【第167回】能登地震でのコミュニティの共助の事例(能登町鵜川地区)
質問 能登地震でのコミュニティの共助の事例を教えてください。
概要
①能登町鵜川地区
②地震で家屋が倒壊し生き埋めの住民が出たがコミュニティで救出
③東日本大震災の教訓を踏まえた訓練の成果
解説
①能登町鵜川地区
能登町の海沿いにある鵜川地区は、人口約860人、約370世帯の古くから漁業が盛んな地区です。
鵜川地区の「にわか祭」は、袖キリコの中でも、特徴的なことで有名です。七福神の一人である弁財天を祀る漁師の祭礼で、毎年8月に実施されています。
この「にわか」とは、鵜川に古くから伝わる武者の絵が描かれた高さ約7m、幅約5.4mの9基の大奉燈であり、祭り中は、鵜川の街中を練り歩きます。
②地震で家屋が倒壊し生き埋めの住民が出たがコミュニティで救出
2024年1月1日の能登地震の際には、地震によって数多くの家屋が倒壊し、生き埋めになった住民も出ました。
しかし、迅速に全員の安否確認を行い、がれきに埋まってしまった住民については、コミュニティの住民同士で助け合いながら、救出しました。
そのため、鵜川地区では地震による家屋の倒壊はあったものの、全員が助かったのです。いざという時に、住民が結束して対応した共助の成果です。
③東日本大震災の教訓を踏まえた訓練の成果
鵜川地区では、2011年の東日本大震災の後、津波ハザードマップの見直し等を行っており、地震や津波に対する住民の防災の意識が高くなっていました。
そして、東日本大震災の教訓を踏まえて、毎年1回津波を想定した避難訓練を実施しており、高台への避難や避難所開設の訓練を繰り返していました。
そのため、能登地震の際には、住民は、迅速に高台の鵜川小学校の避難所に避難するとともに、逃げられなかった住民の情報を迅速に把握し、共助によって救出することができたのです。