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上手くいかなくて当たり前

最近はPythonばかり触っている。ゴリゴリの文系、文学部の独文学専攻だった自分が父の仕事を手伝う中でひょんなことからデータの前処理や自然言語処理やディープラーニングをやることになり、特にここ1ヶ月は集中してやっている。

今もだけど、最初は特に慣れずに心が折れた。これまで「正しいか正しくないか」という世界にあんまりいなかったので(文章に正解・不正解という概念はあんまりないと思っている)、何度やってもエラーが出るのにはうううう...となる。1週間かけて文章を分類するプログラミングを書いてもその正確率はよくて7割。ふつうで5割。おいおい、5割とかてきとうに分類するのと変わらんぞ。

そのうち徐々に、プログラミングに慣れるより先に、失敗すること、うまくいかないことに慣れてきた。10回やって1回エラー出なければ万々歳だし、うまくいくためには大量の失敗が必要だということ、というか失敗して当たり前、うまくいかなくて当たり前なんだということが肌感覚としてわかってきた気がする。

文章を書くというのも、得意でも才能があるとも特に思えないけれど、少なくとも苦手ではないため、これまで今回ぶちあたった類の「うまくいかなさ」「ちっとも前に進んでない感じ」「散々苦労したのに書き方ひとつでうまくいって時間無駄にした感」みたいなのは感じてこなかった。よく、成功には失敗がつきものというけれど、それをざらりとしたリアルな感覚として、実感できたのはよかったなあと思っている。

望んでプログラミングを始めたわけじゃないけれど、これからまったくうまくいかないであろう子育てとか新たな仕事が始まるわけで、それらを始める前に「ちっともうまくいかん...うわー盛大に時間無駄にした...もういや...」みたいな状況に放り込まれたのはラッキーだったかもしれない。文系がプログラミングをやる意義、以外にこんなところにもあったりして。

プログラミングやAIといえど文章を扱うことが多そうなので、そのうち文章を書く仕事と結びついたらいいなあ。点と点がつながるように。

それでは、また。


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