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金魚掬い 第二話(4)

…次の日の朝階下に赴くと、菜々美は既に起きていた。一瞬胸が乾いた音を立てたけれど、声色を変えることなく菜々美に話しかけることができた。

「菜々美、おはよう。早いわね」そう声をかけると、椅子に座った菜々美はくるっとこちらを振り向いた。その顔はいつもと変わらないであろう笑みを浮かべていた。菜々美の表情からは、私に対する感情は読み取れなかった。

「おはよう、お母さん。今日は、起きてきて大丈夫なの」

「ええ、平気よ、ありがとう」それからふと思い出したかのように、後ろからそっと付け加えた。

「菜々美、昨日お風呂に入る前に寝ちゃったでしょう。ご飯を召し上がる前に、お母さんと一緒に入りましょう」

菜々美は訝しがる素振りを見せながらも、私と久々に入れることが嬉しいのか、大きく頷いた。

お風呂に入っている間中、菜々美は怒ったような素振りも、怯えたような素振りも、顔色を伺うような素振りも見せなかった。普段と同じように、「お母さん、あのね」と話しかけてくれた。

私に向ける顔は、窓から差し込む朝陽と、湯に反射した陽の光に照らされて、尚一層きらきらと輝いていた。

「あついよ」と言いながら勢いよく浴槽を飛び出した菜々美の背中に向かって、私は慌てて声をかけた。「菜々美」

くるっと振り返った菜々美に、「菜々美……昨夜はごめんなさいね……お母さん、どうかしていたわ」と言った。菜々美のくりっとした瞳が、更に大きくなった。

「お母さん、何のこと」

「…昨日、せっかく持って帰ってきた金魚を、払いのけてしまって、ごめんなさい。お母さん、少し疲れていたの、ごめんね」

しかし、そこまで言っても菜々美の表情は変わらなかった。沈黙だけが、光の中を泳いでいた。

ふと、菜々美の表情が翳ったような気がした。しかしそれは、菜々美の顔を照らしていた光が、雲が過って一瞬その影を落としたせいかもしれなかった。

「菜々美、お母さん何言ってるのかよくわからないよ」

そう菜々美ははっきりと口にした。

いや実際のところは、わからない。本当にそう言ったのかもしれないし、何度もこの日を思い出す内に、私が付け加えたのかもしれない。

いずれにせよ、私のなかには菜々美のその一言が深く刻まれている。

私はあの後、何と言ったのだろう。恐らく何か適当なことを言って、菜々美を先にあがらせたのだろう。

私が唯一はっきりと覚えているのは、そのとき口の中に拡がった、酸っぱいような苦いような、あのどろっとした味だけであった。……

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