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文章とジャンクフード

毎日息をしているだけで汗をかく。一息吸い、一息吐くたびに、体力が削られてゆく。この夏はきっと、トドのようにひっくり返っているんだなあと思っていたけれど、ほんとうにそんな感じ。一日中、クーラーの風の下でひんやりしたシーツにくるまっていたい。

インスタでマタニティ用アカウントを開くと、同じくらいのプレママさんがちらほら入院したり自宅安静になっていることに気づく。暇つぶしに何してますかというアンケート結果を何気なく見ていたら、ネトフリやyoutubeが多かった。そうかあ、みんな動画見てるんだなあ、と意外に思う。

なんで意外かというと、私は冒頭のようにベッドの上でごろごろするとき、滅多に動画は見ないからである。とはいえ、よく考えたら夫も弟も父も家ではほとんど動画見ているなあと気づく。文字を読む人って、気づいたらすごく少なくなってるのかも、ほんとに。

確かに私も本を読む時間はスマホにもっぱら取られてるんだけれど、じゃあスマホで何をしているのかというとひたすら文字を読んでいるのである。インスタでも写真より文章を読んでいるし、マンガも文字ばっかり読んでいるし、どうでもいい記事やまとめニュースとかそういうのでも、もっぱら文字ばかり。もちろんnoteでも文字ばかり。この原稿書くの疲れたあと思えば小説を読み、小説を読むのにも疲れたらネットで軽く読めるよくわかんない記事とか読んでいる。

最近だと、発言小町で「息子 かわいい」というトピックスの投稿をひたすら見ていた。男の子は小さいころ、比較的単純でシンプルでそれゆえかわいくて、大きくなっても母親に優しいというコメントが多く、さて私の息子(という響き慣れなくて書いてひとりでどきどきしている)はどんな感じになるのかなあとひとり妄想してみたり。

気づいたら、読んでばかりいる。

別に高尚で美しい文章ばかり読んでいるかというとそうでもなくて、もちろん好き嫌いはあるし攻撃的なものは敬遠しているけれど、こうしてわりかしジャンキーなものもたくさん読んでいる。それがどう読解力や文章力につながっているかはいまいちよくわからないけれど、たぶん息を吸うのと同じくらいにやっているのは間違いない。だから好きなことはたぶん読書ではなく文字を読むことなんだと思う。

良い舌を持つためにはジャンクフードだって食べた方がいいのかもしれないし、そうではないのかもしれない。そのあたりは文章もそうで、良い文章を書くためには美しい文章だけを取り入れた方がいいのかもしれないし、ジャンキーな文章も読んで、文章の「良い」だけでなく「悪い」も体感的に知った方がいいのかもしれない。そこに対して答えは出ていない。

でも良い悪いうんぬんではなく、息をするようにやっていることが自分の人生にあるというのは、なんだか支えになっている気がする。夜、眠れないときは文字を読めばいいし、落ち込んで泣いてしまった日も文字を読めばいいし、無人島に流れ着いてしまったときも文字を読めばいい。美しくてためになる本である必要はまったくなくて、それが文字であり文章というかたちを取っていればいいのである。

何があっても読めばいい、というのは、私にとってとてつもない"救い”だ。

(だからこそ、読むものが何もない状況に放り込まれたり、文章が読めないくらいの状態になったらすごくつらい。昔から、目が見えなくなることが何よりも恐かったし、以前ドイツにいたとき三週間くらい落ち込んで文章が頭にまったく入ってこなかったときは、人生で一番長い三週間だった。)

そんな文章で得た"救い”を、私もまた、文章というかたちでほかの誰かに渡せたら、それが本望だなあ。

それでは、また。

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