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【日記】飴玉を転がすような、そんな日々

何を読んで、もしくは何を見てそう思ったのか、忘れてしまったのだけれど、あ、たぶん、村上春樹のスプートニクの恋人だったか、孤独について書かれた作品に最近触れて、そういえばこのところ、孤独という感情に久しく触れていないな、と思った。

それってびっくりすくらい恵まれている、というか、人生でも限られた期間だと思うのだけれど、いかんせん子育て真っ最中で、二世帯とかで住んでいて、仕事でもフルリモートワークとはいえミーティングしたり新しい人に出会ったりの機会もあり…とやっていると、ああ…ひとりになりたい…と思う瞬間のほうが圧倒的に多い。

胸を刺すような、喉の奥のほうがひりひり焦げ付くような孤独の、あの感触は、たしかに覚えているのだけれど、雲の向こうにうっすら霞んでみえる月のように、おぼろげな存在になっている。

久しぶりに高校生のときに好きだった人が夢に出てきた状態で、目が覚めた。起きてしばらくして、それがどれだけ遠のいたものになったかに気がついてびっくりする。大人になって誰かに話せるほどの立派なものでもなんでもなく、でも思い出せるくらいにはいろいろな感情が動いたのは事実で、その、感情が動いていたということそのものが、何年も何年も経っていると、どんな感情も結晶化されて、甘美なものになっていて、しばらく舌の上でゆっくりと飴玉を転がすように味わってから、ゆるゆるとベッドを抜け出して、カーテンを開けた。

それでは、また。

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