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伝統は古くならない

インボイスの問題も、汚染水の問題も改憲問題も変態芸能事務所のスピン報道でかき消されています。

なにやらmRNAワクチンにノーベル賞を与えたようですが、支配層貢献賞のノーベル賞を受賞したところで、接種後に死亡したり体調不良を引き起こしたり、感染予防効果があると大衆を騙して接種に赴かせたこと、非接種者へのシェディングなどの事実が正当化されるわけでも、まして消えるわけでもありません。

常識で考えても人類史上最大の薬害事件をノーベル賞を受賞したことでチャラになるとは誰も思わないでしょう。
医療従事者の一部の連中はmRNAのノーベル賞受賞を強調することでそれを免罪符にしようとしています。

ノーベル賞を受賞したワクチンなんだから、「すべての小児に接種推奨」してもオッケーなようです。

2021年以降、ワクチン接種後に311万人が死亡しているとの話ですがすべてワクチンが原因でないとしても、この1割でも30万人を超えるわけですから、戦争などの人為的な原因がない限り、このような数字が出ることはありません。

2020年から始まった戦争は、ウイルスとの戦いと称した注射による殺戮でしたが、日本の場合、改憲すれば誰もがわかる形の「武力による戦争」が行われ、その実、大衆を減らすための口実として「国を守るため」と条件付されるのです。

客観的事実」という言葉は既に死んでしまっています。
政府やマスメディアの主張することが「事実」として流通し、それを真に受けた大衆の暴力に、知性を持つ者が晒されるという構図になっています。

大衆も長年のデフレ政策による可処分所得の減少によって、自らの生活を人質に取られているために、抵抗する体力も気力も奪われています。
おかしいと思っても、「思うだけ」に留まるのは、所属する企業に対して忠誠を強要され、それにのみ注力させられる空気による圧力のためでしょう。

日本は昔から高い税金を取ることで、「生かさず殺さず」を農民をはじめとする人民に強いて大衆をコントロールしてきました。
それによって育まれる文化もあったりしますが、現在はグローバリズムの深化と科学技術の発達のために、文化の発展どころか文化破壊が進んでいます。

最近は日本文化を見つめ直す機会が多く、歴史やそれに関する食文化を調べていますが、現時点で私でも言えることは、年々、食の安全が破壊され、その技術が減少していることです。

例えば、本物の醤油は高いですがいつでも新鮮且つ豊かな味を楽しませてくれ、安全も適います。
しかし、大豆と小麦と塩のみで作るまともな醤油は多くの消費者の要求には応えられません。

多くの消費者は食料品に「安さ」を求めます。
その理由は、日本の食料事情を「豊かで安全」だと思い込んでいるからです。
厚生労働省が認めている食料添加物なら安全だろう、それで安くなっているならいいじゃないか、わざわざ高い物を作り続けるなんて企業努力が足りないといった認識で、価値ある物を亡くしていくのです。

そのような価値ある技術を伝統技術と呼びますが、関連して、保守と呼ばれる人たちが大好きな言葉がまた「伝統」です。
しかし、伝統と悪しき風習の区別を具体的に明示している言論人には終ぞ出会ったことはありません。

私は伝統を次のように理解しています。

「伝統は古くならない。常に新しい発見を与えてくれる」

これは、物事を憶えるときに「基本」から始めますが、熟練者ほど基本を大事にします。これに通ずるものでしょう。
憶える段階を「守破離」と言いますが、「離」の段階の達人ほど「守」を頑なに続けるのです。

対して、伝統と履き違えられている悪しき風習には、新しい発見どころか単に苦痛と不愉快を与えてくれます。
例えば、日本特有の「任意という名の強制」や「空気による同調圧力」などが典型です。

集団主義的なものを日本人の特性、生き方、伝統という言葉でまとめられていたりもします。
特定の個人を排除する単なるイジメの構図ですが、これらからは醜悪な人間の本質を見て取れるに過ぎず、伝統とはほど遠いところにあります。

武士道精神を美化し過ぎているのも問題でしょう。
国民がみな一様に礼儀正しいのも武士道の賜物です。
しかし、武士は言葉の通り、戦うことを生き方としている者ですから、一般人を堅気とするなら、武士は堅気ではありません。

その武士の価値観を一般人に押し付ける例は、戦争が典型です。その悪しき風習を伝統と言い換える者に右翼も左翼もなく、そこには歪んだ正義を実現するための言葉遊びが存在し、そのために死ぬ人間がいるということです。

「武士は損得勘定で動かない」

これを実践できている武士は現代にどれくらいいるでしょう。警察、自衛隊、武術家など武士と呼ばれる人がサラリーマン、ビジネスマン、自己保身に傾倒していることを戒める存在はどこにあるでしょうか。

それは常に自分自身にあります。
偉そうなことを言っていますが、私自身も戒めなくてはなりません。
私も弱い人間でありまして、時には追い詰められて泣き言を言ってしまったり、ひどい言葉を使ってしまったりもしてしまう未熟者です。

与えられる価値観と自分がそれまでにもつ価値観を融合させ、知行合一と相成れば、社会に与えられる価値とは一線を画した自分だけの光を見つけることができるのではないでしょうか。

この世界の毒に侵されても、私自身が気をしっかり持っていればその毒をエネルギーに変化させることはできると信じています。
弱体化させられた日本人としての意地だけは張り続けて参ります。

武士道の究極の理想は平和であることを意味している。
ー新渡戸稲造

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