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「公私」と責務

今の日本を見ていると、「」のために個人が「」を捨て去り、あるいは「私」を自ら殺し、自らを苦しめているように観えます。

公の精神」と言えば聞こえは良いものの、現在の日本における公とは「カネ儲け」のことで、金儲け、ビジネスのためなら個人の考えは制限されても”やむを得ない””仕方ない”という考え方です。

個人の考えを制限されているのは本質的で、実は騙されていたり、制限されているのにされてないと言い張るストックホルム症候群のような者も多く存在し、現実と向き合う精神力がないために、「仕方ない」と自分を慰めています。

この3年間で日本の大人たちがやってきたこととは、「公の精神で子どもの命(時間)を奪う」ということでした。

マスクを強制し、行動制限を強いて、正体不明のワクチンと称する薬品を子どもに接種させました。

すべては感染対策という欺瞞の大義のため、その大義が公の精神として浸透し、「正義」となりました。
正義という言葉ほど野蛮なものはないなと最近は思います。

公のために無意味なマスクをする、公のために謎の注射をする、公のために個人を弾圧するという歪んだ正義は、超過死亡数の増大という結果をもたらしたのでした。

公の精神で行われた浅薄な連中の言動や行動には一切の責任感がありません。
当然、彼らは自らの行動に責任など生じないと考えており、社会に多大な影響力を以て広報していても、「仕事だから」「上の指示に従っただけだから」の免罪符で責任を回避していると思い込んでいます。

マスメディアも、医者をはじめとする医療従事者も、為政者も財界も、官界も、どこにも自身の仕事に「責務」という概念をもっていないのです。

責務とは「責任と義務。また、果たさなければならない務め」とあります。

彼らの無責任から、コロナワクチンで接種者が得られたものとは、

・不健康な体
・人生
・不安
・やりばのない怒り
・体調不良

接種することにメリットなどあったのでしょうか?

接種が始まる前にこの注射の危険性に声を上げていた者たちの声を嘲笑い、蔑み、さらには罵倒までした医療従事者をはじめとする薬好きな人たちはこの現実を受け入れることはできないのでしょう。
問題をコロナ後遺症や別の感染症に因果関係を求め、コロナワクチンとの関連性、因果関係は疑いもしないことでしょう。

そうしなければ自分が壊れてしまうから。
個人の人生においては自分と向き合うこと、自分と戦うこと、すべての個人の問題は自分の問題に帰結します。

個人のもつ正しい生き方や信念と、利害は衝突することがありますが、「これ以上は」というボーダーラインが彼らにはもうありません。

責任のない信念や生き方など、それは単なる傲慢でしかなく、歪んだ正義を生み出すだけの源泉に過ぎません。

また、個人の信念は、多くの場合論理や事実を凌駕します。

見たいものしか見ない」と同様に、右翼に昭和天皇がCIAエージェントだと言っても認めないように、また左翼に安全保障政策について説いても結論を絶対に変えないように、医療従事者にファイザーが公表したコロナワクチンにおける、1200以上の副作用が記載された文書を見せても、ポカンとするだけのように、彼らにとっては「思考は悪」なのです。

先日、TwitterでNHKがまたおかしなことをしているとのことです。

「動物と合体」
「心臓捧げます」
「生贄たくさん見届けてきたよ」
「集団生贄200人」
「心臓どくどく捧げよう」

人類は世界中でとんでもないことをしてきました。
スイスの子喰いの鬼がありますが、知性があればスイスにそれが存在するという時点で察することができるはずです。

NHKも開き直っているのでしょうね。
クレームとか「気にしてらんねーわ」って感じなのでしょう。
まともな人もいるでしょうがそういう人はNHKを辞めるでしょうから、NHKは悪の巣窟ということになります。
さしずめ、宣伝省の筆頭メディアというところでしょうか。

NHKへのご意見はこちら。

一言、「「まやまやぽん!」を放送するな!子どもが見たらどうするんだ!いい加減にしろ!」でいいでしょう。

そろそろ、本音で生きてもいいんじゃないでしょうか?
もう本音を建前でねじ伏せる必要はありません。

その建前が自分を殺してしまいます。
必ず死ぬときに後悔します。
何度も言うようですが、政府は貧乏人から殺そうとしています。日本政府が忠誠を誓っているのは国民ではなく、上位の権力です。

成金の支配層に大衆に対する責務などありません。
あるとしたら、地球とエリートのために適切な人口を維持するといったことぐらいでしょう。

私の信じていたものは、何度も「事実」に破壊されてきました。
しかし、それがなければ、現実と向き合う勇気も自分と向き合う勇気も湧いてこなかったように思えます。

今の日本における「」に命を懸けるだけの価値があるのでしょうか。

あるのだとしたら「子どもたちの未来」にこそあるのだと思います。


子どもより大切な存在ってあるかしら?

オードリー・ヘップバーン


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