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1日目、長野〜松本

自分の価値に合わせた旅行をせねばならないと、常々思っております。自分の価値に合わせたものを食さねばならないのと同じように。そもそも人間が卑しく膨張したことによって世界が相対的に小さくなっただけだというのに、なんだか自分自身が偉くなったと錯覚している輩が多すぎる実情に、抗っていたい思いもあります。だから僕の旅行はつとめて「物理的には産業革命より前でも行けるところ」に限定されるのです。

自分の価値に合わせた手段で移動しないといけないと、常々思っております。しかしこれは難しい。移動には時間がつきまといますね。今回私に用意された休みは『3日間』。行きたい場所をリストアップした時に、どこまで文明にタダ乗りして赦されるのか、自問自答が必要になります。

上記のようなことをさんざん悩みに悩んだ挙句、今回の目的地、1日目は長野及び松本となりました。なんてことはない、自分の価値にもっとも見合った移動手段、『夜行バス』が、ちょ~どいい時間に走ってくれていたからです。良いでしょう夜行バス、分かりやすく苦痛。生きることすら申し訳ない人間が旅行をしてしまうことを、納得させる材料になります。これは修行だと。

27日木曜日22時15分。昌栄交通のバスを待ちます。格安ですが、こんなことで命を散らすのは惜しいですから、乗務員が2名要ることは確認済みです。
あいにくの雨、仕方がありません、富士山では雹に打たれながらの登頂、青森では林檎農家体験の日に土砂降り、北海道でも唯一の班行動の日に雨、、、淡路島の死のドライブも記憶に新しいですが、僕の旅行には常に原罪が付きまとうものです。
作務衣のじいさんと孫、彫りは深いが小心者そうな大学生風情の男、このバスは私の日常ですと言わんばかりに泰然自若とした40代くらいのサラリーマンの前に、僕が立っています。サラリーマン以外の2組は傘も持たず、わりかし強い雨に打たれておりますが、現代は不用意に話しかけると事案になってしまいますからね、八条口からかなり東に外れた、変なホテルの向かいで、それらを認識しながらも優しい無視をして、待っています。場所もいいですね、追いやられていますねえ格安ですから。僕をこうも赦してくれるのか。助かります。
22時15分集合30分出発と書いてあるのに、出発時刻になってもバスはやってきません。傘なしの計3人がキョロつき始めますが、サラリーマンが憮然としかしておりませんので、僕はそれを見て安心するに至ります。きっといつものことなのでしょう。京都始発でもありませんから、道中で遅れが生じても不思議ではありません。

同じバス停に、35分発の別のバスがやってきました。作務衣ジジイの孫が「これ!?これじゃないの!?」と喚いています。ジジイもよく分からないようです。
ここで公務員根性が出てしまいます。
「これは横浜、東京経由で大宮に抜ける別のバスですよ、おたくさん、長野に行かれるんですよね?さっきあのバスから降りてきた添乗員が、『長野は遅れているらしい』と言っていましたよ」
彼らが長野行きを待っているのかは、確かめていません。しかし作務衣のジジイは長野でしょう。僕の目論見は当たりました。あぁ、ありがとうございます、遅れているんですね。そのようです。雨、大丈夫ですか?坊ちゃん、僕の傘に入るかい?いえ、申し訳ない、大丈夫ですので。
……福祉ですね。ちなみに添乗員が云々も嘘です。僕はサラリーマンの自信に賭けています。
賭けにも勝ったようで、22:37ごろに、いやに派手なラッピングで、価格に見合ったデザインのバスがノロノロとやってきました。
来たようですよ、お先にどうぞ。いえいえ、あなたのが前でしたから。

格安バスの添乗員は2パターンあります。それは彼らが、自分がバスより上と思っているか、下と思っているかに分かれるからです。前者であれば素っ気なく対応されますし、後者の場合は、つまるところ格安バス以下の人間と自覚している訳ですから、それはもうお客様はほぼ神様です。
今回は2人とも後者のパターンでした。
『たぁいへんおくれまして申し訳ございません!』
ペコペコと下げる彼らの頭よりも低く私の頭を下げながら案内され、3列独立シートの左側窓際に座ります。ちなみに作務衣を先に通しています。
彫り深小心男が前の席のようですが、座席の倒し方に苦戦しています。たしかに説明書きがありますが、分かりにくいのも事実でした。
夜行バスなんてただでさえ地獄なのに、席が倒せなかったらもう終わりです。しかもこいつは雨にも濡れていたな。

既に述べたように、遅れるバスを待っている間、自分だけが傘を差していましたが、それを悪いことのようにすら思っている自覚がありました。そんなことは無いのですが、自己評価がバス添乗員以下ですから、そう思ってしまうわけです。だからこそ『福祉』をしたくなるわけですね。
「お兄さんお兄さん、席ですよね、右下のレバーの方ですわ」
ヒィと聞こえましたよ僕の耳には。そんなに怯えなくてもよろしいのに。
アリガトウゴザイマス……セキ、タオシテモ……?
どうぞどうぞご遠慮なく。
いや、これは確かに怖かったかもしれません。怖がらせてしまったな、申し訳ございません。
しかしイケメンで高身長で、この腰の低さはなんなんだ?彼はバスを待っている間パーカーを頭まで被って雨を避けていたのですが、そのパーカーに、女の臀を抱えた公然わいせつ男の傘が引っかかったことがありました。だのに彼の方が謝ってましたからね。どうしてそんなに小さくなっちゃったんですかぁ?と聞きたいところでしたが、それこそ事案だと自重します。彼には彼の人生があるのでしょう。そう考えると恐ろしくもなります。

そういえば作務衣の孫はどういう目的で長野に?作務衣の実家に行くのかな。
祖父母のどちらかと小さな孫、という2人組には、ほぼ100で哀愁が纏っていますよね。特に夜行バスですから、しかも雨に打たれている。これは哀愁ですねえ。おじいさんのお家に行けて彼は嬉しいのだろうか、木曜の夜に?きっと小学生だよね、学校はどうしたのだろう。

夜行バスはとてもいいです。自己評価云々を置いても、各々の人生を想起させるのに、丁度いい登場人物の数なんですね。しかも、味がする。木曜の夜に格安の夜行バスを待つ人間って、どう言った人間なんだろうか。そう考え出したらキリがありません、答えもありませんしね、しかしみな、必死に毎日を生きている感じがして、世界を少し肯定的に捉えられるような錯覚に陥ることが出来るのです。

夜行バスは最悪です、寝られませんから。ただでさえ不眠が板についてしまっている僕ですら、フルフラットにならない夜行バスは苦痛です。しかしこれは修行、卑しくも旅行になんぞ出ている報いですよ、そう言い聞かせながら、寝たり起きたり、その間にいたりしながら、約8時間を耐え抜きます。
しかし足の置き場に困りますな、荷物が大きいと。体感、8時間のうち4時間半は足の置き場を模索していたように思います。兄ちゃん、うるさくしてすまんかった。


7分遅れでやってきたバスは、25分早着で6:05に長野駅に着きました。長野もしっかりと雨、しかし関西や東海のように、土砂降りというわけでもなさそうです。
しかし肌寒いな、やはり標高が高い分なのか?と思いながら、コインロッカーを探します。
複数日泊をひとりで、となるとどうしてもリュックが大きくなってしまいますから、これから観光をするというのにコインロッカーの利用は必須です。
最近のコインロッカーは凄いですなぁ、ICOCAで支払いが出来ました。そうするとそのカード自体が、ロッカーの鍵になるようです。コインを使わないコインロッカー、いいですね。ちなみに各ロッカーには、長野県内のご当地キャラクターが描かれていました。引くほど種類が多かったのですが、それだけ長野には、小さな村がたくさんあることを、僕は知っています。

夜行バスのもうひとつ難しいところは、『早く着きすぎてしまうこと』です。6時について何をしろと言うのか、これは決めておりませんでした。なぜなら『無い』ので。
しかし、朝から2時間もファミリーマートのイートインスペースを占領する図々しさは持ち合わせておりませんから、アテもなく歩き始めます。アテがない散歩はいいですよ、何もかもが目的地になりますから。

『一生に一度は参れ善光寺』とは昔からよく言われたものですから、それを果たしに来たのが今回の大目的です。というわけで、とりあえずはその方面に向かいます。
京都でもそうですが、大きな寺に向かう道は大概、緩やかに登ります。これがいい運動になりますな。時間も余りあるので、大まかな方向だけを決めて歩いています。
こういう時に方向音痴は役に立ちます。地図が読める人であれば、目的地に着いてしまいますから。僕は一生懸命善光寺を目指しても、いつの間にか2本、3本ズレた道を歩くことになります。そこに発見があるわけです。

しかしバスでは緊張のせいかトイレには行かなかったな、と道中の公園に立ち寄りましたが、最近は何処も公衆トイレを綺麗に整備してますなぁ。ウチも激烈なスピードで進めていますが、もしかすると全国的な流行りなのかもしれません。

長野オリンピックを記念したオブジェ

何気ない公園でしたが、そういえば長野はオリンピックをやっていましたね。金メダリストの一覧が、記念碑に刻まれていました。スキーのジャンプ・ラージヒル団体の4人の名前も書かれておりました。
そういえば長野というところには、中学2.3年の時に、スキーに訪れたのでした。その時も季節外れの雨が降って、翌日のアイスバーンは最悪でしたな……。

シトシトと降る雨の中をノロノロ歩いていると、屋根のついた商店街を見つけました。時刻は6時半、シャッターのしまったアーケードを、通勤通学の老若男女が、長野駅に向かって、つまり僕とは反対方向にせかせかと歩いていきます。
権堂商店街という名がついているそうですが、飲み屋やパブ、風俗店が立ち並ぶ歓楽街でもあるようですね。夜には大変に賑わうのでしょう、昨晩の雰囲気の残り香がします。古びてはいますが確かに現役であることに矜恃を持っているような道を、無垢な中学生も歩くのです。彼らは夜にもここを通るのでしょうか、危ないから別の道を歩くのかもしれませんね。

商店街に突然現れた映画館

長野松竹相生座は、後で調べると、1895年に芝居小屋として、さらには1897年にはもう活動写真を上映していたという、ホンモノの最古級映画館でした。しかも日活をやるでもなく、メジャーからミニシアター系の作品まで幅広く扱っています。長野駅にはグランドシネマズという大きな映画館もありますが、それでもここが格好よく営業しているということに、街の懐の深さを感じました。時間が合えば是非観てみたかったのですが、あいにく今回の旅行は日程が詰まりきっているのです。泣く泣く見送りましたが、私がいつか見に来るまで、生き永らえて欲しいものです。

旅行先では、ワイヤレスイヤホンをしないことに決めているのですが、そうなると頭の中でランダム再生が始まってしまうのが難儀なところです。この日のラインナップは2曲をエンドレス。
大森靖子『呪いは水色』
フィッシュマンズ『ずっと前』
最悪ですねぇ……。
雨の日は少し口ずさんでもバレません(そもそもそんなに人が歩いていない)から、ついそうしてしまうこともあったのですが、傍から見て金曜の早朝から大森靖子を歌っている小さいおじさん、不審者でしかないですな。

城山公園、というところがあるらしいと、Googleマップで見つけましたので、善光寺の前にそこを見てみようと思い進んでいます。最近ウチも公園整備に力を入れていますから、他都市視察をカマしてやろうというわけです。
そうして歩いていると、何やら小高い丘に社が見えましたので、行ってみることにします。一人旅はこういう、ちょっと目に入ったところに行ってみるのが楽しむコツです。空振りに終わることも多いのですが。

伊勢社、長野にも伊勢はある

全国から人の集まる善光寺、そこに住む人たちはどこへ行くのかと言うと、やはり伊勢参り、ということになるようです。長野から伊勢、かなり遠いですね、昔からこの周辺の人々は、伊勢参りの前後に必ず、この伊勢社にも参ったということでした。
ある時に周りで大火事があって本殿も全部焼けてしまったから、今の社は比較的新しいもの、という事でしたが、周りの木々は生き残っていて、しかも火事で割れた木の幹が、全て社側を割っていることで、その木々を『姫』と呼ぶようになったという伝承が記されています。

木々の割れ目は姫の女性器

いかにも村の土着的な言い伝えっぽくて震えましたね。この社を中心に、集落の繁栄を願った大きな祭りも行っていたようで、つまりは子孫の繁栄を願い、男根を模した石も置いてあるのです。そこで起きた火事で、木が揃いも揃って割れ目を社側に向けている。当時の民衆にとってどんな衝撃を與えたのだろうと想像すると気持ちがいいものです。
今回のふらっと立ち寄りは大成功でした。

さて、城山公園に向かっているのですが、スカート丈の長い女子学生が嫌に多いなぁと思っていたら、近くに長野清泉女学院中学・高等学校というキリスト系の私立学校があったようです。これは困ります。平日の朝っぱらからあてもなく歩いているおじさんって怖いですよね、基本的に道が空いているから平日の旅行は好きなのですが、学生たちに少しでも嫌な思いをして欲しくないので、申し訳なく思ってしまいます。せめてフィッシュマンズを歌わないように気をつけながら、そそくさと背中を丸めて歩きます。

城山公園のアスレチック

公園はいくつものブロックに分かれていて、大変に立派なものでした。比較的広い芝生もあり、松林の区画もあり、アスレチックも小さいですが用意されていて、非常に可愛らしい公園で良かったですね。
近頃はインクルーシブ遊具も注目されていますけれども、ここにはまだ旧型のブランコもありましたし、都会の進みすぎた流れがこの地まで届くには、もう少し時間がかかりそうで羨ましくもありました。


さて、もう善光寺に向かってもいいかな、と思ってそちらを見遣ると、なにやら山の方に大きな赤い建物が見えます。先程の伊勢社が大変面白いものでしたので、よし、行ってやろうと思うに至りました。幸いGoogleマップで確認しても、歩いて30分程度のようでした。
どんどんと観光地から外れ、歩道もないような住宅地の路地を抜けます。道の工事をしている青年や、保育園に娘を送る母親に、僕はどんな目で見えているのでしょうか。自意識が過剰であるにしろ、気にはなってしまいます。
対向する車には、先程の私立学校の制服を着た女子中学生を助手席に乗せて、笑いながら運転をする母親もおりました。そこここに幸せな人生があるのだなぁ。僕は今、特に何も無い人生に抗うかのように、山を登ろうとしているのです。

こういう時に方向音痴は困りますし、Googleマップ君にも困ります。彼は人が道を歩くということをわかってくれていませんから、とんでもなく細い、草の生い茂った階段を案内してくれやがるのです。半袖なので、葉に皮膚を切られないように気をつけながら、半ば諦めながらその道を抜けると、いよいよ曲がりくねった山道に入ります。もちろん徒歩で来ることは想定されておりませんで、うねうねとした車道の端を、車の邪魔になりながら歩いていきます。

坐禅専門道場!?特別指導!?

目的地ではありませんでしたので通り過ぎることにしましたが、突然大きな看板が見えたので少し寄ってみると、坐禅専門の道場ということでした。僕は社会人になって身体が酷くかたくなってしまいましたから坐禅を組むこともままならないのですが、いずれもう少し死にたくなったら特別指導とやらを受けに来てもいいかもしれません。

山道からの景色

歩きながら、今向かっている先が何なのかを調べると、善光寺雲上殿と言って、どうやら納骨堂のことらしいことを知ります。後から母親に言われましたが、ここには父方の祖父の母親の、そのまた姑であるトメさんが眠っていたようです。図らずも親族の墓参りをしたわけですな、今回はとても運がいいです。

すべり止め用の塩化カルシウム

ゴミ捨て場に「枝葉ステーション」があったり、道にスリップ防止のための「塩化カルシウム」が置いてあったり、行政の細かな違いにも感心します。山あいには山あいの、それぞれの苦労が忍ばれます。
納骨堂はなんてことの無い場所です。山を登った先にある赤い建物、それの正体がわかった時点で僕の目的は達成されたのです。しかしまあ遠かった、すべきことは終わりましたので、いよいよ一生に一度は参りにまいります。

雨の善光寺

善光寺は、現在天台宗と浄土宗が護持運営こそしておりますが、本質的には無宗派の寺院です。そのため、国民誰もが目指せる場所となっているのです。ウチは曹洞宗ですが、そういうことで、前述のように、親族も時々眠っております。
中は撮影禁止ですので見せられませんが、みなさんぜひ行っていただきたい。お堂の中の装飾が精密かつ煌びやかで、説得力を感じます。遠く、家から歩いてきてこの景色を見れば、当時の民衆へその道程に満足をしたことでしょう。筆舌には尽くしがたい、えも言われぬ、そういった雰囲気でございました。
また、ここには「お戒壇めぐり」という、有り体に行ってしまえばアトラクションがあります。
(以下HP引用)
善光寺本堂の最奥に位置し、御本尊の真下を通る真っ暗な通路です。一寸先も見えない暗闇の中を進み、途中の「極楽の錠前【じょうまえ】」を探って頂きます。この錠前は御本尊と結ばれており、触れることで直接ご縁を結べると言われます……
(引用ここまで)
感覚をひとつ遮断し、参拝者の不安を煽るとともに、壁に手を当て伝わせることで、「御仏に触れている」と錯覚させるわけですな。ゴツゴツと、しかし温かみのある木の壁を撫でていると、成程、錠前が見つかりましたので回すと、キィガチャリ、と言う音が鳴りました。これで直接ご縁を結んだそうです。
まあご縁云々はどうでもよろしいんですが、やはりこういう仕組みを当時、参拝者がどう思っていたのかが気になっていましたので、追体験のような形で時代を超えられたことには達成感を覚えております。

自由律すぎる種田山頭火
長野県立美術館

今日は3つの美術館に行ったのですが、1つめが長野県立美術館です。なんてことはない、この後のそばを食べるまでの暇つぶしでしかありません。
東山魁夷は過去に京都に企画展が来た時の印象が強く、あの清廉とした青緑のイメージを強く抱いていました。ここには子のいなかった魁夷が、自らの作品の管理のために長野県に寄贈したものが多数展示されており、軽やかなタッチの習作から、重ね塗りを極めた大作までそれぞれ揃っております。特に印象的だったのは「窓」をテーマにした数々の作品。開いていたり閉じていたり様々ですが、その町の風合い、柔らかさを実に丁寧に描いております。魁夷といえば青草と白馬!という偏ったイメージを是正するには充分でした。
企画展の池上秀畝に関しては、まあ、鳥が可愛くて、イイネ!!と言った感じ。精密な絵は、とかく素晴らしいのですが、それ以上の内省的な発見が無かったので、気休めになりまして良かったです。

天丼セット(蕎麦大盛り)1,650円  安すぎる

観光地の感覚が京都でバグり散らかしておるので、金曜午前の人出が予測できず、10:30の開店の時間に態々ホットペッパーで予約までして向かったのが「十割そば 大善」さん。幾年か前に両親が善光寺を訪れた際に、父親が気に入ったと言っていた店でした。
入ると席には余裕があり、アノ、ヨヤクヲシタンデスケドモ、と吃りながらカウンターのような席へ。朝からたっぷり歩いて空腹でしたから、蕎麦を大盛りにして、天丼までつけてしまいました。もう価格設定の感覚が京都の尾張屋になっていますから、この町はなんて良心的なんだ、ニッコリしてしまいますな。
細かく分類すると長野名産の「霧下そば」ということになりまして、強く主張しないながら爽やかに薫る蕎麦の風味、水が美味いのだろうなあと感じさせる喉越しの良さがありました。蕎麦つゆも関東に比べれば幾分か優しく、全体的にお淑やかな印象。十割そばですのでもっと無骨でパワフルなものを想像しておりましたが、良い意味で裏切りを感じ、とても良かったです。
そして天丼、田舎のジットリとした天丼が好きなんですわワシぁ。蕎麦がそうやって軽いので、良いコントラストになりました。
これだけ1枚が軽いなら、蕎麦の食べ歩きをしても面白いかもしれんな、と思いながら、気持ちは松本へ向かっていきます。というのも、ここからの乗り換えが非常にシビアだったからです。

10:30 蕎麦屋入店
→目標 11:10 普通 松本行  !!?
これを逃しますと、次は13:10発ですからなんとしてでも乗りたい。今回の旅は時間との勝負ですからね。松本でもやりたいことが沢山あるのです。

……結論から行くと乗れませんでした。幸い勘定のあと直ぐにバスに乗り込めたのですが、道路が軽く渋滞していたため、バスの到着が遅れたのです。また、コインロッカーが駅の端にあるうえ、高齢者団体共がタッチパネルに苦戦してたのも痛かった。そして最後に決め手となったのが、、、

紙の切符なんてここ数年買ってないわ

はい。12:00発の特急しなのに課金することで事なきを得ました。
特急しなのといえば、先頭のグリーン車のパノラマカーですが、松本から名古屋方面ですと、そのパノラマカーは最後方になってしまいます。ですからグリーン車課金はやめて、大人しく自由席に乗りました。金曜日の午後だというのにほぼ満席で吃驚いたしました。また、紙の切符の感覚を忘れていたので、検札される認識もなく寝こけており、車掌に起こされる恥もかきました。
このへんで既に右膝にガタが来ております。思えば四国を青春18きっぷで巡った時も、何故か山を登って展望台まで行った帰りに右膝を痛めておりました。元から、左より右の方が弱いのかもしれません。右足に重心を置いて立つ癖も着いてしまっていましたから。さらに今回は複数泊で荷物も多かったので、腰を痛めてしまいました。

康花美術館

さて、ここが難しい。僕は知らない街に旅行に行く時、Googleマップの緑色のピンを片っ端からクリックしていって、興味のわいたところがあればそれ以降何も調べないで突撃することにしています。ですから、ここに行くまでの事前情報は、「なんだか地元の若い女の子が夭折するまでに描いた絵画を集めた場所」というものでした。

まず外観ですよね、家なんですよ、須藤家。まずここで身構えます。そして玄関に入りましたら、ピンポーンと鳴るのです。客は客でも、須藤家の来客として扱われるのです。
そして出てくる館長、すなわち父親ですね。須藤正親氏、齢80を過ぎたおじいさんなのですが、これが強面でね、滑舌も怪しいんだ。
「500円だけど」
アッハイ、センエンカラデモヨロシイデ…
「ん?」
アッ、センエンデモイイデスカ……
「あぁありがとうね」

1階のブースと、2階にも展示室がありますから、ごゆっくりご覧なってってください、それとよろしければお名前とご感想があれば是非ノートがありますので、お書きになってってください。

もちろん、この家には正親氏と、僕だけです。まずこの緊張感ですね、知らない人の家に上がった時の緊張感、そして会ったことも無い、亡くなった女の子の部屋に案内されたようなむず痒さを覚えます。というのも、そのひとつめの展示室には、おそらく生前康花氏が置いていた書棚が、そのまま置かれているのです。手塚治虫があり、ドストエフスキーがあり、もちろんベラスケス、ゴヤなどの画家の関連本、音楽家や哲学者が記した本もあります。幼い頃から病に臥していることの多かった方ですから、自分と向き合う中で、あらゆる先人の哲学に触れてきたことを裏付けます。そして、その書棚の至る所には、彼女を特集した新聞記事の切り抜きが貼られている。まるで仏壇のようです。

作品は、何かしらから着想を得たものもあれば、内面から湧き出る情動を形にしたものもあります。似たような構図を繰り返し採用することもあり、特徴的な泡型の背景は、彼女の中で増殖する病魔にも思えます。輪廻、光と命、流転など、生と死の巡りについて解釈しようとする営為が見られ、卑しくも健康体な僕にその全部を理解することは到底できません。
弟を生後すぐに亡くし、母を中学で亡くし、その母の死に自責の念を抱き、終生抱え続けた中で、その母と同じ病気で死ぬ。ある種劇的な人生においてなお、絵画からはつとめて冷静に、あるいは冷徹に、この世界全体の有り様と向き合っている。永く永く続いた希死念慮を、ずっと自覚しながらも、個人的な我儘には成り下がらないラインを、意識的に保ち続けているように感じました。それが画家としてのプライドだったのか、そもそもそういう思索こそが本分だったのか、それは誰にも分かりません。思考のどれだけが先天的で、とれだけが後天的かなど、本人にすら知るよしのないことです。

確かにここは、遺された父親の、慰みの場所ではあります。もう亡くなって15年以上が経っていますが、これからを、彼はどのように過ごしていくのでしょうか。我々来客に記載するように頼んだ感想シートを、ひとつひとつ読んで、また読み直しているのでしょうか。彼にも彼女の全ては分からない、そもそも、彼女が彼に残された時間の全てにはなっていないようにも感じます。そこが安心するし、ただの慰みでは無いということなのです。しかし今回の訪問だけでは、遺された彼の残りがなんなのか、そこまでは分かりませんでした。
松本に来ること自体が少なく、彼が生きている間に再訪する可能性は極めて低いのですが、僕自身が新しい発見を、理解をするためには、少しの年月が必要な場所になりそうです。

雨に濡れる松本城

雨が一段と強くなって、右膝、腰の痛みも酷くなってきました。けれど松本に来て松本城に行かないというのは、京都に来て清水寺に行かないようなものです。僕は根本にミーハー根性を抱えておりますので、この旅ではじめて、観光然とした観光を実行しました。
頭の中にはまだ、泡がぶくぶくとしております。浮かんでは消え、浮かんで膨らんでは消えていきます。雨の日にシャボン玉をしているようです。はやく俗世に帰らなければ、磨り減ってしまうような危機感があり、急いた気持ちにもなっています。

順路に従って進んでいると、15時をすぎて客が減ったのでしょうか、青い作業着を身につけた従業員が、それまで通行止めにしていた通路を解放しました。これにより、それまで円の外周を回らされていた動線が、いきなり弦、それもほぼ直径に近いような弦の形になりましたので、僕の前後数名はそちらに進み、天守閣入口へ向かいます。一方、その数秒前にその場を通り過ぎた客数名は、かなりの大回りをさせられているようです。
青の従業員が、慌て始めるのを感じました。このままいけば、大回り組が僕たちよりもかなり後ろになってしまう。彼は僕らの脇を走っていき、円周と弦との交点(そこはもうほぼ天守閣の入口なのですが)で、僕らを静止しにかかりました。当然僕らより後から来た人にはその状況が分かりませんので、何故止められているのだろう、というざわめきが始まります。しかし彼は円周をノロノロ歩いている老人にしか気が回っていない。

僕は公僕ですので、たまらず交通整理を始めてしまいました。
弦を進もうとするオジオバをとめ、説明し、しょうがないですねぇ〜と言わせる、それを2度ほどやり仰せたころには円周老人も入口に到達しましたので、晴れて僕たちも進むことが出来たのでした。従業員の彼は僕が交通整理をしていたことにも気づいておりませんが、それこそが公僕の仕事です。皆が気づかないうちに街の平穏が保たれていることが理想ですので。
そう思っているうちに、あれれ、僕は俗世に帰ってきたぞ、と我に返りました。やはり仕事は思索を邪魔してくれていいですな。

想像以上に細く急な階段が続く

姫路城もまあまあ強烈でしたが、松本城の階段はとにかく狭い。しかも一方通行化がされていないため、その細く急な階段で、あろうことか離合しないといけないのです。
正直景色どころではなく、階段をいかにみんなで無事に昇り降りするかのアトラクションと化しておりました。景色を堪能する余裕もありませんで、何を見ていたかと言うと、列の前で階段に悪戦苦闘するフランス人家族の子ども2人でしたね。

とにもかくにも、義務は果たした、これをやらないとパンピーの虫がおさまりませんので仕方ありません。残る目的地はひとつになりました。脚は完全に限界を超えています。

松本市美術館 草間彌生企画展

普段であれば当然歩ける距離でしたが、もう膝が痛くて痛くて仕方ありませんから、止むを得ず周遊のバスに乗りました。丁度学校が終わる時間のようで、湿気にまみれた学生がわんさか乗ってきて、車内の空気は最悪です。気温も湿度も二酸化炭素濃度も高く、そのくせイオンモールなんか通りやがるもんだから、ここは206系統かと錯覚しそうになりましたね。
草間彌生にこれといった思い入れはありません。教養不足というより、偏りの酷い僕にとっての草間彌生評は、「水玉模様が好きな変なおばあさん」でした。そして鑑賞後も、その評価は大きく変わりません。
しかしそれは、自分にとっては響かない、ということであり、それが何故なのかを問うことを放棄してはいけない。とかく視覚的な「映え」にしか興味のない蝿どもは放っておいたとしてですよ。

ともかく、情報が爆発して、毎日がどんどん多忙になったことで、自分に合わないものを存在ごと否定していかないと処理が追いつかなくなっている現代において、こういった作業を時々実践しておくことは、今自分が何を思い何を感じているのか自覚する精度を高められ、最終の最終はウェルビーイングにまで至る営為です。

今回の展示でも顕著でしたが、彼女の作品は基本的に、水玉、網目などの反復的な要素が無限に拡散していく要素が含まれています。これが彼女にとってどこまで「本当に視認している」のかは分かりませんが、そこには自己的な恐怖や苦悩、一方では喜びもあるのかもしれません。
また、複数の作品において、合わせ鏡と光源とを組み合わせて、無限世界を作り出しています。これも自己を分裂させ、無限の中に溶け込ませる。言わば、自己と世界との境界をあいまいにし、普遍的な感覚に「陥らせようとしていると推察させられる」。宇宙が物凄い速度で膨張していることを科学的に証明し、この世をどんどん拡大して、その全てを分かろうとしている尊大な人間様にとって、こういった普遍性は共感できると言うより、共感したいものなのではないでしょうか。究極的に個人的な幻視・幻想が発露し、つとめてビビットで明るい色でもって形作られることによって、結局は宇宙の壮大さを示すと同時に、そこにポジティブな感情を包含させられるのは、不可思議なことです。
僕はそうは感じないのですが。

つまり、僕にとって世界の拡散が、どだい興味のないことなんですね。世界の普遍性に自らを同化させたくもないし、この宇宙の理を分かったような気になりたくもない。どこまで行っても僕の関心事は、せいぜい僕を中心とした半径5mくらいしかありませんで、その中身をどれだけ分解し、洗い上げて、磨き、乾かし、それらを続けて、自らが死ぬ時にどんな形を「Reframe」できているかが勝負なんです。
こんなに爆散してしまった世界などに興味は無いから、そんな幻想も抱きませんし、世界と自分とはきっぱりと線を引いて、ここからは入ってきて欲しくないというパーソナルスペースも存外に広い。
どこまでもどこまでも内省的に、自分勝手に、僕の周りを解釈し、「納得する」ことが僕の主題であり、そこに彼女のような感覚は根本的に不必要だし、その感覚とはかけ離れているであろう、世間が彼女に見いだした世界も、全くの不要なのです。

この時点で16:30くらい。当初の予定通りに1日が充足しました。あとはホテルに寄って時間を潰し、予約していた居酒屋に吸い込まれて夜を終えるだけです。
しかし膝と腰が爆発しております。歩き方もおかしくなってきて、道行く下校中の中学生風情に心配なのか警戒なのかよく分からない視線を受けます。恥ずかしいですねぇ……。

1日目の晩酌

町の居酒屋がいちばん気楽なことを、何度か一人旅をするうちに学びました。金曜の夜ということでテーブルや座敷席はサラリーマンたちで溢れていますが、カウンターには案外、1人客や老夫婦などもいらっしゃいます。僕は幸いにもカウンターの端に案内されました。そういえば2日目も端でした。助かります。
ここには鹿を食べに来たつもりだったのですが、とにかく「わさびの花のおひたし」が美味くて、日本酒をぐびぐび呑んで優勝してしまいましたな。また、エイヒレを天ぷらにしてくれたり、ウナギの肝を串焼きにしてくれたり、呑兵衛にはたまらんラインナップでございました。好きに飲んで食って5,000円くらいで済みましたので、やはり物価が安い。
しかしまあ、こういう居酒屋には必ずと言っていいほどテレビがついているのですが、この日は巨人vs広島戦を流していましたね。福井などの北陸もそうだったのですが、長野も巨人ファンが多いのでしょうか。特に地元に球団がないと、「プロ野球と言えば読売巨人軍」という価値観からアップデートされる機会が無いのかもしれませんね。可哀想なことです。


いつもは1日4,000歩が関の山なのに。


しかし28,000歩は歩きすぎました……。
しかも8時に山ァ登ってんですから、世話ないですわ。飲んで帰ってカプセルで失神して23時。脚はどんどん痛みを増しています。どうしよう明日は5:00には起きないといけないのです。それでなくても昨日は夜行バス、今日はしっかり寝たい。
寝ないといけない寝ないと寝ないと寝ないと。

こうなってしまうと不眠症は全く寝られません。寝られないから、これを書いているのです。1日に3つも美術館に行くものでは無いですよ。頭がパンクします。僕は不眠ぎみの午前2時30分に、康花の泡と草間の水玉でぶっくぶくになっておりました。似たようなモチーフなのに、その増殖する方向が全く異なるのはあまりに面白い。どこまでもどこまでも概念的かつ内向的に体内で増殖するがん細胞のような泡と、どこまでもどこまでも無限に外向的に世界へ拡散し、展示の最後には世界平和への祈りまで謳って騙ってしまうような水玉と、あまりにも対照的な2人を1日に体験出来る街、松本、堪能させて頂きました。

3:45ごろに、浅い眠りについたようです。4:30には目が覚めて、5:00からの朝風呂を待ち構えるまでを1日目とさせて頂きます。
2日目、3日目もかなり濃厚だったので、整理するにはうんと労力が必要ですが、これをするために旅行をしているようなもんですから。またそこここで湧いた感情を、ここに書き留めておくことにします。この営為もまた、僕の周りを分解し、再構築する活動なのです。


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