闇に触れる事がひたすら怖かったわたし
最近、
闇に触れること
闇を見つめること
ネガティブな感覚に落ち込むこと
がそれほど怖く無くなってきた自分がいる😗
ほんの数ヶ月前までは、
ネガティブな気持ちや感覚になると気分が悪く、
どうしたってそこを避けたい自分がいて。
だからこそ無理矢理にでも
出来事や物事を前向きに見つめて
そこを保つ事をしていたんだけど、
10月末頃から意図的に、
闇を直視したり
不満が湧いたらそこに入り浸ってみたり、
スピリチュアルな世界では波動か低いと思われるような、
口が悪くなる時はそのままで🤣
感謝しましょうなんて言われても出来ないんだけど😠の怒りに従って
まるで暴君のように
おれは感謝しねえぞ。
してやんないからな!
と自分勝手な自己中をして過ごしたりしていたら
自分の内側の声をどれだけ無視していたかに気づく事ができるようになって、
今はまっすぐに闇を見つめて触れる事ができるようになった
それは闇への恐れが体感覚で変わってきたからだなと思ってるんだけどね👐🏽
過去の私は、闇は徹底的に避けて排除して
無いものとして扱って
光とかポジティブとか前向きとかそういうものしか見ないぞ✨
って闇をめちゃくちゃ批判していたの。
その後、どうやらこの世界は
闇と光が同時に存在するらしい🤔
と知ってからは
徹底的に排除することや批判する事はやめたものの、
やっぱりできるだけ、闇に落ち込んだら
ネガティブになってしまったら
すぐにすぐに立ち上がって前を向く。
っていう風にしていたんだよね👐🏽
なぜこれほどまでに闇に怯えて
闇を避けていたのかって
やっぱり、
それは知識が付いたからだったのかもしれない。
今を変えたければ前向きに物事を捉えましょう
常に感謝をしましょう
波動の低いものに触れるのを避けましょう
そんな知識と共に私は
自分自身の体の感覚や
自分自身から湧く感情そして望みまでを
コントロールするようになってしまい
だから自分不在のようなまま知識頼りに生きてるのが当たり前になってしまった。
だからこそ、安心感はどこにも無い。
だからこそ、自分が信じられなくて
だからこそ、怖い。
世の中で言われてる事、
正しいとか間違ってるとか
そんなのは関係ないのだ。
だけど、そこに翻弄されてしまうのは、
自分自身という圧倒的な、その存在に対しての
信頼と安心が無いからなんだと知った。
そこから私は、スピリチュアルな世界とか
世間的にはこうした方が開運する
こうした方が上手くいくと言われてる事とは
正反対の試みを始めたの🧚♂️
それが先ほど述べた
闇を見つめる。触れる。
ネガティブな気持ちに入り浸る。
湧く感情全部を無視せず抱きしめる。
明るさとか光からは遠い場所でひたすら
そんな事をしていた。
そこからはスピリチュアルな世界では波動が低いから避けた方が良いと思われがちな
ビートであるヒップホップのようなサウンドも欲するままに聴いた。
そうすると私の中に真実が見えてきた。
闇は決して怖いものではない。
波動が低いことだって科学では証明できるものではないしネガティブな側面や感情がある事で
この世のバランスが保たれている事を知った。
闇って、落ちるものではない。
ただそこにあるもの。
気づいて欲しくて、
どよ〜ん😑っとそこにいるだけ。
悪者でもなんでもないの👐🏽
人間としてこの地球で生きる以上、
絶対的にいるもの。
そしてこの闇は、本当の自分に出会わせてくれるヒントをくれたりするんだよね🥰
だから気分が落ち込むような切ないものや
治安の悪いゴリゴリな音楽にだって私は触れるのが怖くなくなった🍬
そうする事で今不思議と、
命の誕生のような芽生えのような熱を感じるから。
地に足をつけるって表現でも言えるかもしれない。
そんな感覚なのだ🐹
スピリチュアルな教えに触れた数年前から
上へ上への意識で
精神性を高めることばかり意識していた。
確かに体の感覚とかは軽くなり騒がしさからは
距離を置けて穏やかになって生きやすくなったヨ🧚♂️
だけど自分が居なくなった。
自分の真我が無くなった。
フラフラ浮いてる幽霊みたいになって
これまたとても生きづらくなってしまったの🫠
こうして私はまた、自分を知ったのです。
生きるって奥が深いね〜。
そして精神性とか波動とかそういうのって
誰かとか何かで測れるものじゃない。
大事なのってただただシンプルに
人としてどう在りたいか。
なだけな気がするこの頃💭
そんな感じで私は今後もこうして
自分自身とひたすら向き合い手を取りあって生きていきたいと思ってます🫶🏼
ちいかわにハマってます🤭💕
グルテンが体に合わなくなってしまったので
シール目当てで買ったけど中身は食べきれなかったよ😂
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