自己紹介

はじめまして
note始めました
つぶやいてはいたけれど
自己紹介の記事をよく見かけるので
始めた記念に書いてみます

プロフィール

40年以上生きています
一時負け組と囃された(今も?)独り身女
あ、いまはソロ活とか多種多様な生き方を尊重する言い方も増えましたか
東京都内在住
出身は北の方。冬は猛吹雪でよく死なずにいたなと思うところ
4人きょうだいの長女、長女らしさは普段はないがここぞというとき頼りになるらしい
趣味は運動、読書、ドラマや映画をみること
日課は朝4時起き、瞑想と朝日記、運動、YouTube鑑賞、アプリで韓国語学習、水シャワー、22時までに寝る

長女として生まれ、祖父母に多大な寵愛を受けて育つ
7歳までは団地、その後は新築一軒家で自分の部屋を与えられ、自分の空間を手に入れた自由を知る

過去のペットはマルチーズ、白の雑種犬、茶色のハスキー、増殖していったハムスター、私が独立後チワワ3匹

ピアノは6年くらいやった。ピアノの先生になりたいと思うことこともあったけど、コンクール参加が主になり先生の指導が厳しく、楽しくなくなってやめた

小学校低学年まではロングヘア、パーマをかけることもあった
それ以降ショートカットもしくはボブ

運動はできる方で毎年のマラソン大会が楽しみで毎朝走っていた
3年生のときに 1位を取ったけどそれ以外は上位に食い込むのみ
中学で陸上部に入ったが、大会参加が目的の状況に楽しみを感じず1年でやめ、朝新聞配達をして中学時代を過ごす

高校ではルーズソックスでスカート短くが流行りの中、スカート膝上程度一応ややルーズソックスで毎朝チャリンコ通学
それまでは女子のいじめに触れることはあったが、男子のいじめを目撃し男のいじめに恐怖と嫌悪を感じ、静かに生きようと思った

大学受験失敗、1年浪人するも失敗
アルバイトを何個かして会社員も経験
20代後半、母が1年弱の闘病の末他界
このままの生き方に不安を感じ、父の勧めと協力もあり看護学校入学
病院付属の看護学校で奨学金をもらいながら2年間片道1時間バス通学、実習のために1年間学校の近くに住み3年後晴れて看護師となる
3年間のお礼奉公で辞めるつもりが結局5年働き東京にでて現在に至る

東京在住5年以上
東京の暑さに始めの2年は夏季ひきこもり、冬の突き刺す寒さに身も心も凍えるも、現在はこの暑さとどう向き合い地球環境に微力な貢献ができるか考え実践している。冬に関しては前年度電気代8000円未満生活を達成し今年の冬を楽しみにしている

運動は毎日やっているけれどちょこっと大食い傾向でやせられず
40台以降は2キロ増量しキープはしているものの
どうにかやせられないものか、
私の希望はそんなに大したものではない、、
57キロほどであればいいんだ、、、
BMI標準のその体重でいいからやせてはくれないだろうか、、、、
と自分の体に日々お願いをしている

会社員時代、社長にはピンからキリまでいると思い、くそ社長が、と愚痴を吐きながら働いていた
医療現場に身を置き、思う
医者もピンキリ
うちの病院はキリの集まり
そんなん言う私もキリの看護師

看護師としての使命を持ちながら最前線で懸命に命を救うスペシャルでかっこいい看護師たちとは違い、
ナイチンゲールの覚え書きは心にとめながらも、安全に安定した日々を過ごせる、そんな風に看護師として働きたいと思う者です


思い

ここからはちょっと真面目なことを書きます

絶対という言葉
私はあるとしたら大きく3つあると思っている

生まれたこと
生きていること
死ぬこと

さらに言うなら生老病死というように老いも病も避けられないことなのだが

絶対、必ずと思っているのはこの3つ

生まれた過去を変えることも否定することも後悔することもできない
だって生まれたんだから
裕福な家庭、貧乏な家庭、平和な国、危険な国
どんなところであっても生まれたことは事実
受け入れるほかにない

生きていること
絶対だ
今息をしている、目を開け手足を動かし、時間が来たらご飯をたべて眠る
生きている意味をさがすことは高等動物の人間なら仕方のないことだろう
でもまず、人間であろうとなんであろうと
生きている

そして
一番重要で忘れてはならないのに忘れがちで勘違いしているのが
必ず生きるものすべてに平等に死がやってくるということ

他の国がどのような教育をしているかはよく知らない
これから知りたいとは思っているけど私が知っているのは日本のことだけ
日本は死を考えることを忌み嫌う傾向にある
死について深く真剣に教育を受けたことはあるだろうか
よくお金の教育を受けた方がいいと聞くけれど
お金の使い方と同じように死についても義務教育のなかでしっかりと教えたほうがよいのではないかと思う

死は未来だ
未来のことをまだ経験していない今、生きている人が教えるのは難しいのかもしれない
ただ、死は必ずだということ、早いも遅いもなく、自分にも家族にも誰にでも起こるということを認識する必要があると言いたい
死後のことは皆無だろう
私は死んだ後のことを考える必要はないと思っている
死ねば終わり
生きて死ぬ

死を意識すれば生きている今をもっと大切にできる
自分を大切にすれば他人を大切にできる
病気があるから死が近いのではない
健康でも死はいつでも訪れる可能性がある
事故、天災、事件

いつ訪れるかわからないその未来に後悔するか

「あのとき言えばよかった」
「まだはやいよ」
「どうして私が(あなたが)死ななければ」

看護師として働いていると
そんな言葉を耳にすることがある

自分に、大切な家族に必ずその瞬間が訪れることを理解し受け入れる
そうすれば毎日の生き方、考え方が変わり、その受け入れがたい未来が来た時の思いも違ってくるのではないか
自分を大切にして生きていれば人に優しくなって争いごともなくなるのではないか、その先に世界平和があるのではないか


そんなことを考えている

最近
終活ケアプランナーという資格を取得した

終活というと定年後とか余命宣告を受けた人がするものというイメージがあるかもしれないけど

40を過ぎて体に不調を感じ始めて今から終活しようと思って学習を始めた

お金のことだけではない
徐々に確実に老いていくこの体をできる限り動ける体で老いていきたい
そのためには今から、始める、続ける


私はこのような者です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。



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