日本では見なくなった「庭を掃く」がアフリカマラウイの日常にあった
マラウイの朝の「当たり前」
「シャッシャ、シャッシャ」
マラウイの明け方、ニワトリの鳴き声より早く聞こえてくるのが、掃き掃除の音だった。マラウイでは朝、掃き掃除をするのが人々の日課だ。
学生寮の管理人部屋に住んでいた。すぐ隣が大学生たちの部屋だったし、窓もドアもすき間だらけだったから、生活音がお互いに筒抜けだった。学生部屋は一部屋20人が定員だったので、朝の掃き掃除はそのうちの誰か気が付いた人が進んでやっていたのか、当番制だったのか、どちらかだ。
掃き掃除をしないと、マラウイではちょっとした「なまけ者」扱いされる。一般家庭でも家の周りがきれいに掃かれているか、ほうきの掃き跡=箒目(ほうきめ)を見ればすぐに分かってしまう。学生寮は箒目はつけられなかったが、それでも学生たちはまじめに隅々まで掃いていた。でも、それが「まじめ」と映らないのが不思議である。マラウイでは、食事をするのと同じくらい、掃き掃除は自然で当たり前なことらしいのだ。
朝、始業前のリロングウェTTC附属小学校に行ってみたら、小学生たちが腰を屈めながら外庭の掃き掃除をしていた。ほうきはもちろん植物を使っての手作りだ。
地面には木の葉があったり、ごみが多少落ちていたりするけれど、落ちていなくても掃く。ごみを集めるというよりも、茶色い地面をほうきで掃いて、土ぼこりを盛大に巻き上げながら、箒目をつけるのが目的にも見えた
「マラウイ人って、掃き掃除が好きな国民性なんだな」
ずぼらな自分は、傍目からそんな風に見ていたが、よくよく考えたら、小学校時代、自分にも似たような経験があることを思い出した。
日本の学校でも箒目をつけていた?!
外庭掃除当番になった時、落ち葉を集めた後、箒目をつけていたのだ。それが先生からの指示だったのか、上級生たちがやっていたのを見よう見まねで引き継いでいたのか、思い出せない。
せっかくつけた箒目も、掃除の時間が終わって、中庭に人が出始めると、当然のごとく踏みつけられ削られていく。しばらくすると、見る影もない。それがわかっていても、箒目をつけていたのは、ほんの一瞬でも達成感や爽快感が感じられたからなのだろうか。
このことがどうしても気になって、私が小学生だった30年前に現役で先生をしていたY先生に聞いてみた。すると、やはり庭の地面に箒目をつけるように指導していた時代があったのだという。習慣でそうしていた側面と、しっかり掃除をしたかどうかのチェックの側面があるのではないか、と教えてくれた。
農家にとって大切な庭
日本も昔は多くが農家で、広い庭があった。広い庭は収穫した豆や落花生を干したり、畳を干したりする場所でもあった。家をわざと日当たりの悪い敷地の隅に建てて、日当たりの良い作業スペースとしての庭を確保するほど、農家にとって庭は重要な場所だったらしい。その庭を、毎朝朝食前に明治生まれのおばあさんが竹ぼうきで掃いていたのを、Y先生ははっきりと覚えているという。
自分の母にも聞いてみると、やはり明治生まれのおばあさんが、夕方子供たちがひとしきり遊んで土がけずられ、足跡だらけになった庭の地面を竹ぼうきで掃いてならすのが日課だったらしい。まわりのどの家でもそうしていたとのこと。
朝か夕方か、地域によって時間帯に違いはあれど、そんな光景が日本にも確かにあったのだ。
一方、国民の大半が農民のマラウイでは、やはり各家庭で収穫したトウモロコシや落花生などの作物を庭に広げて干していた。そのために十分なスペースが必ずあった。日本でもマラウイでも、作業スペースの確保は農家にとって、死活問題だったのかもしれない。
日本では、およそ明治、大正生まれまでの人たちにとって、庭を掃いてきれいにするのが習慣となっていた。それが当たり前だから、学校の掃除でも庭を掃いて箒目を残す、というのは「なんのために?」なんて疑問をはさむ余地なんてなく、当たり前の習慣として学校の先生たちの指導の中に入り込んでいたのかもしれない。
芭蕉が詠む、掃き掃除の句
時を江戸時代までさかのぼると、芭蕉が庭の掃き掃除のことを詠んでいる。
一宿一飯の恩義として、庭を掃いて去るのが常識だった時代が、日本にはあったのだ。
今となっては、庭で毎日のように箒目を見られるのはお寺くらいだろう。2008年に日本で教員になってから、箒目を残すように掃除の指示をしたことは、私は残念ながら、ない。
土ぼこりまみれになりながら、箒目を一生懸命につけながら掃いているマラウイ人を見て、国民性という一言で片づけようとしていた自分の浅はかさに、はっとした。
そこまでして箒目を?!
大学では学生がスーツにネクタイ着用、黒いフォーマルシューズを履くことが規則になっていた。これは、マラウイの小学校での教師の服装がそうだから、いつ現場に出ても良いようにそうしている。実習などで学校に出入りすることもたびたびあるからだ。
雨の後に舗装されていない場所を歩けば、せっかくのきれいな靴やスーツのズボンがだいなしになる。学生たちも汚れるのが嫌だから、雨の日は特にゆっくり、気をつけながら歩いていた。
ある雨の日、信じられない光景を目にした。
1階平屋建ての教室と教官室をつなぐ外の回廊はセメントで舗装されていたから、回廊を普通に歩けば、靴が汚れる心配はない。一部分がくぼんで水たまりができていた箇所はあったが、大股でよけて通れば問題はなかった。靴とズボンのすそが泥まみれになるくらいなら、水たまりを踏んで濡れるだけの方がよっぽどいい。
気をきかせたのか、誰かから指示を受けたのか、大学構内の清掃と庭の整備を担当していた用務員が2~3人集まって、その水たまりを何とかしようとしていた。
日本的感覚なら、水たまりの水をほうきで追いやって水たまり自体をなくすのだろうが、マラウイの用務員はなんとわざわざ土を運んできて、その水たまりのくぼみの上からまいていたのだ。そしてその水分をたっぷりと含んだ泥をほうきでならしていたのだ。
「土を入れたら、泥だらけになって汚くなるよ」
と声をかけたら、
「問題ない、後でほうきで掃くから」
と話がかみ合わない。
泥だらけになるけれど箒目をつけられる=きれい、とでも言いたげな様子だった。そこまでして箒目がつけたいのか、と思った出来事である。
その後、私たちの靴がどうなったのかは言うまでもないだろう。
明治に生まれた日本人がこの場面に遭遇していたら、果たしてマラウイの用務員と同じように土をかぶせていただろうか。
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