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3.24

人口知能のための哲学塾という本を読んでいたら、現象学とか経験という言葉が出てきて、自分が買いた卒論を思い出し、古いパソコンから引っ張り出してきて、読んでみた。といっても記憶よりもページ数が多かったので、まだ概論くらいしか読めていないんだけど、芸術経験における自己反省の契機について、みたいな内容。夫にも読んで〜!とシェアしたら、あれ、当時は恥ずかしいから読まないでって言ってたじゃんって言われて、え、なんで恥ずかしいんだろう?って4年前の自分を不思議に思ったけれど、たぶん未熟な論文だなあと思って恥ずかしかったのだろうか、今よりも自意識?が多くていろいろ恥ずかしかったのだろうか。今少し自分で読むとへえ〜こんなこと考えていたのか!とか、わりとテーマとして選んでるものが一貫してるな、とか、一行目でもう経験って言葉使ってるじゃんって思って、ああ、「経験」というのは気づかないうちに前からキーワードになっていたんだなと思って、仕事と生活とかつての勉強ととかがいろいろつながって、一見関係ないことがつながる瞬間がいちばん脳がドライブしている感じで楽しくて、これだからひとりでぐだぐだ、回り道しながら考えるのはやめられないなあと思った。

勉強が楽しいか楽しくないかの分かれ目は、たぶん、この、脳がドライブしてる感とか、一見関係ないことがつながって楽しい!というドーパミンがどばーっと出る感じとかを、体で感じられたか、体感できたか、というところにあるんだろうな、と思う。ただこれを体感できるためにはわりかし勉強量を積み重ねないといけないから(スポーツや音楽もそうだと思うけど、なんでもそうだと思うけど)、量をたんたんと積み重ねることの大切さ、みたいなのも痛感したのだった、大学時代。ということを思い出した。

朝、バナナ、コーヒー。昼、バタートースト。夜、ごはん、味噌汁、鮭。クロワッサンとか。

それでは、また。

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