど、個人的に、あくまで個人的には前者でありたいなぁと思っていて。何となく「本物」っぽい気がするんですよ。自然に言ってもらった方が。僕的には後者は「言わせた」感が強くて。ただ、何も言ってもらえなくてモチベが下がり続けていったら逆効果というか、この場合はただの努力不足なんですけど、″パフォーマンスを維持する”、という点で見たら後者でもいいのかなぁとは思います。

まぁこのnote自体が承認欲求満たしに来てるだろ、って言われたら何も言えないんですけど笑
いつも感想くれる人、ありがとうございます。これからもどうぞよろしくー

ちょっとだけ棘のある話

前章で承認欲求の満たし方は2つあって、そのどちらも場面ごとに良さがあるよ、的なことを書いていたと思うんですけど、ここからはちょっと棘のある話だし、「お前が言うな」とか「ふざけんなそうじゃねぇ」って思うことを言っているかもしれません。あくまで持論なので、批判も非難もwelcomeです!笑

僕は普段twitterを使うことが多くて、そこそこにつぶやいてたりもして。知り合い見つけたらフォロー飛ばしたりとか、ただの情報収集のためにいろんなアカウントを見てみたりするんですけど、明らかに反応待ちなtweetもあるわけじゃないですか。写真付きで「今日はサロンに行ってきましたー」みたいな。

端的に言うとあれ、嫌いなんですよね。

僕の中の“つぶやき”の基準は「散歩中とか部屋で一人の時に独り言でぽろっと言ってしまうようなこと」にしていて(noteとか質問箱は別として)、反応が返ってくればそれはそれでいいし、帰ってこなくても別にどうでもいいことしかつぶやかないようにしてるつもりなんですよ。中には反応が返ってくるとむしろ面倒に思うものもあったりして。

Twitterの使い方は自由だから別にやめてくれとかそういうわけじゃないんだけど、tweetの中にさりげなく「自分こんな高価なもの使ってるんです」とか「私めっちゃ仕事してます」みたいなのを匂わせてくるのは個人的にはとても苦手なんですよね笑

そういうものを見ると、「お前はネット上の誰かに『偉いね、すごいね』って言ってもらえないと毎日仕事すら満足にできないのか?」とか「お金持ってるのすごいね、で、お前は何者なの?」とか思っちゃうんですよね
ひねくれ度合いもいい加減にしろって感じですかね笑

どれだけTwitterで反応が来て、自分の中で「これだけの人が認めてくれる!」って思ったところで現状の自分は変わらないし、他人の薄っぺらい「いいね」やらリプライ一つでは現状に不安を抱いてる自分は一向に満たされないってことぐらい、発信している本人たちはわかってないのかなぁ、なんて思ったりして。

そういう発信をしてる人を見ると嫌いになるというよりなんかがっかりしてしまうんですよね、なんでそうなるか言語化できないのが残念なんですけど。

まぁ結局なんだよって話なんですけど、少なくとも僕の周りの人たちにはそうなってほしくないなぁっていう傲慢極まりない願望と、自分は多数の薄っぺらい称賛より尊敬する人たちのうちの何人かからもらえる暖かい言葉を大事にできてる今のままでありたいなぁっていう話です。
回りくどさ極まってますね笑

終わりに

さて今回はかなり棘のあるというか少なくとも読んでいて気持ちの良いものではないものを生成してしまった、という感じですがいかがだったでしょうか。

最近SNSに疲れてきたんですかね、こんなことを書こうかと思ったきっかけは今となっては忘れてしまいました笑

露骨に自慢ならほほえましく見れるんですけど、きっと“匂わせ”が回りくどくて「はっきりしろ」って思ってしまうんですかね。

今回の記事に関しては‘絶対に’賛否が生まれるのはわかってるので、ぜひ質問箱でも直接でもいいので意見をぶつけてきてください。楽しみにしてます!

あと「これについてはどう思う?」とかもしあればいつでも投げてください(ぶっちゃけ書きたいことがなくなってきてます笑)書くことは止めたくないので、ぜひよろしくお願いします。


それでは今回はこの辺で。
あなたに「food for thought」を届けたい。
れおざわでした。


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