金魚掬い 第七話
電話の硬い音で、ふと我に帰る。特に急ぎもせず受話器を取ると、案の定、それは夫からであった。
「もしもし、俺だけど……」そう言う夫の声は、何粒かの砂を含んだような声であった。
「うん」と返事をしたすぐ後に、夫は畳み掛けるように言う。
「今日も仕事で遅くなるから、先寝てて」と、今や聞き慣れた台詞を、一字一句変えずに彼は吐いた。
「わかった、お疲れ様……無理しないでね」
「ありがとう、じゃあ……お休み」
そうして私はいつものように静かに受話器を置いた。
母のノートを開いた後で、いつもより心がざわめきたっていた。
窓の外を見ようにも、外明かりに漏れる光が気になって、無理にカーテンを開けようとはしなかった。
そのまま私は、寝床の明かりを消した。
瞼の裏にあるのは、ただ母の最期の姿のみであった。……
……あの数日、母は危険な状態にあった。暫く前から床に臥せたきりで、母の生命力は、誰の眼にも明らかなほど、日に日に衰えていた。
私は数週間前から学校を休み、美代子さんと二人で母の看病をしていた。普段は仕事で忙しい父も、さすがにこのときばかりはなるべく早く家に帰ってこられるようにしていた。
家の中には医師や看護師が引切り無しに出入りしていたので、普段はしいんと静まりかえった家が、まるでお祭りでもあったかのように俄かに活気づいて、不謹慎だとは重々承知しながらも、私の心は普段より浮き足立っていた。
そのような私の心を知ってか知らずか、母がその床に落とす影は日に日に薄くなり、遂に医師の診療を断った。父も美代子さんも私も、反対しなかった。
誰もが覚悟していた、予期された死であった。
最後の三日間を、母はとても静かに過ごした。余りにも静かに、穏やかに送っていたので、私には母の症状が軽くなったのではと思われたほどであった。
母の呼吸が乱れた三日目。美代子さんが、父と私を呼んだ。
私は不思議と落ち着いていた。
只々、母の手を握りしめていた。
母の呼吸が、どんどん速く浅いものになっていく。
父の名が、呼ばれた。
美代子さんの名が、呼ばれた。
それから母は、私の手を握りしめ、私の眼を見上げた。
母の眼はとても澄んでいて、既にこの世のものではなかった。
「菜々美……強く、しなやかに、生きるのよ」
それが母の最期のことば、だった。
その後の記憶は、非常にぼんやりとしたままだ。
その中に、母の最期のことばも放り込んだ、ままだった。
十六歳。ぼんやりとした記憶が漸くはっきりしてきたのは二十歳、今の夫と結婚したときのことであった。
サポートありがとうございます。みなさまからの好き、サポート、コメントやシェアが書き続ける励みになっています。